カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

11月19日「世界子ども虐待防止の日」イベントレポート

2005年11月30日 10時39分05秒 | 子どもの権利の普及
みなさんこんにちは、平野です。

前回は、あまり耳慣れない11月19日の「世界子ども虐待防止の日」がどんな日であるか、ということについてお話させていただきました。そこでも触れましたが、この日世界のいたるところで、子どもの虐待防止を訴えるイベントが行われています。その中のひとつとして、国際子ども権利センターのパートナー団体(支援先)である現地NGO、HCCのシェルターで行われたワークショップをご紹介します。

【自分のような経験は…】

ワークショップは11月19日土曜日の朝8時より、シェルターの少女たちを始め、地域の名士や警察官も列席した中行われました。まずは全員起立の上での国歌「ノーコリアーチ」の斉唱で幕が落とされ、その後HCC代表のテリーさんの挨拶と続き、その後シェルターの少女の代表の挨拶となりました。

以前ご紹介の通り、シェルターにはそこで寝起きする少女たちと通いの少女たちがおり、またいずれの形態をとるにせよ、シェルターで職業訓練等を学ぶのは最長6ヶ月とされています。しかし実際には、様々な事情から年単位でシェルターで生活している少女も少なからずおり、その中のひとりの少女が挨拶をしました。「自分のように虐待を受けてNGOに保護される子どもはもう現れて欲しくない」と力強く言ったあと、「子どもたちの未来にバンザイ!」と声を張り上げた彼女の姿には、もうすっかり顔見知りの少女ですが、改めて胸に迫るものを感じました。

【過去を乗り越えて】

その後は少女たちによる劇です。私はこの劇の簡易版は見たことがあったのですが、今回は衣装も用意し、男性役の少女は顔に墨でヒゲを書くなどしており、また長さも普段よりも長いものでした。内容は、お酒を飲んで暴力を振るう父親をきっかけに家庭が崩壊し、それに伴ってプノンペンに出稼ぎにいくことになった少女が、「レストランのウエイトレスの仕事がある」と騙されて買春宿に売られ、そして苦難の末NGOと警察に救出され、HCCのシェルターの保護される、というものです。

演じている子供たちの中には、実際に劇の内容と酷似した経験を持った少女もいます。見ている子たちは、近隣の貧困家庭から通いの子どもなど、必ずしも性的搾取の被害に遭った子ばかりというわけではありませんし、単純にそういった(墨でヒゲを書くなどの)扮装を面白がって笑っている子もいました。また演じている少女たちもイキイキと演じていました。しかしそこに至るまでに、乗り越えなけれなならない心理的な壁があったであろうことは、彼女たちの迫真の演技が教えてくれました。

【我先に手をあげる少女たち】

劇が終了すると、HCCのスタッフによる子どもの権利や子どもの権利条約についての説明。要所要所で「子どもの定義は?」「子どもの権利にはいくつある?」などの質問を少女たちに投げかけながらのレクチャーでしたが、最後は「一生懸命勉強しなさい」という訓示で終了。「有名な大学に入れるように」でも「有名企業に就職できるように」でもなく「親になったときに子どもを守れるように」「家族を助けられるように」勉強しなさい、という言葉がカンボジアの状況を表しており、印象的でした。

スタッフのお話が終わるとクイズ形式で子どもの権利を学びました。手をあげて指された少女が木の枝にくくりつけられた紙(日本でいうおみくじのよう)に書かれた問題を読み上げ、答えの分った少女たちが手をあげます。問題は「どんな仕事は(子どもがすべきでない)重労働か」「家庭内暴力にはどんな形態があるか」といったもの。正解者に賞品(文房具類)があるせいもあって白熱したクイズ大会のあとは、日本でいうスイカ割りやパン食い競争の類のゲームで盛り上がり、それから皆で昼食を取って終了。

写真(撮影は当センター島野敏行関東委員)にある通り、我先にと手をあげる子どもたちを見ていると、日本の子どもたちよりもよっぽど子どもの権利について知っている、と感じられてなりませんでした。


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ご存知ですか?世界子ども虐待防止の日

2005年11月28日 19時28分21秒 | 子どもの権利の普及
みなさんこんにちは、平野です。
今回は、11月19日の世界子ども虐待防止の日、についてお伝えします。みなさんはこの日をご存知でしたか?

【検索結果 O件】

11月20日は世界こどもの日、これはとても有名ですね。この日は、国連世界子ども権利条約が1989年に採択された日です。この前日にあたる11月19日が、冒頭に申し上げたとおりの「世界子ども虐待防止の日」なのですが、あまり耳慣れない気がします。そこでグーグルでネット検索してみました。

キーワード 世界こどもの日/11月20日     9700件
キーワード 世界子ども虐待防止の日/11月19日    0件

この「世界子ども虐待防止の日」は私の訳語なので、他にも試してみたのですが、結局ヒットしませんでした。少なくとも日本ではマイナーな日であることは確かなようです。

【検索結果  5000万件】

実はこの日は、最近NGOの提唱によって世界子どもの日の前日に設定された日なのです。ですから、あまり知られていないのは当然かもしれません。しかしながら、「World Day for the Prevention of Child Abuse」で検索すると、5000万件以上のヒットがあります。ということは、どこかのNGOが勝手に言っているだけ、などという次元の話ではないのです。

