* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第七十四句「柳が浦落ち」

2009-12-03 09:59:34 | 日本の歴史

    山鹿城(芦屋)を逃げ出す“平家一行”。一番奥の屋形の船が“御座船
       右上に、背負われた“安徳帝”のお姿が見える。

<本文の一部>

 さるほどに、小松殿(平重盛)の三男左中将清経は、ある夜船の屋形
にたち出でて、なにごとにも思ひ入り給へる人にて、心をすまし、横
笛の音とり朗詠して、こしかたゆく末のことども、のたまひつづけて
「都をば源氏がために追ひ落とされ、鎮西をば維義がために攻め落さ
れ、網にかかれる魚のごとし。いづちへ行かばのがるべきかは。なが
らへはつべき身にあらず」。しずかに経をよみ、念仏して、つひに海
にぞ入り給ふ。男女かなしみけれどもかひぞなき。

 柳が浦にも内裏つくらるべき僉議ありしかども、分限ばければつくられず。また長門より寄すると聞こえしかば、海士の小舟に乗り、
海にぞ浮かび給ひける。

 長門の国(山口県)は新中納言知盛の国なりけり。目代(代官)は紀伊
の刑部大夫道資といふ者なり。「平家の、小船に乗り給へる」よしを
聞いて、安芸(広島)、周防(山口)、長門(山口)三箇国の材木積みたる
船ども百余艘、点じてたてまつる。これによりて、讃岐の屋島にうち
渡り給ふ。阿波の民部成能が沙汰にて、四国のうちをもよほして、屋
島の浦にかたのごとくの板屋の内裏や御所をぞ造られける。

 そのほどは、あやし(粗末な)の民の屋を皇居とし、船を御所とぞさだめける。大臣殿以下の人々、海士の苫屋に日を暮らし、しづがふし
どに夜をかさね・・・・・・・・

   (注) かっこ内は本文では無く注釈記入です。
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<あらすじ>

(1) 折から10月、左中将・平清経(重盛の三男)は、何につけても思
  いつめるお人であったが、ある月の美しい夜、舟屋形の中から舷
  に出て、横笛で朗詠し「都は源氏の軍勢によって攻め落とされ、
  鎮西(九州)は緒方維義のために追い出され、これから先どこへ
  逃げることができようぞ。どうせいつまでも生きおおせる身でも
  ないのだから・・・」と云って、静かに経を読み念仏を唱えて海
  の中へ身を沈めてしまったのである。

(2) 源氏が長門(山口)から押し寄せるとの噂に、慌てゝ漁師の小船に
  乗り移り海上へと移動し、波に揺られることになったのだが・・

   長門の国は、新中将・平知盛の領国であった。目代(代官)の
  紀伊の刑部大夫・道資は、平家の人たちが漁師の小船に乗って
  いると聞き、大きな船百艘余りを用意して献上したので、一門の
  人たちはこれらの船に乗り移って“四国の屋島”へと押し渡って
  いった。

(3) 阿波の民部・紀の(田口)重能(平家の重臣)のはからいで、屋島
  の浜に形ばかりの板屋の内裏や御所を急ごしらえしたが、前内大
  臣・宗盛以下の人々は、漁夫の小屋で日を送り夜を過ごす有様
  であった。
   梶の音や白鷺の遠くの群れにも、「すはっ!源氏か・・・」と
  思い煩い、やがて女房たちも潮風に肌を荒らし、美しい容姿も次
  第に衰え、涙もつきず昔の面影も失せてしまったとか・・・。

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