* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第八十六句「熊谷・平山一二の駆」

2010-12-15 09:35:51 | 日本の歴史

  従者の“旗差し”を射殺されて、憤然として平家陣の木戸口の中へ躍りこみ、射抜いた兵士の首を
 斬って出てくる“平山武者所季重”(白いホロの武者)

<本文の一部>

 熊谷の次郎直実は、そのときまでは搦手に侍ひけるが、その夜の夜半ばかりに、嫡子
小次郎を呼うで申しけるは、「いかに小次郎、思へばこの所は、悪所を落さんずるとき、
うちごみのいくさにて、すべて『誰さき』といふことあるまじきぞ。いざや、これより播磨路に
出でて、一の谷の先を駆けん」と言ふ。小次郎、「よく候はん。向かはせ給へ」と申す。

 「まことや、平山もうちごみのいくさを好まぬぞ。見てまゐれ」とて郎等をやりたれば、案
のごとく、平山は、はや、物具して、誰に会うて言ふともなく、「今度のいくさに、人は知ら
ず、季重においては一足も引くまじきものを」と、ひとりごとをぞ言ひける。下人が馬を飼
ふとて、「憎い馬の長食ひかな」とて打ちければ、平山、「さうなせそ。季重、明日は死な
んぞ。その馬のなごりも今夜ばかり」とぞ言ひける。郎等走りかへりて、「かうかう」とぞ言
ひける。
熊谷「さればこそ」とて、うちたちけり。

 熊谷は、褐の直垂に、黒糸縅の鎧着て、紅の母衣かけて、「権田栗毛」といふ馬に乗り、
嫡子の小次郎は沢瀉をひと摺り摺ったる直垂に、伏縄目の鎧着て、黄瓦毛なる馬に乗っ
たりける。旗差は、麴塵の直垂に、小桜を黄にかへしたる鎧着て、「西楼」といふ白月毛な
る馬に乗ったりける。主従三騎うちつれて、一の谷をば弓手に見なし、馬手へあゆませ行
くほどに、年来人もかよはぬ「田井の畑」といふ古みちをとほりて、播磨路の波うちぎはへ
ぞうち出でたる。

 土肥の次郎実平は、「卯の刻の矢合せ」と定めたりければ、いまだ寄せず。七千余騎
にて塩屋尻といふ所にひかへたり。熊谷は、土肥の次郎が大勢にうちまぎれて、そこを
づんどうち通りて一の谷へぞ寄せたりける。

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<あらすじ>

(1) 一団となって敵陣に突っ込む戦い(“うちごみ”のたたかい)では、「先陣争い」ができな
  い・・・と、熊谷直実と嫡男・小次郎直家は、義経の陣営から抜け出て、古道を通って
  南下し海岸へ先回りをした。
    一の谷の平家陣の木戸口で、熊谷は“大音声”で名乗りを上げるが、平家側はこ
    れを無視して何の反応も示さない。  その中に後ろに続いた平山の武者所季重
    追いついてきた。

(2) 再び熊谷直実は、大音声で“名乗り”をあげ、平家側の名ある武者達に向かって
  「勝負しよう・・・!」と、けしかけた。

   平家側では、越中の次郎兵衛盛嗣上総の五郎兵衛忠光上総の悪七兵衛景清
  
を先頭に二十三騎が、門を開いて駆け出でて熊谷平山ら五騎と激しく戦うが、多勢
  の平家側が追いまくられて城内へ逃げ込み、城門の中から応戦した。

(3) やがて熊谷平山らも城内へ駆け入って、散々に暴れまわる中に、本隊の土肥の次
     郎実平ら七千余騎が押し寄せて、鬨の声を上げたのであった。

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