「世界子ども虐待防止の日」は、1991年の3月8日(世界女性の日)にスイスのジュネーブで結成されたNGO、WWSF=Women's World Summit Fundationによって提唱され、2000年から毎年11月19日と定められました。WWSFは、国連の社会経済理事会で協議することのできる地位を持ったいわゆる“国連NGO”となっています。

【この日の持つ意味】

WWSFによると、この「世界子ども虐待防止の日」は、政府や市民社会に、子どもの権利の推進、特に国連子どもの権利条約の中で子どもの虐待を禁じている第19条、そして子どもの性的搾取や子どもポルノを禁じている第34条を守ることにおいて、より積極的な役割を果たすよう啓発する意味で立ち上げられました。

2001年からは多くの国の多くのNGOが賛同し、その輪は広がっており、同年には、国連のコフィ・アナン事務総長も賛同のメッセージを寄せています。また、現在では609を超えるNGOが賛同団体として世界各地で様々な意識啓発イベント等を開催しており、国連難民高等弁務官ならびに国連子ども売買・子ども買春・子どもポルノ特別報告会がこの「世界子ども虐待防止の日」のスポンサーとして名を連ねています。

そして今年の11月19日、前回まででご紹介してきたHCCのシェルターにおいて、子どもたちはもちろん、地元の警察官や名士を集めたワークショップが行われました。次回はその模様をレポートします。

【参考】

国連子どもの権利条約第19条と第34条(国際教育法研究会訳)

第19条 (親による虐待・放任・搾取からの保護)

(1)締約国は、(両)親、法定保護者または子どもの養育をする他の者による子どもの養育中に、あらゆる形態の身体的または精神的な暴力、侵害または虐待、放任または怠慢な取扱い、性的虐待を含む不当な取扱いまたは搾取から子どもを保護するためにあらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとる。

(2)当該保護措置は、適当な場合には、子どもおよび子どもを養育する者に必要な援助を与える社会計画の確立、およびその他の形態の予防のための効果的な手続、ならびに上記の子どもの不当な取扱いについての実例の認定、報告、照会、調査、処理および追跡調査のため、および適当な場合には、司法的関与のための効果的な手続を含む。

第34条 (性的搾取・虐待からの保護)

締約国は、あらゆる形態の性的搾取および性的虐待から子どもを保護することを約束する。これらの目的のため、締約国は、とくに次のことを防止するためのあらゆる適当な国内、二国間および多数国間の措置をとる。

(a)何らかの不法な性的行為に従事するよう子どもを勧誘または強制すること。
(b)売春または他の不法な性的行為に子どもを搾取的に使用すること。
(c)ポルノ的な実演または題材に子どもを搾取的に使用すること。

全条文はこちらをどうぞ↓(子ども権利条約ネットワーク)

http://www6.ocn.ne.jp/~ncrc/doc_1crcj.htm#1_19

WWSF http://www.woman.ch/children/1-introduction.asp


しまった!11月19日なにもしてない!
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HCCシェルターの紹介<訪問しての感想>

2005年11月25日 20時37分08秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは、平野です。
今回は、昨日お伝えの通り、昨日一昨日でご紹介した「NGO-労働組合国際協働フォーラム」主催のスタディツアーに参加された籠橋葉子さんの感想を掲載させていただきます。昨日も申し上げましたが、海外のNGO視察は初めてということですが、連合愛知の一員として、労働者の権利や人権には精通した方でもあります。

※小見出しと太字は平野です。

【少女たちを見ていて実感した、HCCの活動の意義】

「NGO-労働組合国際協働フォーラム」主催のスタディツアーに参加し、ツアー三日目にHCCのシェルターを訪問しました。私にとって初めてのNGO海外視察であり初めての体験ばかりでしたが、今回のツアーの中でもシェルター訪問は強く印象に残っています。

最初にシェルター施設を一通り見せていただきましたが、想像していたより広くて綺麗でした。ただ、壁に貼られている性犯罪への注意啓発ポスター・保護状況を示すボードや看護設備から、危険が身近にあることを感じました。その後、HCCの活動について説明を受け意見交換し、①HCCの活動が単なる保護・シェルターという一時・緊急支援にとどまらず、予防、教育、意識啓発、収入向上、コミュニティベースの環境づくりなど複合的なアプローチを進めていること、その重要性②子どもたちが保護される理由には、人身売買や性的虐待のみならず、DV、薬物中毒、貧困、孤児など様々な背景があること③シェルターにおいて水(乾季には水質悪化)・電気(停電トラブルが多発し夜子どもたちが勉強できない)などのインフラに問題を抱えていること④村の人たちにはHIVという概念が新しいものだったということ、日本の「セクハラ」同様、潜在的な問題に新しい概念を与え言語化することの意義の大きさ、⑤ハイリスク家庭の少女は復帰成功率が低いこと、などが分かりました。

