* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第九十五句 『 横 笛 』

2011-11-22 15:49:42 | 日本の歴史

                  嵯峨の“往生院”(現在の滝口寺)

<本文の一部>

 さるほどに、小松の三位の中将維盛は、わが身は屋島にありながら、心は都へかよは
れけり。故郷にのこしおき給ふ北の方、幼き人々ことを、明けても、暮れても、思はれけ
れば、「あるにかひなきわが身かな」と、いとどもの憂くおぼえて、寿永三年三月十五日
のあかつき、しのびつつ屋島の舘をまぎれ出で給ふ。

 乳人(めのと)の与三兵衛重景、石童丸といふ童、下郎には「舟もよく心得たる者なれ
ばとて、竹里といふ舎人(とねり)、これら三人ばかり召し具して、阿波の国、由紀の浦
より海士(あま)小舟に乗り給ひ、鳴戸の沖を漕ぎ渡り、「ここは越前の三位の北の方、
絶えざる思ひに身を投げし所なり」と思ひければ、念仏百返ばかり申しつつ、紀伊の路
へおもむき給ひけり。

 和歌、吹上の浜、衣通姫(そとほりひめ)の神とあらわれおはします玉津島の明神、
日前権現の御前の沖を過ぎ、紀伊の国黒井の湊にこそ着き給へ。

 「これより浦づたひ、山づたひに都に行きて、恋しき者どもをいま一度見もし、身えば
や」と思はれけれども、本三位の中将重衡の、生捕にせられて、京、鎌倉ひきしろはれ
て、恥をさらし給ふだにも心憂きに、この身さへ捕はれて、憂き名をながし、父のかばね
に血をあやさんもさすがにて、千たび心はすすめども、心に心をからかひて、ひきかへ
高野の御山へのぼり給ひけり。

            (注) (  )内は本文では無く、注釈記入です。

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<あらすじ>

維盛、屋島を脱出し高野山を目指す

   四国の屋島にあった維盛は、都に残してきた“北の方”や幼き者たちにひと目逢い
   と願い、三人の伴の者だけを連れて密かに(平家の)屋島の館を抜け出る。
    紀州の黒井の湊(現在の和歌山市内)に着き、浦伝い山伝いに都へ向かいたいと
   思ったものの、平重衡のように生け捕りにされ都や鎌倉に引き回されて恥をさらす
   恐れも考えられて、悩んだ挙句に“高野山”を目指すのであった。

斉藤時頼の“悲恋”物語> 

   高野山には以前から見知った僧が居て、平家物語ではこゝでこの僧の出家以前
   の“悲恋”の物語を描く。
    “斉藤滝口時頼”(さいとうたきぐちときより)は、父子として重盛・維盛の乳人子
  (ものとご)として仕えたが、十三歳にして“滝口”に任ぜられ、十五歳の頃より建礼
  門院の雑仕(下級女官)である“横笛”に深く想いを寄せる。
  (滝口:宮中の最も奥を警固する武士で、特に武勇の者で美男子が選ばれた。)
  

   しかし、父・茂頼(もちより)から“横笛”との交際を禁じられてしまうのであった。

   時頼は、「人の命はせいぜい七~八十年、盛りはわずかに二十年位、短い命の
   中で気の染まぬ者を妻として何になろう!。しかし恋しい者を妻とすれば父の意
   に背く」と、煩悶し悩みぬいた末に遂に仏の道に入るしか無いと、十九歳で出家
   してしまった。(嵯峨の往生院)

    このことを伝え聞いた“横笛”は、ある日のこと内裏を出て、嵯峨の奥へ“時頼
   を探しに当ても無くさまよい歩いた。すると住み荒れた庵室の中から時頼らしき
   経文を唱える声を聞き、案内を乞うが時頼は“逢いたい”が、それでは仏道修行
   が覚束ない・・・と、人を出して「時頼という人はここには居ない、家を間違えたの
   でしょう・・・」と、遂に逢わずに“横笛”を返してしまうのであった。

    そして滝口入道(時頼)は、“横笛”が又探しに来るかも知れないと、嵯峨を出
   て高野山に上り“清浄心院”に入り、修行に専念する。

    その後、“横笛”が出家したとの噂を聞いた時頼は、高野から一首の歌を贈る。

     剃るまでは  うらみしかども あずさ弓  まことの道に 入るぞうれしき  (時頼)
   
     (髪を剃り出家するまでは憂き世を恨んでいた私だが、あなたも尼となって
               真実を求める仏道に入ったと聞き、うれしく思っている・・・)

    “横笛”からの返歌

     剃るとても なにかうらみん あずさ弓 ひきとむべき 心ならねば  (横笛)

     (髪を剃ってあなたが出家しても、どうしてお恨みしましょうか、とても引き止め
               られる、あなたのお気持ちではないのですから・・・

    奈良の法華寺にあった横笛は、間もなく亡くなったと伝える。滝口入道(時頼)
    はこのことを伝え聞き、いよいよ修行に打ち込んでいたが、やがて父の勘当
    
も許されたと云う。

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