* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第六十四句『実 盛』(さねもり)

2009-02-08 14:52:49 | 日本の歴史

 左上に“木曾義仲”、討ち取った“実盛”の首を前に控える“手塚光盛

<本文の一部>

  同じく二十三日、卯の刻に源氏篠原へ押し寄せて、午の刻まで戦いけ
 り。暫時の合戦に、源氏の兵一千余騎討たれぬ。平家の方には高橋の判官
 長綱をはじめとして、二千余騎ぞ滅びける。平家篠原を攻め落されて落ち
 行きけり。

  その中に武蔵の三郎左衛門有国、長井の斎藤別当実盛は、大勢に離れて
 二騎つれて引き返し戦ひけり。三郎左衛門有国は敵に馬の腹を射させて、
 しきりに跳ねければ、弓杖をついて下り立ったり。

  敵のなかに取りこめられて散々に射る。矢種みな射尽くし、打物抜いで
 戦いけるが、矢七つ八つ射立てられて、立死にこそ死にけれ。

  三郎左衛門討たれてのち、長井の斎藤別当実盛、存ずるむねありければ
 ただ一騎残ってぞ戦ひける。信濃の国の住人手塚の太郎馳せ寄って、「味
 方はみな落ち行くに、ただ一騎残っていくさするこそ心にくけれ。誰そや
 おぼつかなし。名のれ、聞かん」と言ひければ、「かう言うわ殿は誰そ。
 まづ名のれ」と言はれて、「かく言ふは、信濃の国の住人手塚の太郎光盛
 ぞかし」と名のる。

  斎藤別当、「さる人ありとは聞きおきたり。ただし、わ殿を敵に嫌ふ
 にはあらず、存ずるむねあれば、今は名のるまじ。寄れ。組まん。手塚」
 とて押しならべて組まんとするところに、手塚が郎等、中にへだたつって
 むずと組む。

  実盛は手塚が郎等を取って、鞍の前輪に押しつけて、刀を抜き、首を
 かかんとす。手塚は郎等が鞍の前輪に押しつけらるるを見て、弓手よりむ
 ずと寄せあはせて、実盛が草摺たたみあげて、二刀刺すところを、えい声
 をあげて組んで落つ。実盛、心は猛けれども、老武者なり、手は負うつ、
 二人の敵をあひしらふとせしほどに、手塚が下になって、つひに首を取ら
 る・・・・・・・・

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 <あらまし>

 <斎藤別当実盛、加賀の国・篠原の合戦で討ち死に

(1)寿永二年(1183)五月二十三日早朝、加賀の国(石川県)篠原で“源平”
   が相戦い多数の武者が討ち死にしたが、平家勢では高橋判官・高綱
   をはじめ、武蔵の三郎左衛門・有国、長井の斎藤別当・実盛など名
   の知れた強者(つわもの)が相次いで死んだ。

(2)実盛 はただ一騎、仲間から離れて引き返し源氏の軍勢と戦い、最後
   には手塚の太郎光盛 の主従と戦って、遂に討ち死にしたのであった。

(3)義仲 の前で首実験の折、光盛 は「不思議な曲者と組んで討ち取りま
   したが、侍かと思いましたら“錦の直垂”を着用していますし、大将
   かと見れば従う家来がいません。名を名乗れと再三責めましたがとう
   とう名乗りませんでした。声は“坂東なまり”でした。」と申し上げ
   た。

 (4)義仲 はすぐに樋口兼光 を呼ぶ、兼光はひと目見て涙を流し、「斎藤
   別当に相違ござらぬ」と云い、それを聞いた 義仲 は「すでに七十歳
   を超えている筈、黒髪とは・・・・」と、いぶかる。
    兼光 は、実盛から常々聞かされていたことを述べる、「六十歳を過
   ぎて戦場に向かうときは、鬢(びん)髭(ひげ)を黒く染めて若々しくな
   ろうと思う、その訳は若い者と先陣を争うのも大人げ無いし、又、老
   いぼれ武者と馬鹿にされるのも口惜しいであろう・・・」と申してお
   りました、と。

(5)義仲 はすぐにその首を洗わせると、案の定“白髪頭”に変わったので
   あった。

(6)実盛 は、出陣前に 平家総帥の宗盛 に会い「かつての富士川の敗走の
   ことは、老後の恥辱これに尽きます。今度北国へ向かいましたら、必
   ず討ち死にする覚悟です。実盛 は元は越前の国(福井県)の者でしたが
   近年ご領地の役職をいただき、武蔵の国(埼玉~東京)長井に住まって
   おります。世の喩えにも「故郷には錦を着て帰る」と申します。つき
   ましては、“錦の直垂”の着用をお許し下さい」と願い出て、許しを
   得ていたのであった。(長井:埼玉県大里郡妻沼村長井)

     【斎藤別当実盛】天永二年(1111)~寿永二年(1183)

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   一昨日(2月6日)の朝刊に某都市銀行のPRを兼ねて、『今、若者たちへ』
 と題した“中谷巌”さんの一面記事がありました。
  二十代の若者たちが大きく成長するには、何か一つのことに一万時間を
 費やすべきだと・・・、一つのことにそれだけの時間没頭すれば、必ず
 ひとかどの人物になれる(一万時間説)、と云うのである。

  そして、その志を磨くための第一歩は、「日本のことを知る」ことだと
 説いています。

  技術系の世界からスタートした自分も、仕事から離れたら是非とも古来
 の日本の神道を含め、
「日本の文化」そのものを遡って知りたいと思い、
 仕事を退いてすぐに、ある学部で古代史と宗教思想を中心に、かなり没頭
 したものでした。

  一般に、今の小中学生も若い社会人の方たちも、自分たちが住む日本と
 いう国の始まりはもちろん、自分たちの祖先が何を考え、どのようにして
 現在の社会を築いてきたかについて、知識は乏しく無関心ですらあるよう
 に思えてなりません。

  思い立って歴史を紐解いたこともあり、いずれは小さい子供たちに
 “自分の生まれ育った国”の成り立ちを語って聞かせてあげたいと云う
 思いもあって、この十年余り“古典”の原文音読を続けています。

  古事記や方丈記、万葉集や徒然草など感性豊かで美しい和文の世界は
 とても魅力的なものです。

  かつて、「めでたい言葉を発すると、めでたい事が起こる・・・」と
 信じられていた時代がありました。今は「良い言葉を話していると、良
 い人になれる」と云う、話し言葉の専門家もいます。

  しかし、現実の平成の世の中は、“言葉”の乱雑さがとても気になる
 日々の多いことも事実です。日本には「美しい言葉」があります、きっか
 けがあれば「歴史」の扉を叩くことをお勧めしたいと、心から思います。

   (中谷巌:大阪大学、一橋大学教授、三和総研理事長、多摩大学長)

                     平成21年2月9日