その後、シェルター内の少女たちとの交流タイムでしたが、「被害を受けてトラウマを抱えている少女たちなので、他人に対してナーバスな部分があり・・・」と事前に聞いていたので、彼女たちとどう接したらよいのか実は最初とても緊張していました。しかし、「NGOに助けてもらって私たちは嬉しい。私たちの権利が守られている♪」という彼女たちオリジナルの歌と踊りでの歓迎をうけ、一緒に折り紙を折り、写真を撮りあい、お土産に持っていった長繩で彼女たちが楽しそうに遊んでいる姿をみているうちに、最初の心配はどこへやら、思わず一緒に楽しんでしまいました。彼女たちが生来持つ明るさ・強さと、それを引き出し支えるHCCスタッフや周りのチカラの成果なのだなぁと、活動の重要性と意義を感じました。

【少女たちが夢を持てる社会に】

一方で、彼女たちの屈託の無い明るい笑顔はひとつの真実としても、その裏に彼女たちが多くの問題や困難を抱えていることもまた事実なのだと、改めて考えさせられました。
今回写真撮影の許可をいただきましたが、実は訪問にあたって写真撮影をOKするかどうか皆で事前に話し合ったそうです。彼女たちの状況を考えれば写真を撮られることに抵抗があるのは当然の事と思いますが、「自分たちの状況を知ってほしいし伝えたいから」ということでOKになったと聞きました。「将来何になりたい?」とも尋ねてみたかったけれど、出会って数時間の人間が迂闊に聞くことはためらわれ、聞くに聞けなかったことが残念でした。彼女たちの夢が何でそれが実現できるかという事より、まず夢を持てる環境が必要だしそういう環境になってほしい、シェルターの外に出てからも、彼女たちが自立でき、被害を受けたことが彼女たちのハンディにならない差別・偏見のない社会となってほしいと願っています。

【少女たちと自分の関り、そして自分にできること】

カンボジアにおける子どもの商業的性的搾取や虐待の根本的かつ主要な原因は、貧困にあると思います。もちろん、だからといって搾取の正当な理由にはなりませんが、ただ先進国・経済大国に生まれ育ち、なに不自由ない生活をしている我々が、貧困とは何かを理解もせず、ただ「あってはならない酷いこと」と言うことはできないと思いました。貧困を、単なる物質的な「欠乏」としてではなく、人間らしく生きる権利の「剥奪」として捕らえる必要があります。
また、途上国の貧しさは、自分(先進国)の豊かさと無関係ではなく、グローバル社会の中では自分が意識する・しないに関わらず密接につながっており、直接的な加害者ではなくとも間接的な加害者になっているかもしれません。頭では分かっていてもなかなか実感として持ちにくいことですが、現地で彼女たちと接することで自分との関わりを肌で感じることが出来ました

最後に、組織人としてではなく一個人として出来ること、HCCその他直接支援をするNGO団体を間接的に支援していくこと、問題を知ること、それについて考えること、伝えること・・・小さな事ではあっても出来ることを行動に移していくことも大切だと考え、少しずつですが行動しています

※写真はシェルターで作られたクロマー(カンボジアてぬぐい)です。あまり面白くない写真ですが、職業訓練を受けた少女たちの明るい前途を祈って。

あなたも、小さいことから行動に移してみませんか ↓

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HCCシェルターの紹介<連合のみなさんが訪問2>

2005年11月24日 13時19分43秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは、平野です。
昨日に引き続き、連合のスタディーツアーのみなさんの訪問の様子をお伝えします。昨日は施設の概要やプログラムの内容についての説明を受け、そして少女たちに自己紹介をしたところまでお伝えしました。今日はそのあと、みなさんからと少女たちの交流の様子をお伝えしています。また、このスタディーツアーは「NGO-労働組合国際協働フォーラム」主催のスタディーツアーです。今回のご報告の最後に、参加者の方からいただいた詳しい説明を添えさせていただきました。

【遊びに夢中の少女たち(参加者のみなさんも?)】

そして代表の阿部さんより贈り物の進呈。縄跳びや学用品、折り紙が贈られました。そしてその中の折り紙、長縄跳びを早速開封。折り紙をしたい子は室内、長縄跳びをしたい子は表に出て遊びました。炎天下の長縄跳びはなかなかハードでしたが、少女たちは元気一杯。跳んでは歓声、引っかかっても歓声の楽しいひとときになりました。一つ感心したのは、自分勝手な子がおらず、自分も遊びながらも盛んに周りに遊ぶよう勧めること。子どもたちに誘われ、参加者の皆さんも久しぶり(何十年ぶりに方も??)の長縄跳びで汗を流しました。

少女たちが遊ぶ庭の奥には池があります。これは少女たちの洗濯と水浴びの給水源です。「“この池の水で女の子たちが体を洗うんだよ”って写真見せてもうちの娘たちわかんないだろうなー」という声が参加者の方から漏れたのが印象的でした。日本の普通の家庭のお子さんでは想像がつかないのが普通だと思います。(その後日本人の方の支援で井戸が掘られました)

折り紙チームは参加者の皆さんを中心に輪になる形で熱心に思い思いの折り紙を製作。長縄跳びのような歓声は上がりませんが、皆夢中になっているのが分かります。中には鶴よりも複雑と思われる、花で飾られたハートマークや、カンボジアらしく蓮の花を作る子もいました。食事ができた頃にはさすがの長縄跳びチームも疲れていましたが、折り紙チームは夢中。子どもたちのみならず、参加者の皆さんまで、何度も「ご飯ですよ」と呼びに行かないと腰を上げないくらいでした

