* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第九十九句「池の大納言関東下り」

2012-03-16 15:53:07 | 日本の歴史

          “平頼盛”のもとへ運び込まれる引き出物の数々

<本文の一部>

 (寿永三年(1184))同じく四月一日、鎌倉前(さき)の右兵衛佐(うひょうえのすけ)頼朝、正四位下に叙す。
もとは従五位下なりしが、五階を越え給ふこそめでたけれ。

 同じく三日、崇徳院を神にあがめたてまつる。むかし保元のとき合戦ありし、大炊の御門の末にこそ社を
造り、宮遷りあり。賀茂の祭りの以前なれども、法皇の御はからひにて、内には知ろしめされず。

 そのころ池の大納言頼盛、関東より、「下らるべき」よし申されければ、大納言関東へこそ下られけれ。

その侍に弥平兵衛(やへいびょうえ)宗清といふ者あり。しきりに暇申して、とどまるあひだ、大納言、「なに
とて、なんぢは、はるかの旅におもむくに見送らじとするぞ」とのたまへば、弥平兵衛申しけるは、「さん候。
戦場へだにおもむき給はば、まっ先駆くべく候が、参らずとも苦しうも候ふまじ。

 君こそかうてわたらせ給へども、西国におはします公達の御事存知候へば、あまりにいとほしく思ひまゐら
せ候。兵衛佐殿を宗清が預かり申して候ひしとき、随分つねはなさけありて、芳志をしたてまつりしこと、よも
御忘れ候はじ。故池殿の、死罪を申しなだめさせ給ひて、伊豆の国へながされ給ひしとき、仰せにて、近江
の篠原までうち送りたてまつりしこと、つねはのたまひ出だされ候なる。下り候はば、さだめて饗応し、引出物
せられ候はんずらん。

 さりながらこの世はいくばくならず。西国にわたらせ給ふ公達、また侍どもが返り承らんこと、恥づかしくおぼ
え候」と申せば、大納言、「何とて、さらば都にとどまりしとき、さは申さざるぞ」とのたまへば、「君のかうてわた
らせ給ふを『悪しし』と申すにあらず。兵衛佐もかひなき命生き給ひてこそ、かかる世にも逢はれ候へ」と、しき
りに暇(いとま)申してとどまるあひだ、大納言、力および給はで、四月二十日関東へこそ下られけれ。・・・・・・・

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<あらすじ>

(1)源頼朝は、寿永三年(1184)四月一日、飛び級?で“五段階特進”の正四位下に昇進する。 四月三日、
   後白河院の独自の計らいで“崇徳院”を祀る社を造り、墓所から御霊を迎え鎮め奉った。
   (第75代・崇徳天皇。保元の乱に敗れ、讃岐へ流され没した。)

(2) 池の大納言(平頼盛)(清盛の弟)は、頼朝から鎌倉へ下向するように伝えられる。
     
    重臣に弥兵衛・宗清と云う者あり、かつて「平治の乱」で宗清は頼朝を捕らえ、身柄を預かり助命に
    奔走したという“いきさつ”があった。

(3) 宗清は、主の頼盛に「平家一門が都落ちし西海に漂泊の今、敵の大将軍・頼朝のもとに下向すること
   は、この宗清には心苦しく一門の方々や朋輩の郎等たちに恥ずかしいこと・・・」と、鎌倉への伴を断る
   のであった。
     宗清に恩義を感じ心待ちにしていた頼朝は、随伴の中に居ないことを聞き、非常に残念そうであった
   と云う。

(4) 「平治の乱(1159)」で敗れ、殺される命の頼朝を“池の禅尼(清盛の義母)”が清盛に助命嘆願をした
   結果、死を減じられ伊豆へ流されたこともあり、池の禅尼の子である頼盛にも、その母と同じように恩義
   を感じて、折に触れて周りの者にそのことを述べていたと云う。

(5) 頼盛は、元々知行していた荘園や私領の全てを元通りに戻された上、鞍置馬(乗馬の装備をした馬)
   五百頭などを賜った。なお頼朝やその大名、小名たちから莫大な引き出物を頂戴して都に戻ってきた。

(6) 一方、維盛の北の方は大覚寺(歴代法親王の入寺ある)に隠れ住んでいたが、手紙も途絶えた夫維盛
   のことを思い心も休まらない。結局は維盛が屋島を出て高野に詣で、勝浦の沖で入水して果てたことを
   知り、髪を下してその冥福を祈るのであった。

(7) 頼朝は、流罪にとりなしてくれた“池の禅尼”への思いと同時に、清盛に嘆願した平重盛への恩義も、
   その子・維盛にも感じていて、もし頼ってくれたら“お助け”したものを・・・・・と言ったという。

(8) 寿永三年(1184)七月二十一日、都では第82代・後鳥羽天皇の“即位の式”が「三種の神器」の無い
   まま行われ、同じく八月六日に源範頼が三河守、源義経が左衛門尉(さえもんんのじょう)に任用された。

     この頃、“改元”あり、「元暦」となった・・・・・・・・・・・・・・

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