* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第六十三句『木曾の願書』(きそのぐゎんじょ)

2009-01-07 13:58:48 | 日本の歴史

    八幡神の使い“霊鳩”の飛来に感激する「木曾義仲

<本文の一部>

  木曾は八幡の社領、埴生の荘に陣とって、四方をきっと見まはせば、
 夏山の峰の緑の木の間より、朱の玉垣ほの見えて、かたそぎづくりの
 (千木をつけた社殿)社壇あり。

  木曾これを見給ひて、案内者を召して、「これはなにの社ぞ、いか
 なる神を崇めたてまつりたるぞ」とたづねられければ、「これは、八幡
 を遷しまゐらせて、当国には『新八幡(いまやはた)』とこそ申し候へ」
 木曾おほきによろこんで、手書(書記)に見せられたる、木曾の大夫覚明
 を呼びて、「義仲こそ、さいはひに八幡の御宝前に近づきたてまつりて
 合戦をとげんずるなれば、それについて、『かつうは後代のため、かつ
 うは当時の祈祷のため、願書を一筆、書いて参らせばや』と思ふはいか
 に」。

  「もっともしかるべく候」とて、馬より飛び下り、書かんとす。
 覚明、褐の直垂に、黒糸縅の鎧着て、斑母衣の矢負ひ、塗籠藤の弓を持
 ちて、黒き馬にぞ乗りたりける。
  箙(えびら)より小硯、畳紙を取り出だし、木曾殿の御前にひざまづい
 てぞ書いたりける。数千の兵これを見て、「文武の達者かな」とぞほめ
 たりける。・・・・・・・・・

    (・・・八幡さまへの「願文」が格調高く綴られる・・・)

  たのもしいかな、八幡大菩薩、真実の心ざしの二つなきをや、はるか
 に照覧し給ひけん、雲のうちより山鳩二つ飛び来たって、源氏の白旗の
 うへに翩翻す。平家もこれを見て、みな身の毛もよだちたり・・・・

   (注) カッコ内は本文ではなく、注釈記入です。
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 (あらすじ)

木曾源氏、倶利伽羅峠の夜襲
 
(1)木曾義仲は、八幡社領の埴生(羽丹生)の荘に陣を取り、“戦勝祈願”
   の願書を祐筆役の“覚明”にしたゝめさせて、ご宝殿に納める。

    すると、戦の神・八幡の神使とされる鳩がどこからともなく飛び
   来たり、源氏の旗の上を旋回したので、義仲は感激してうやうやし
   く“霊鳩”を礼拝するのであった。

(2)源平両軍とも対峙して、日中は小競り合いの応酬のまゝ過ごし、日が
   暮れるのを待って、平家軍の後ろから突如!として鬨(とき)の声を挙
   げながら、木曾勢が奇襲をかけた。

    険しい地形上、背後を襲われるこたは無いと安心して休息していた
   平家の軍勢は、慌てふためき次々にかたわらの谷へ追い落とされて、
   さしもの深い谷も、平家将兵の死骸の山となったと云う。

    七万余騎の大軍が僅かに二千余騎となって、大将軍・維盛は副将軍
   通盛と共に危うく命拾いして加賀の国へと逃れたが、上総の判官・
   、飛騨の判官・景高や河内の判官・季国ら、名だたる武将が戦死し
   た悲惨な負け戦となった。

(3)平泉寺の長吏・斎明や、高名な備中の瀬尾の太郎・兼康など、生け捕
   りになった者も多かったが、斎明の生け捕りを聞いた義仲は、「憎っ
   くき奴め、有無を言わさず即座に斬ってしまえ!」と命じ、その場で
   首を刎ねてしまったという。

(4)夜が明けて、志保坂の十郎蔵人・行家の応援に駆けつけた義仲は、
   散々に攻め込まれていた行家軍を助けて、平家の軍勢を蹴散らし追撃
   した。寿永二年(1183)五月のことであった。


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