【短くとも忘れられない時間】

昼食はテーブルと長椅子を並べて総勢70名以上のもの。スープと卵焼きのカンボジア家庭料理でした。普段は調理場横で食事をする彼女たちですが、屋根が小さく、雨が降ると止むまでご飯が食べられないのが難点だそうです。食事が終わった後、さっそく長縄跳びを再開する子どもたちがいたのはビックリしましたが、それほど気に入ったということでしょう。またデジタルカメラも大人気。参加者の皆さんのデジカメを使い、参加者の皆さんを囲んだり、少女たち同士お互いを撮ったり、これがフィルム時代だったら何回交換したかというくらいの大騒ぎでした。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、お別れの時間となりました。バスに群がって手を振る子どもたちに手を振り返す参加者の皆さん。一週間後にまたくる予定の私さえも胸が熱くなるものがありました。

【“NGO-労働組合国際協働フォーラム”について】

以下、参加者のお一人、連合愛知の籠橋葉子さんからいただいた説明です。
また、さらに詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい。
http://www.jichiro.gr.jp/international_dept/kanpa/20040806_forum/index.htm

ツアーを主催した「NGO-労働組合国際協働フォーラム」は、NGOと労働組合が協働してミレニアム目標を達成することを目的としていますが、連合(労働組合のナショナルセンター)という組織の一員として考えた場合、労働組合の持つリソースの活用、スケールメリットを生かした社会への働きかけ、労働を通じたネットワークの利用などなど、労働組合として果たせる役割は少なくありません。グローバリゼーションの中での企業のCSR・・・ILOの中核的労働基準(結社の自由・団結権の保障、差別の撤廃、児童労働・強制労働の不使用)の遵守など、労働・人権という社会的な問題に対して、企業だけでなく労働組合やNGOも参画して進めていくことが重要です。今後その目的を実現する為に、試行錯誤しつつも自分たち組織の課題としてどれだけ本気で具体的な取り組みをするか、次第ではないかと思います。

次回は籠橋さんの感想を掲載させていただきます。海外のNGO視察は初めてということですが、連合愛知の一員として、労働者の権利や人権には精通した方でもあります。今回の訪問でどのようなことをお感じになったのでしょうか。是非ご覧下さい。

元気一杯の子どもたちが一人でも増えるように、みなさんの力を貸してください。↓
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HCCシェルターの紹介<連合の皆さんが訪問>

2005年11月23日 19時57分17秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは、平野です。
昨日一昨日でHCCのシェルターの紹介をざっとさせていただきました。このシェルターにはたくさんの日本からの訪問客があります。その一つ、連合のみなさんのスタディツアーの様子を、参加者の方の感想を交えて、2回に分けてご報告させていただきます。

【若い世代にかける期待】

7月19日火曜日、労働組合連合の皆さん11名が(特活)シェア=国際保健協力市民の会の山口さん、そして国際子ども権利センター事務局長岩附の引率のもと、HCCのシェルターを訪問されました。

朝8時ホテルを出発、バスの中でシェルターやシェルターでの活動を簡単に説明し、9時前にはシェルターに到着、事務所で代表のテリーさんから、シェルターにいる少女たち、また職業訓練などのシェルターで行われる活動について説明を受けました。質疑応答ではシェルターを出た少女たちへのフォローについて等の鋭い質問が出た他、カンボジア政府の政策についての提言も交わされ、テリー代表も真摯に答えてくれました。中でも「この30年間でこの国の文化は破壊されました。汚職も酷いものです。一旦そうなったものを変えていくのは困難です。しかしだからこそ若い世代への期待が高まります。10年20年といったスパンでこの国が良くなればと思います」という言葉が印象的でした。

事務所を出て、看護室、識字学級の教室、そして本館1階の職業訓練所、そして2階の宿泊施設に歩を進めました。看護室の設備には皆さんもなかなかという印象を受けたようですが、常駐の看護士さんがいないのが問題です。

職業訓練所では訓練を受ける少女たちの様子を見学。ミシンをかける少女たち、機織りをする少女たちは笑顔でしたが、メークアップの勉強をする少女たち(練習台になっている方)はちょっと恥ずかしかったでしょうか。

【子どもたちの自作の歌】

2階は宿泊施設といっても「雑魚寝だね・・・」という呟きが参加者の方から上がったように枕とゴザがあるだけのタイル張りのガランとした部屋。そこで少女たちによる歌と踊りの歓迎を受けました。数名の少女たちによるものだったのですが、他の子たちも押し寄せ一大リサイタルになりました。3曲披露してくれた中で、彼女たちの自作であるという歌に合わせた踊りが胸を打ちました。内容は、「さまざまな苦難を受けたけれど、NGOに助けてもらって今は幸せに暮らせるので嬉しいです」、といったものですが、あどけない彼女たちがどんな苦難を受けてきたのかと思うと胸に迫るものがあります。

今度は参加者の皆さんから自己紹介と「幸せなら手を叩こう」の披露。クメール語でも同じ歌があるということで少女たちも披露したのですが、応用バージョンは知らなかったのかキャッキャと喜んで一緒にやっていました。(次回に続く

