元々の都歷社(社はのこと)は成功鎮の最も南にあるアミ族の最も大きいであり、都歷は「都律」と書き、アミ族語のdulikに近い音訳である。
海岸沿い11号線山側の田園の中に神社の存在感を残すかのように神社の基壇のみが残っている。土地の人の話によると、これまで何度か取り壊すことが計画されたが、そのようなことをするとバチがあたるという言い伝えがあり、現在もそのままになっている。
最近では基壇の上に小さな本殿が建てられたと言う。改めて訪問したいと考えている。
海岸沿い11号線山側の田園の中に神社の存在感を残すかのように神社の基壇のみが残っている。土地の人の話によると、これまで何度か取り壊すことが計画されたが、そのようなことをするとバチがあたるという言い伝えがあり、現在もそのままになっている。
最近では基壇の上に小さな本殿が建てられたと言う。改めて訪問したいと考えている。
墾丁国家公園内にある「瓊麻工業歴史展示区」内に小振りですが立派な鳥居が残っていることはご存知かと思います。ここの神社、或いは祠どちらかは判りませんが、当時の正式名称を教えていただけませんでしょうか?園内に確か解説があったような記憶がありますが、仮令見ていたとしても失念しております。
尚、参考までに私の方で同歴史区を案内した記事は以下のURLからご覧下さい(了):
http://taiwan-kodou.seesaa.net/article/107936114.html