* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第八十八句「鵯越」(ひえどりごえ)

2011-02-21 09:59:21 | 日本の歴史

 逃げまどう平家軍勢!船に乗ろうと取りすがる身分の低い雑兵たちは、船端で
薙ぎ払われ斬り落とされる無残!

<本文の一部>
 源氏、大手ばかりにては勝負あるべしとも見えざりければ、七日の卯の刻に、九郎義
経、三千余騎にて一の谷のうしろ、鵯越にうちあがって、「ここを落とさん」とし給ふに、
この勢にや驚きたりけん、大鹿二つ、一の谷の城のうちへぞ落ちたりける。
   「こはいかに。里近からん鹿だにも、われらにおそれて山深くこそ入るべきに、ただ
    いま鹿の落ちようこそあやしけれ」
とて騒ぐところに、伊予の国の住人、高市の武者清教、「何にてもあれ、敵の方より出で
来んものをあますべき様なし」とて、馬にうち乗り、弓手にあひつけて、先なる大鹿のまん
中射てぞとどめける。・・・・・・

・・・・・九郎義経、鞍置馬を二匹追い落されたりければ、一匹は足うち折りてころび落つ。
一匹は相違なく平家の城のうしろへ落ちつき、越中の前司が屋形の前に、身ぶるひして
ぞ立ったりける。鞍置馬二匹まで落ちたりければ、「あはや、敵の向かふは」とて騒動す。

 ・・・・・・をりふし風はげしく吹いて、黒けぶり押しかけたり。兵ども煙にむせて、射落し
引き落さねども、うまより落ちふためき、あまりにあわてて、「まえの海へ向いてぞ馳せ
入りける。

 助け舟多かりけれども、物具したる者どもが、船一艘に、四五百人、五六百人、「われ
先に」とこみ乗らんに、なじかはよかるべき。なぎさより五六町押し出だすに、一人も助
からず。大船三艘しずみにけり。

  そののちは、「しかるべき人々をば乗すとも、雑人どもをば乗すべからず」とて、さる
べき人をば引き乗せ、雑人どもをば、太刀、長刀にて船を薙がせけり。かかることとは
知りながら、敵に合うては死なずして、「乗せじ」とする船に取りつき、つかみつき、腕う
ち切られ、あるいは肘うち落されて、なぎさに倒れ伏してをめきさけぶ声おびたたし。

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<あらすじ>
(1)源氏の九郎義経は、一の谷の後ろの“鵯越”を三千余騎で下り降りて鬨の声を
   上げるが、これが山々に“こだま”して数万の騎馬の攻め寄せるかの如くに轟
   いたのであった。

(2)信濃源氏村上三郎判官代基国が、平家の屋形に火をかけると、折からの激し
   い風に黒煙を吹き上げ、このため平家の兵たちは煙にむせびて馬から落ち、前
   の海に向かって必死に逃げ出した。

(3)武装した兵たちが、一艘に数百人も乗り込もうとしたために、大きな船まで沈んで
   しまったため、身分の高い者は乗せても、雑兵たちは乗せてはならぬ!と船に取
   りつく兵の腕や肘を薙ぎ払い、斬り落としたと云う。

(4)能登守・平教経は、一度も合戦に敗れたことは無かったが、今度ばかりは“勝てな
   ”と思い、播磨明石へ落ちて行ったのであった。

(5)教経の兄の越前の三位・通盛は、近江の佐々木源三・成綱の手勢に取り籠めら
   れて、討ち死にした。

(6)越中の前司・盛俊は、落ち行く途中で源氏猪俣近平六・則綱に襲われるが、
   逆に組み敷いて首を取ろうとするが、言葉巧みに騙されて、遂には討ち取られて
   しまった。豪勇武者盛俊の最後であった。

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