【参加者の方の感想その1】

子どものシェルターを訪問して

                  国際食品労連日本加盟労組連絡協議会
                      IUF-JCC)事務局長 見里朝士

 2005年7月、「NGO-労働組合国際協働フォーラム」視察団の一員としてカンボジアを訪問した。視察団では多くのNGOの活動を視察したが、その中でも特に印象に残ったのが、国際子ども権利センターが支援している現地NGO、HCCが運営する「子どものシェルター」であった。大縄跳びや折り紙で明るく遊ぶ、あどけなさを残す女の子たちが、心に傷を持っていたり、非常に貧しい家庭の子であったりすることに想いを馳せると、やるせなさで心が一杯になってしまった。カンボジア全体の深刻な状況を考えると、ちっぽけな貢献に過ぎないかもしれないが、「子どものシェルター」が提供する支援は、確かな形で子供たちに届いている。彼女たちが、無事それぞれのコミュニティに復帰できることを祈念する。

※写真は自己紹介をする参加者のみなさん。不鮮明な写真ですが、シェルターの性質上個人の判別できない写真を使用しています。

「今は幸せです」と言ってくれる子どもを一人でも増やすために↓

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HCCシェルターの紹介<人気の職業訓練は?>

2005年11月22日 19時48分07秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは。平野です。
昨日に続き、HCCのシェルターについてご紹介します。
昨日の概要で触れましたが、HCCのシェルターで行われている職業訓練には、手工芸品・理容・織物・洋裁の4つのコースがあります。今回はその中で最も人気がある洋裁コースについてお話します。

【縫製工場へのあこがれ】

洋裁コースは2種類に分かれます。足踏みミシンを使用した自営向け洋裁コースと、電動ミシンを使用した縫製工場向け洋裁コースです。そして全コースを通じて、最も人気が高いのが縫製工場コースなのです。

この縫製工場向け洋裁コースは、比較的習得が簡単らしく、早い子は1ヶ月程度で最低限の技術は習得してしまうそうです。また、最終的に自営を目指している子が、資金をためるためにまずは縫製工場で働く、というケースもあるといいます。

人気の秘密には、一つには縫製工場で働く場合、寮に入って他の女の子たちと共同生活できることもあるようです。やはりプノンペンで働くにあたり、身寄りのない人は一人では不安でしょうから、もっとも理由ではあります。一方で、複雑な背景を持った子もいますので、村に帰りたくないのかな、という懸念も頭をよぎります。

【シェルターを卒業したら】

縫製工場への就職斡旋、というのは、人身売買業者の手口であるウソの仕事斡旋によく見られるパターンではありますが、このシェルターを卒業した子の場合は、HCCのスタッフが現場に足を運び、マネージャーなどと面会した上で、労働環境等が適切と判断された工場に斡旋されていきます。また、就労に必要な書類等を揃えるため、村長などに連絡を取るのもHCCスタッフの役目です。

住居についてもHCCが斡旋します。工場の周辺に5人などの相部屋で住むということです。最初の一ヶ月は、住居費と食費をHCCが支援します。これは最初の給料日まで収入がない事を考慮しての措置です。その後引っ越したいという希望があれば、HCCに届けさえ出せば引越しはもちろん可能ですが、これまで希望者はいない、ということです。そしてこの工場・住居の斡旋のほかに、月2回彼女たちを訪ねてフォローアップをするのもHCCスタッフの仕事です。

【よしとすべきか、どうなのか

彼女たちの見込み収入は25ドル~80ドルといいます。チーフなどになれば100ドル以上稼ぐ人たちもいますが、それはごく一握りの人たちです。出勤日ベースで支払われるため、病気などで休むと一気に生活に響くこともあるでしょう。また住居は前述のように相部屋が普通ですし、工場での虐待や不当な給与未払い、夜勤時の強盗事件なども耳にします。先日の講演会が盛況のうちに終わった元女性省大臣ムー・ソクアさんも「縫製工場で働く女の子たちにいい生活をしている子などいない」とおっしゃっています。HCCのスタッフはできる限りのことをしていますし、買春宿に売られることを考えたら、とも言えますが、それはやはり言うべきではないでしょう。

そしてまた、今後カンボジアの縫製業界がどのように発展していくのか、という点も懸念材料です。幸い今年は好調ですが、インドと中国は依然大きな脅威です。また、洋裁は多くのNGOの職業訓練の定番です。今後どんどん供給が増えていった場合貧しい人の職を貧しい人が奪うようなことにはならないでしょうか?やはり開発に関る中で「富の再配分」というテーマからは逃れられないように思います。

※写真はシェルターで作ったクロマー(カンボジア手ぬぐい)を手にした少女です。撮影は当センターの永野恵理関東委員です。

1000円だって立派な「富の再配分」です。そして、カンボジアでは10,000円、またはそれ以上の価値があります。↓
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HCCシェルターの紹介<人身売買の予防と被害者のケアのために>

2005年11月21日 12時05分56秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは、平野です。カンボジアは水祭りのお祭り(地方では収穫祭でもある)があり、忙しく日々が過ぎ、アップが遅くなりました。

今日は国際子ども権利センターが、SBPN(School Based Prevention Network=学校ベースの人身売買防止ネットワーク)の活動をプレイベン州で支援している現地NGOのHCCが日本大使館や他のNGOに支援されて運営しているシェルターをご紹介します。

