原稿記事の一部から
日本統治時代初期の明治29(1896)年7月、当時の台南県知事である磯貝静蔵がこれまでの開山王廟を神社とすることの申し立てを第2代総督桂太郎に行う。この時の神社の名称は「開台神社」、社格は最高位に属する「国幣社」であった。これに対して、総督府は国幣社扱いを却下しつつも、「県社開山神社」と改める案を拓殖大臣に示した。翌年2月、この改称案が許可され、開山王廟は、改めて日本統治下における最初の「県社開山神社」として列格された。
何故、鄭成功が祭神として祀られるようになったか、自分なりに推測してみました。その中から、当時の台南県知事磯貝清蔵の緻密に計算された思索が見えてきます。是非一読してみてください。
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