* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第二十四句 「大塔修理」(だいたふしゅり)

2006-05-09 11:51:05 | Weblog
                老僧の告げを聞く<清盛> 奥の院の辺り

        <本文の一部>
  そもそも、平家の厳島を信じはじめられけることは、何といふに、鳥羽の院の時、太政入道(清盛)、いまだ安芸守におはしけるが、「安芸の国をもって、高野の大塔を修理せよ」とて、渡辺の遠藤六郎頼方を雑掌につけて、七年に修理をはんぬ。(七年を要して)

  修理をはりてのち、清盛、高野へ参り、大塔ををがみ、奥の院へ参られたりければ、いづくともなき老僧の、まゆには霜をたれ、ひたひに波をたたみ、鹿杖(かせづゑ)にすがりて出で来給へり。ややひさしう御ものがたりせさせおはします。

  「むかしよりわが山は、密宗をひかへて、いまにいたるまで退転なし。天下にまたも候はず。越前の気比の社と安芸の厳島は両界の垂迹にて候ふが、気比の社はさかえたれども、厳島はなきがごとくに荒れはてて候。大塔すでに修理をはんぬ。同じくは、このついでに奏聞して、修理せさせ給へ。さだにも候はば、御辺は官加階肩を並ぶる者もあるまじきぞ」とて立て給ふ。

  この老僧のゐ給へるところに、異香薫じたり。人をつけて見給へば、三町ばかりは見え給ひて、そののちは、かき消すごとくに失せ給ひぬ・・・・・・・・・

  修理をはりてのち、清盛、厳島へ参り、通夜せられける夜の夢に、御宝殿のうちより、びんづら結うたる天童の出でて、「これは大明神のお使なり。なんぢ、この剣をもちて、一天四海をしづめて、朝家のまぼりたるべし」とて、銀の蛭巻したる小長刀を賜はると、夢を見て、さめてのち見給へば、うつつに枕上にぞ立ちたりける。

  さて、大明神御託宣ありて、「なんぢ知れりや。忘れりや。弘法をもって言わせしこと。ただし悪行あらば、子孫まではかなふまじきぞ」とて、大明神はあがらせおはします。めでたかりしことどもなり・・・・・・・・・

  今度さしもめでたき御産に、大赦おこなはれたりといへども、俊寛僧都一人赦免なかりけるこそうたてけれ。(悲惨なことだ・・・)

  同じく(治承二年(1178))十二月二十四日、皇子(言仁親王)、東宮(のちの安徳帝)に立たせ給ふ。傅(すけ)には小松の大臣(おとど)、大夫には池の中納言頼盛の卿とぞ聞こえし。

              (注)カッコ内は本文ではなく、私の注釈記入です。
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    <あらすじ>
  (1) 平家の”厳島”信奉のそもそものお話しから始まる。

      雷火により炎上した”高野山根本大塔”を修理し、この後に 清盛
     後白河院 に 奏聞して,荒れ果てた”厳島神社”の大修理を行う。

          しかし、厳島の参籠の折に、夢の中で平家滅亡を予見するような
          大明神のご託宣が語られている。

  (2) 本文中(記載を略す)には、三井寺(園城寺)の阿闍梨・頼豪の怨霊説話
      が語られる。

  (3) 治承二年(1178)、高倉帝の皇子(言仁親王)は東宮に立ち、東宮坊の東宮傅
      (東宮坊の最高官)には、重盛 が任ぜられ、東宮大夫(東宮坊の長官)には
      中納言・頼盛 が任ぜられたと、「平家物語」では伝えている。

         <史実は>東宮傅(すけ)・・・・左大臣・藤原経宗
                  東宮大夫・・・・・・・平 宗盛            とされる。