【施設概要】

* 建設・・・2004年
* 資金・・・主に日本大使館「草の根無償資金協力」による(3棟の建物)
* 最大収容人数・・・100名
* 電気・・・売電屋より調達、停電トラブル多発
* 水・・・池の水を汲み上げていたが、最近井戸を建設。飲料水は購入。
* スタッフ
識字教育教師・・・1名  ソーシャルワーカー・・・2名  職業訓練教師・・・4名
寮長・・・1名  調理師・・・1名  看護婦・・・1名(非常勤)  守衛・・・2名

【プロジェクト概要】

【1】プロジェクト名
Reduce child labor through education  教育を通じた児童労働の削減
※ 子どもの性産業への従事はしばしば「最悪の形態の児童労働」と表現されます

【2】実施期間・・・2005年5月~2006年10月(18ヶ月)

【3】裨益者
  人身売買の被害少女・被害に遭う危険の高い少女・貧困家庭の少女・家庭内暴力の被害少女・孤児といった保護と支援が必要な18歳以下の少女。シェルターに住み職業訓練を受ける約200名・自分の家から公立学校に通う約200名の計約400名(のべ人数)。公立学校に通う少女たちは、一度学校を中退したが再度通おうしている、あるいは中退する危険の高いと思われる少女たちである。それらの少女たちも、少なくとも一度はシェルターを訪れ、1~2週間滞在し、「人身売買業者の手口」といったトレーニングを受け、その後HCCから教育支援を受ける。
   ※原則少女です    ※一度に400名ではなく、18ヶ月のトータルです

【4】シェルターでの活動内容
  ソーシャルワーカーによる調査、または伝聞などから得られた情報をもとに少女を保護。滞在期間は原則6ヶ月以内で、その間に職業訓練等を通して自立を目指す。
  職業訓練
  手工芸品・洋裁・織物・美容(理髪)の中から少女と相談して選択
  1日4時間×週5日
  識字教育
  1日2時間×週5日

【5】備考
※ 手工芸品やバッグ等の職業訓練所で作られた製品には、HCCに買い上げられオーストラリアで売られる、施設訪問者の方の購入、卸売業者への納入といった販路がありますが、販路拡大が望まれています

※ 規定では滞在期間は6ヶ月以内とされていますが、子どもによっては必要に応じてそれ以上の滞在も可能です

※ このシェルターの建設以前から別のもっと小さなシュルターで保護活動は行われていました。現在このシェルターで生活する子どもの中には、その当時からの子どももいます。

※写真はシェルターのメインの建物(職業訓練所と宿泊施設)で、撮影は入江詩子さんです。

人身売買被害を受けた子どもや孤児のために、そして全てのカンボジアの子どもたちのために、あなたも私たちと一緒に行動しませんか。↓

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AFESIP保育サービス進捗報告その3

2005年11月11日 19時51分35秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは、平野です。
これまでアフェシップの保育サービスの紹介をしてきましたが、概要の説明・サービスの受益者である母子の説明、ときて、今回はその第3弾として、ケアテイカー(保育スタッフ)をご紹介してこの項終わりとさせていただきたいと思います。

【ケアテイカーの紹介】

アフェシップのシェルター「トムディセンター」で働く保育スタッフは25歳の大学1年生ニエットさんです。保育サービスの経験は、ゴールデンチャイルド、というあの洗剤などで有名な大企業ジョンソン&ジョンソンが資金を出しているNGOで4,5ヶ月ほどあるそうです。学費を稼ぐことを目的に働いているが、子どもは好き だということでした。夕方5時、お母さんが職業訓練を終えるまで働き、その後学校に行くようです。

【始めは難しかった子どもたちとの付き合い】

今は子どもが来たときよりも元気になってうれしい、と語るニエットさんですが、始めの頃は子どもが馴染んでくれず、またお母さんに会いたがって泣いたため、苦労したようです。また保育サービス開始にあたっては、そのゴールデンチャイルドに行ってどのようなものが必要なのかを調べたそうですが、棚に目をやると明らかに過剰な哺乳瓶など、正直首を傾げたくなる部分も。保育サービスの経験があるとはいえ、日本のように保育士の資格があるわけでなく、先輩スタッフに教わっただけということですから、彼女自身勉強中なのもまた事実でしょう。ともあれ。今は子どももなついており、彼女も楽しそうに子どもたちのケアをしています。

今後欲しいものとしては、オモチャや小さな滑り台、それに三輪車があると良いのだけれど、とのことでした。物価の安いカンボジアですが、子供用滑り台など買えるのはごく一握り。それだけに価格は高く、200ドルくらいするので、今は買うことができません。

また、子どもの体重を量るすべもなく、定期的な健康診断も行われていません。ただし、なにかあった場合にすぐ対応する体制はできているということです。

【働くということ】

スペースに余裕があるので、ちょっと私見を述べさせていただきます。私もこちらで孤児院などをいくつか見てきました。子どもたちは本当に可愛らしく、遊ぶのは楽しいのですが、孤児院等の施設で働く職員は、別にいつも慈愛に満ちた笑顔をたたえているわけではありません。むしろ忙しそうにちょっと不機嫌な顔をしていることも多いかもしれません。そして見学に来た人の中には、そこに違和感を感じる方もいるようです。

