* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第十五句 「平宰相、少将乞ひ請くる事」

2006-04-15 21:57:33 | Weblog
           縁の上、正面に宰相平教盛、その右に娘婿の少将成経
           急ぎの呼び出しで、清盛邸へ向かう場面

      <本文の一部>
 大納言の侍ども、中の御門烏丸の宿所へ走りかへり、このよしいちいちに申せば、北の方以下の女房たちも、をめきさけび給ひけり。
「『少将殿をはじめまゐらせて、公達もとられさせ給ふべし』とこそ承り候へ。上(大納言・成親)をば『夕さり失ひまゐらすべし』と候。これへも追捕の武士どもが参りむかひ候ふなるに、いづちへもしのばせ給はでは」と申せば、「われ残りとどまる身として、安穏にてはなにかはせん。ただ同じ一夜の露とも消えんこそ本意なれ。さても今朝をかぎりと思はざりけるかなしさよ」とて、ふしまろびてぞ泣き給ふ。

 すでに追捕の武士どもの近づくよしを申しければ、「さればとて、ここにてまた恥がましき目をみんもさすがなり」とて、十になり給ふ姫君、八になり給ふ若君、車にとり乗り給ひて、いづくともなくやり出だす。

 中の御門を西へ、大宮をのぼりに、北山のほとり雲林院へぞ入れまゐらせける。そのほとりなる僧坊におろし置きたてまつり、御供の者ども、身のすてがたさに、たれに申しおきたてまつるともなく、いとま申してちりぢりになりにけり。いまは幼き人々ばかり残りとどまって、またこととふ人もなくてぞおはしける。

 北の方の心のうちおしはかられてあわれなり。暮れゆくかげを見給ふにつけても、「大納言の露の命、この暮れをかぎり」と思ひやるにも消えぬべし。いくらもありつる女房、侍ども、世におそれ、かちはだしにてまどひ出づ。門をだにもおしたてず。馬どもは厩にたて並びたれども、草飼ふ者も見えず・・・・・・

  宰相(平教盛(清盛の弟))中門にましまして、入道相国(清盛)に見参に入らんとし給へども、入道相国出でもあはれず。源大夫判官季貞をもって申されけるは、「よしなき者にしたしうなり候ひて、かへすがへすも悔しく候へども、今はかひも候はず。そのうへあひ具して候ふ者、近う産すべきとやらん承り候ふが、このほどまた悩むこと候ふなるに、このなげきを今朝よりうちそへて、身々ともならぬさきに、命も絶え候ひなんず。しかるべく候はば、成経を教盛にしばらくあずけさせおはしませ。なじかはひが事をばさせ候ふべき」と申されければ、季貞この様を参りて申すに、入道「あっぱれこの例の宰相がものに心得ぬよ」とて、しばしは返事もなかりけり。宰相、中門にて「いかに、いかに」と待たれけり。

                   (注)カッコ内は本文ではなく、私の注釈記入です。   
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<あらすじ>

  大納言・成親 の侍たちは中御門烏丸の成親邸に、西八條の清盛邸から走りかえり、「少将・成経さまや、同じご兄弟の方々も捕えなさるらしい・・・」「殿(成親 )を、この夕方にも処刑しようということです・・)」「こゝへもすぐに追捕の武士たちがやってくると申します、早くどこかへ姿を隠されなくては・・・」と申し、北の方(教盛の娘で、成経の妻)や女房たちは、驚き騒ぎただ泣き伏すばかり。

    しかし、こゝで又、恥をさらすのも口惜しい・・・と、車に乗りあてもな
    く走り出し、やがて北山の雲林院の僧坊に下りるのであった。
    (追捕の検非違使の役人が、罪人を逮捕しその屋敷・財産を没収するや
     り方は、過酷なもので家族への狼藉もしばしばあったと云う。)

  成経 は、後白河院の御所に宿直していたが、大納言の侍から「殿は、西八條に押し籠められ、お子たちも捕えるということです・・」と云っている内に、西八條から 教盛 に、「成経を連れて急いで参れ」との使いがあった旨が伝えられる。

 宰相・教盛 は、急ぎ成経 を伴って西八条へ参り、「成経を自分に預けて欲しい」と助命嘆願をするが、清盛は聞き入れない。

  ついに、この教盛を信用できないのなら”出家遁世”をするほかない!と、
  決意して再度願いでる。 さすがの 清盛 も驚いて、しぶしぶ許したという。