台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台東廳 鹿野村社

2008-10-25 10:20:15 | 台東廳
現在の龍田村はもともと卑南族の狩猟場であった。鹿狩猟する卑南族の狩り小屋が点々としてあったため「鹿寮」と呼ばれた。当時は蝶が空いっぱいに舞い、野生の鹿が群れをなして戯れながら駆け回っていた場所である。それゆえ日本統治時代には鹿野と改められた。
鹿野村社は昆慈堂の庭園にあった。もともとは現在の龍田小学校裏あたりに移民村鹿野の守護神として建立された。昭和6年(1931年)11月13日に現在の昆慈堂に移されている。現在は基壇以外残っていない。本殿のあった基壇の規模は他の社格に神社と比較しても大きいほうである。当時の写真を見ると、鳥居は木製であった。また、写真には神社前に杉の木はなかったが、長い年月を隔てて育った杉の木が神社の存在を今の日に語っているように思われる。


このブログを開設して、早3ヶ月になりました。これでやっと台北州から出発して台東州までたどり着きました。来月からはまた台北州に戻り神社の遺跡を紹介してゆきます。
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