しかしながら、良くも悪くも、多かれ少なかれ「同情」や「優しさ」を胸に抱いて子どもたちとの「ふれあい」に期待してたまにやってくる人たちと、毎日そこで働いている人たちは違います。カンボジアにおいては、多くの人たちにとって、仕事は「自己実現」であったり「夢」であったりする以上に、なによりも「生活の手段」なのです。このニエットさんも、彼女が子どもが好きだということになんら疑いは抱いていませんが、「どうしてこの仕事を?」という問いにはまず「学費を稼ぐため」と答えました。

そして、それこそ良くも悪くも善意や熱意の強さが先に立ち、待遇面等の諸問題が未解決のままの日本のNGO業界に対し、カンボジアにおいてはNGOで働くということは高給を意味します。もちろんだからと言って、カンボジアのNGOワーカーや、このニエットさんのようにNGOの活動に関連して職を得ている人たちに善意や熱意がないと言っているわけではありません。個人差はあれ、もちろんあるでしょう。ただ、そういった仕事やNGOに対する考え方の違いを頭に入れておくことも、特に現地に関る人間には必要なことだと思います。

※写真はニエットさんと赤ちゃんです。

今回でアフェシップ保育サービスの進捗報告は終わりです。
今後サービスを受ける母子は増えていく予定です。
カンボジアの子どもたちのために、日本にいても、できること↓

http://jicrc.org/pc/member/index.html

AFESIP保育サービス進捗報告その2

2005年11月10日 17時00分01秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
みなさんこんにちは、平野です。ソクアさんを囲む会直前企画などあり、当初連載のつもりのはずが間が空いてしまったAFESIPの保育サービスの進捗報告ですが、今回はその第2回をお届けします。記憶の曖昧な方もいると思うので、前回のブログを貼り付けます(10月21日)。この保育サービスの概要をご説明しています。 http://blog.goo.ne.jp/jicrc/e/bc665f10a3f7551fca6c2d2aa5c467b3

おかげさまで1ヶ月前と比べて閲覧者数が倍増しています。今後ともご愛読、ならびに周囲の方々へのご紹介のほど宜しくお願いします。

【18ヶ月と10ヶ月の姉妹??】

10月20日訪問時に保育サービスを受けていたのは、2人の子どもでした。同じお母さんの子どもです。お母さんは17才。2人ともレイプされて産まれた子どもだということです。そして彼女の説明によると、上の子は18ヶ月で、下の子は10ヶ月近い、とのこと。言われるままにメモを取っていた私ですが、よく考えると間が8ヶ月しかありません。もう少し聞いてみると、最初の子どもを産んでから、すぐにまたレイプされるた、その間は4ヶ月くらいだった、ということ。ますますもって計算が合いません。

しかしそうは言っても、彼女の答えは曖昧なもの。実際に子どもの年齢をあまり把握していないものと思われます。私もちょっと驚きました。しかし、カンボジアに来たばかりだったら、3倍は驚いていたでしょう。出生登録もしていなければ、母子手帳もない状況、そしてレイプされたショックは当然大きいでしょうし、そもそも彼女は学校に行っておらず、計算があまりできないのです。私はそれ以上お母さんを追及しようとは思いませんでした。しかしこのように母親が、自分の子どもの年齢も正確にわからない現状が、適切なケアを子どもに与えられない、ということにつながり、カンボジアにおける発育障害の多さに大きく関係していることは言えるでしょう。

【お母さんの生い立ち】
この17歳のお母さんは孤児です。電気関係の仕事をしていた父親は彼女がまだ赤ちゃんの頃に感電死し、別の男性と再婚した母親も先日亡くなったそうです。彼女は学校にはほとんど行ったことがなく、小さいうちから農作業を手伝い、14歳のときに親に決められて結婚。しかし夫はタイに出稼ぎに行ったきり戻らず、そして前述のレイプ被害に遭い、祖母が村長などに報告し、アフェシップのシェルターに連れてこられることになったということです。

今彼女はシェルターで洋裁を学んでいます。ケアテイカーが子どもを見ているため、時々は心配になることもあるけれども、集中して学べると言っていました。しかし洋裁を学ぶ上では、寸法を測ったり、なにかと数字が絡んでくるため、学校に行っていない自分には難しい、とも漏らしていました。

【教育の大切さ】

自分の村に帰って食料品や洗剤などを売る小さなお店をやりたい、と希望を語ってくれた彼女ですが、それは洋裁以上に計算能力を必要とする職種ではないでしょうか。これは私の全くの推測ですが、おそらく彼女はそこまで思いが至っていないのではないかと思います。商店(お店)と聞いて、すぐに原価率・粗利益・在庫管理…といった言葉が浮かび、「難しいな」と感じるのは、それだけの知識があるからです。あえて強い言い方をすれば、「自分には教育がないから、難しいのではないか」と気がつくこともないくらいに教育がない、というふうに私には思えました。

【子どもたちのために】

保育サービスを受けるようになって子どもの皮膚の状態が良くなったのがうれしい、という彼女は、「2人の子どものために一生懸命学ばなくては」と語ってくれました。識字教室についても、まだ始めていないが、やってみたいと意欲を見せてくれました。時計の針は戻らなくとも、まだ17歳と若いお母さんです。この保育サービスを受けられるようになり、とにかくスタートラインに立ちました。ここからは彼女の頑張りにかかるところが大です。「子どもたちのために」という彼女の言葉に期待したいと思います。

