高校2年(1980年)の夏だったか、帰りの通学列車(中央本線)にて、いかにも1970年代っぽい大学生風(長髪、安っぽいサングラス、チェック柄のシャツ、ジーパン)のお兄さんたちに絡まれた。ヤンキー以外に絡まれたのは意外であったが、「光州事件」を糾弾するビラを渡され、ご高説をしばし聞かされることとなった。今にして思えば、彼らは信州大学の学生活動家(反YYG系)だったのではないか。高校生の小生には、テレビのニュースの意味がよくわかっていなかったようだが、彼らの話を聞いて、今とんでもないことが起きている、ということが初めてわかった。
それから3年後、小生自身がそっちの世界に片足突っ込んでいるとは、当時予想もしていなかった。駒場は戦国時代の様相を残していたが、全学連(YYG系:現在東大は脱退)の行事に行くと、「一枚岩」の地方大学(お花畑な印象が)だらけという印象。高校時代お世話になった某先輩も、都内の某著名大学細胞の幹部だったらしく、10・21(国際反戦デーだったかしら)の集会(有名な清水谷とかではない)で、「おー、お前委員長(学生自治会のほうであって、当時すでにYYGとは縁を切っていたはず)だってな」と満面の笑みにも、彼ら特有のオーラが、、、。当時、我々が口にしていた懐かしい替え歌。
「読めと言われて素直に読んだ。肩を叩かれその気になった。、、、よせばいいのに同■員。浪花~節だよ、駒場の、駒場の~、み■■■は~」(オルグの情景そのまんま)
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