* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第十三句 「多田の蔵人返り忠」(ただのくらんどかえりちゅう)

2006-04-07 12:15:57 | Weblog
            捕えられた新大納言・成親の卿、(まだ謀叛の露見に気がついていない)
       <本文の一部>
 先座主を大衆(だいしゅ)取りとどめたてまつるよし、法皇(後白河上皇)聞こしめして、やすからず(憤懣)おぼしめされける・・・・・・

 新大納言成親の卿は、山門の騒動により、わたくしの宿意をばおさえられけり。日ごろの内議支度はさまざまなりしかども、議勢ばかりにて、させる事しいだすべしともおぼえざりければ、むねとたのまれける多田の蔵人行綱、「このこと無益なり」と思ふ心ぞつきにける。

 成親の卿のかたより「弓袋の料に」とておくられたる白布ども、家の子郎等が直垂(ひたたれ)小袴に裁ち着せてゐたりけるが、「つらつら平家物語の繁昌を見るに、たやすくかたぶけがたし。よしなきことに与してんげり。もしこのこと漏れぬるものならば、行綱まづ失われなんず(殺されるにちがいない)。 他人の口より漏れぬさきに、返り忠して命生きん」と思ふ心ぞつきにける。

 五月二十五日の夜ふけ人しずまって、入道相国(平清盛)の宿所西八条へ、多田の蔵人行きむかって、「行綱こそ申し入るべきこと候うて参り候へ」と申し入れたりければ、「なにごとぞ。聞け」とて、主馬の判官盛国を出だされたり。

 行綱「まったく人してかなふまじきにこそ」と申すあひだ、入道中門の廊に出であひ対面あり。「こよひははるかにふけぬらんに、ただ今なにごとに参りたるぞ」とのたまへば、「さん候。昼は人目しげう候ふほどに、夜にまぎれて参り候。新大納言成親の卿、そのほか院中の人々このほど兵具をととのへ、軍兵をあつめられしこと、聞こしめされ候ふや」。・・・・・・

                   (注)カッコ内は本文ではなく、私の注釈記入です。
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 <あらすじ>  
    明雲先座主を奪還されたことを耳にした後白河上皇(法皇)は、
    憤懣やるかたない思いであった。

    新大納言・成親卿は、平家打倒の相談ごとや準備が、議論ばかりで
    ちっとも進まない有様のなか、贈り物などをして一番頼りにしていた
    多田の蔵人(源)行綱であったが、この行綱は、「この謀叛は駄目だ!」
    と思い、夜更けに平清盛邸にかけこみ、平家討伐の謀叛の計画が
    あることを密告し、成親を裏切ったのである。

    清盛は、すぐさま家来に指示して、その夜のうちに数千騎の軍勢を集め、
    あくる六月一日、成親を初め、法勝寺の俊寛僧都、平判官康頼西光法師
    
など、主だった者を矢つぎばやに引っ捕えるという手をうったのである。

  天台座主・明雲を流罪に処した上皇、西光法師側は、山門(比叡山)の悪僧たちの
”先座主奪還”という大事件に、「後白河院側」も「叡山側」も不穏な睨み合いの真っ最中
であった、その時に「清盛」は、鹿が谷(俊寛僧都の山荘)の陰謀者たちを一網打尽に捕
えて、西光法師を斬首したのをはじめ、次々に処断したため、後白河院側は側近勢力が
潰滅してしまうのである。

           蜜月関係にあった、「上皇」と「清盛」との決定的な対立であった。