※写真はお母さんと上の子どもです。なんともいえず愛嬌のある顔をした赤ちゃんですね。

このお母さんと赤ちゃんのために、カンボジアの子どもたちのために、なにかできることがないか、と思ったみなさん。できることはあります。

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増え続ける子どもに対するレイプその2

2005年11月09日 00時00分01秒 | カンボジアの子ども
みなさんこんにちは、平野です。

実はまだ8日なのですが、9日扱いでアップします。ここのところ大変好調なブログですが、昨日のブログ閲覧者数は過去最高でした。これからもご愛顧ください。

昨日申し上げたとおり、4日付のカンボジアデイリー紙より、深刻化する子どものレイプ被害について、ある一人の少女に起きた出来事を軸に伝える記事の翻訳です。やりきれない内容ですが、これもまたカンボジアの子どもが、そして女性が置かれた現状です。彼女の母親の発言に耳を傾けてください。

原題:For Child Rape Victims, the Pain Goes On By Whitney Kvasger and Thet Sambath

翻訳:平野 監訳:甲斐田

見出しは段落の第一文、太字は訳者

<レイプ被害を受けた子どもの苦悩は終わらない>

バンテアイ・ミエンチェイ州

【アドホックは、カンボジア全土の事務所で、確実に増えている子どものレイプの対応に当たっている、】

と州事務所代表のイェン・メングリーは言う。彼女はバッタンバン州は増加が顕著な州のひとつで、1月以来子どものレイプ被害は32件を数えると、と語る。彼女によると、2004年にアドホックが同州で扱った子どものレイプは4件だった。リカドでは、今年これまでに159件の子どものレイプを扱った、と子ども権利担当者のパヴ・キムサンは言う。2004年は1年で140件だった。

子どものレイプについての正式な国の統計は存在しない。そして政府役人も、NGO関係者も、この増加の原因がより多くの人がレイプを告発するようになったからなのか、それとも実際の数が増えているからなのか、については共通の見解をもっていない。しかし多くの人が、レイプを取り巻く法的な不備を考えると、実際に件数が増えているのだろうし、これからも増えるだろう、と語る。

カンボジア女性クライシスセンターのオーン・チャントールは、レイプ犯のうち逮捕されて刑務所に送られるのは1%に過ぎない、そして、被害者がいつ、いくら金銭的に補償されるのかについて、法律は曖昧である、と語る。イン・クター・パビーはレイプ犯が年間何人逮捕されたり、有罪になっているのか、についての数字は示すことはなかったが、カンボジアの法制度を擁護した。「我々は全てのケースを追い、全ての被害者、特に子どもの被害者が確実に法に守られるよう努力しています」と彼女は言う。バンテアイ・ミンチェイ州の刑事部長タッチ・ソバーンは「シエン・モンはプン・シークのレイプの件で逮捕され、有罪判決を受け、監獄に送られた」と語る。しかし警察は彼が今も刑務所にいるかどうかは知らなかった。

【涙が頬を伝う中、プン・シークは、学校で2年生だが、勉強に集中できないし、友だちも少ししかいない、と言った。】

そして目と頭がいつも痛いと訴え、両親に自分を医者に見せる余裕があればいいのだけれど、と言った。話し終えると、身を縮めた。彼女の小さな体は嗚咽に揺れていた。村人たちは話に加わり、彼女と彼女の将来について意見を交わした。彼らはプン・シークに同情し、シエン・モンをののしったが、コー・ソウル村の村民たちは、プン・シークは「壊れてしまった妹」だとみなしている。

「そいつがここにいたら、死ぬまで殴りつけるだろう」と人垣にいた24歳の隣人ソク・サンは言った。「小さな女の子をレイプして、彼女たちを苦しませ、ハンディキャップを負わせるなんて。もし知り合いだったら、警察が止めるまで俺はそいつを殴るだろう」と。プン・シークの母親、プン・シーもまた希望をもてないでいる。「娘はこんなふうに襲われてしまって、まともな大人にはなれないでしょう」彼女は言う。「彼女にはよくない未来しかありません。彼女は傷ものになってしまったのですから

【31歳のプン・シーは小枝で地面を掘りながら、静かに彼女の娘の内面の変化を説明した。】

かつては活発だった娘は、引っ込み思案になり、どこに何をしに行こうとしたのか思い出せないまま家を出てさまよったりすると言う。プン・シーは、タイに出稼ぎに行き、唐辛子とキュウリを摘む仕事をする自分たち夫婦には、医者に見せるのはもちろんのこと、薬を買ってやるのに十分な稼ぎもない、と言う。「娘がどう育つかはわかりませんが、盲目になるのではないかと心配しています」娘の残りの人生については、「希望はもっていません」と彼女は語った

※写真は、その母親、プン・シーさんです。彼女の発言は、ややもすると冷たく響いたかもしれません。しかし親としての愛の問題ではなく、現実の社会のあり方を鑑みると、彼女は「希望がかすかである」という事実を正直に述べているだけ、と訳者には映ります。