* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第二十句 「徳大寺殿厳島参詣」

2006-04-29 17:13:20 | Weblog
               厳島の内侍たちを迎えた清盛邸
                 左上の 清盛 : ”ところで本日の所用はなんじゃ”

     <本文の一部>

  そのころ徳大寺の大納言実定の卿、平家の次男宗盛に大将を越えられて、大納言をも辞し申して、籠居せられたりけるが、「つらつらこの世の中のありさまを見るに、入道相国の子ども、一門の人々に官加階を越えらるるなり。知盛、重衡なんどとて、次第にしつづかんずるに、われらいつか大将にあたりつくべしともおぼえず。つねのならひなれば、出家せん」とぞ思ひたたれける。

 諸大夫、侍ども寄りあひ、「いかにせん」となげきあへり。その中に藤蔵人大夫重藤といふ者あり。なにごとも存知したる者なりけり・・・・・・

 「いかに重藤か。なにごとに参りたるぞ」。「今夜は月くまなう候ひて、徒然に候ふほどに、参りて候」と申せば、「神妙なり。そこに侍へ。物語りせん」とぞのたまひける。かしこまって侍ひけるに、実定の卿「当時、世の中のありさまを見るに、入道相国の子ども、そのほか一門の人人に、官加階を越えらるるなり。今は大将にならんこともありがたし。つねのことなれば、世を捨てにはしかじ。出家せんと思ふなり」とのたまへば、「この御諚こそ、あまり心細うおぼえ候へ。げにも御出家なんども候はば、奉公の輩のかなしみをば、いかがせさせ給ひ候ふべき。重藤不思議の事をこそ案じ出でて候へ。安芸の厳島の大明神は、入道相国のなのめならず崇敬し給ふ神なり。なにごとも様にこそより候へ。君、厳島へ御参り候ひて、一七日も御参籠あり、大将のことを御祈念候はば、かの社には、内侍とて優なる妓女ども、入道置かれて候ふなり、さだめて参りもてなし申し候はんずらん。さて御上洛のとき、御目にかかりぬる内侍ども召し具して上らせましまさんに、御供に参り候ふほどには、うたがひなく西八條へ参り候はんず。入道相国『なにごとにて上りたるぞや』とたずねられば、ありのままにぞ申し候はんずらん。『さては徳大寺殿は、浄海(清盛)が頼みたてまつる神へ参られけるござんなれ』とて、きはめて物めでたがりし給ふ人にて、よきようにはからひもや候はんずらん」と申したりければ、実定の卿「まことにめでたきはかりごとなり。かの様のこといかでか思ひよるべき」とて、やがて精進はじめて、厳島へぞ参られける・・・・・・・・

              (注)カッコ内は本文ではなく、私の注釈記入です。
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    <あらすじ>
  閑院流・藤原公能 の長子・実定 の卿は、平 宗盛 に大将の位を越され、そのショックで大納言まで辞退して邸に籠り鬱々としていた。

  この世は、平家一門の者でなければ出世はとても望めないと、出家しようと思い立つ。  実定の家臣の中に 藤蔵人大夫 重藤 という知恵者がいて申し上げる。

 「世を捨てるなどとは、あまりにも心細い仰せです。私に考えがあります」と次のように進言するのであった。

 「厳島神社(清盛 の尊崇篤き神)にしばらく参籠し、大将への昇進を祈願なされれば、厳島の内侍たちがご接待なさるでしょう。京へお戻りの折にこれら内侍を引き連れてお出でになれば、きっとかの妓女らは清盛邸にご挨拶にまかり出るに違いありません。そこで清盛様から、何事の上洛か?と聞かれて、内侍たちが事の次第を語るでしょう。そうすれば清盛 様も感激しやすい人ですから、悪いようにはなさらないと思います」と。

  実定 は、すばらしい名案だと喜び、早速に精進潔斎をして厳島へ参るのであった。

  七日間のお籠りの中で、今様朗詠の名手である実定 は、内侍たちに今様を歌い、奏楽、歌舞なども奏し、また丁寧に教えたりもしたという。

  参籠が終えて都に上る際、主だった内侍たちが舟をしたてて実定 一行を見送るが、あと二日、あと三日・・・・とのばしつつ、遂に都まで来てしまう。

  徳大寺邸で、もてなされた上、引き出物まで賜って退出するが、案の定!内侍たちは、西八條の清盛邸にご挨拶に伺うのである。

 ここで清盛 は、実定 の厳島神社での参籠祈念のことを知り、この清盛が篤く敬う厳島の神にわざわざ祈願されたのであれば、何とか良いように計らわねばならぬ・・・・と、思はれるのであった。

 やがて嫡男・重盛 の左大将を辞任させ、次男・宗盛 を越えて徳大寺実定 の卿を”左大将”に任じたという。

      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  新大納言・成親 の卿に、このような賢明な策も無く、つまらぬ謀叛を起こして流罪の上”惨殺”されてしまったのは、何とも情けないことであったと、世の人はいう。

          ◎ 史実は、やや前後して異なるところがあるとされています。
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

          ◎ 美しい言葉を使っていると、その人も”美しくなる”と云われます。
            平成の世は、言葉遣いが非常に乱暴で、トゲのある云いようが
            日常的に聞かれます。
           ”身だしなみ”もしかりで、どこかの国をマネるのか
         大へんに”だらしなく”感じるのです。これはマナー違反?なのであります。

              ”おしゃれ” は、自分のため
              ”身だしなみ”は、相手のため