カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

カンボジアにおけるエイズ問題(2)

2007年10月13日 12時23分16秒 | Weblog
こんにちは、カンボジアの中川かすみです。前回に引き続き、エイズで父親を失ったマリーの紹介です。マリーはすでにエイズで倒れた母親と、幼い妹・弟を経済的に支えるため、お菓子を売って生計をたてていました。マリーはそんな困難な状況の中、小学校のときの先輩と再会し、彼とデートをする仲になりました。


彼は、ぜひマリーと恋人になって将来結婚したいと言い、彼の両親に正式にマリーを紹介しました。結婚前の男女がデートしている様子は、都市部では見られるようになってきましたが、それでもまだ多くの両親はいい顔をしません。田舎ではお見合い結婚がまだ普通であり、結婚前の男女が二人でどこかに行くのは「不良」のすることだと思われています。彼がマリーを両親に紹介したとき、マリーの両親がエイズに感染していることは黙っていました。きっと両親が差別するだろうと彼が配慮したのです。ところが、彼の両親は、マリーが豊かな家庭の娘でないことを理由に、息子がマリーと関係を続けることを禁止しました。彼は裕福な家庭の息子だったので、結婚相手も裕福な家庭でないと両親が主張したのです。彼はとても残念がりましたが、カンボジアの伝統では、両親の命令に背くことは社会的な制裁を受けることにつながるかもしれません。彼はしばらくは隠れてマリーに会っていましたが、だんだんその回数も減り、最後には彼がマリーと会うことはなくなりました。

マリーの母親も、二年ほど病床にあっただけで、あっけなく亡くなりました。マリーは妹と弟の四人だけで生きていかなければなりません。母親が死んだ時、近所の人たちはマリーたちを差別しました。ほんの小さなお葬式しか出せなかったものの、近所からは誰も参列してくれませんでした。マリーたちと話そうとする人もいませんでした。幸いマリーの妹の担任の先生はとても理解があって、クラスメートにエイズで生きる人たちを差別しないように教育してくれました。そのおかげで、妹たちが学校でいじめにあうことはほとんどありませんでした。これは非常に珍しいことで、エイズで両親を亡くした子どもがいじめのターゲットになって学校をやめる場合が少なくありません。両親が二人だけで地方から出てきたため、親戚ともほとんど付き合いはありません。

マリーは、妹たちと弟の三人を育てる義務を負ってしまいました。 お菓子を売る仕事だけでは妹たちを学校に送ることができなくなり、縫製工場で働くことにしました。マリーは、まだ十八歳になっていませんでした。カンボジアでは数え年で年齢を数えるので、まだ十七歳の時に縫製工場で働き始めたのです。一ヶ月五千円程の給料でしたが、家は自分たちの所有だったので、なんとか生活できました。でも、マリーは縫製工場の仕事が嫌いでした。工場の中の空気はどんよりと濁っていて、時々仕事中に倒れる従業員(ほとんどが女性)もいました。このまま仕事を続けて健康に害がないか、マリーは心配でした。また、男性の従業員がセクシャルハラスメントをすることも珍しくなく、体を触られたりして、マリーは不快な思いをしていました。


結局、友達の紹介でマリーはプノンペンでサービス業に就くことができ、今はその仕事に満足しています。以前恋人だった男性は、すでに裕福な家庭の娘と婚約したそうです。わたしは時々マリーに会いますが、数ヶ月前からは早朝に英語学校にも通うようになり、新しい知識を得ることを楽しんでいる様子です。上の妹は、レストランで働きながら料理を学んでいます。マリーが恥ずかしそうに笑いながら前向きに生きている姿勢は、わたしにとっても大きな励みになっています。


マリーは、何万にもいると推定されているエイズ孤児の一人でしかありません。今後、エイズ孤児の数はさらに増加すると考えられています。孤児たちが、安全かつ幸せに生活できるように、社会保障制度を整えていく必要があります。わたしたちに何ができるか、考えていく必要があるとも思います。

少女たちのエンパワーメントのため、
ぜひ国際こども権利センターの会員になってください。

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写真は、プノンペンのスラムで踊りの練習をする少女たち(本文とは関係がありません。©甲斐田万智子)


カンボジアにおけるエイズ問題 (1)

2007年10月11日 13時28分07秒 | カンボジアの子ども
みなさん、こんにちは。中川香須美です。今回は、9月23日に大阪で行った勉強会でお話させていただいた内容に関連して、カンボジアにおけるエイズ問題を紹介します。勉強会は、国際子ども権利センターと大阪大谷大学の共催で実施されました。参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

さて、カンボジアといえばエイズ問題を思い浮かべる方も多いのではないのでしょうか。近年まで、カンボジアのエイズ感染率は2パーセントをこえており、アジア・太平洋地域で最もエイズ感染率の高い国でした。近年は「コンドーム100パーセント使用キャンペーン」などが大々的に繰り広げられ、エイズ予防に対する人々の認識も高まってきているおかげで、エイズ感染率は低下しているとの報告があります。でも実際には、身近にエイズとともに生きている人が何人もいて、エイズはとても日常的な問題です。
エイズ問題は、さまざまな観点から検討できます。社会福祉、保険、公衆衛生、政治、経済など、あらゆる側面にかかわる問題だからです。以下では、ジェンダーの観点から、カンボジアのエイズ問題について説明します。なぜなら、エイズはジェンダー問題だからです。エイズは性別を問わずに誰もが感染する可能性のある死に至る病です。他方、その感染経路(どうやって感染するのか)、感染した後の生活状況、人生の最後をどう過ごすか、などをエイズとともに生きる人の観点から概観してみると、女性と男性ではかなり異なる状況に置かれることが分かります。以下では、なぜエイズに感染するのか、感染した後にどういう生活をすることになるのかについて、ごく普通の家族の例を挙げて説明します。マリー(仮名)は、わたしの個人的な友人で、子どものときにエイズで両親を亡くした女性(現在25才)です。

カンボジアの首都プノンペン郊外に住むマリーは、両親と妹二人、弟一人のいる六人家族でした。父親は運送業を営み、母親は自宅でお菓子を作って販売する商売をしていました。弟は三人生まれたのですが、二人とも生まれて二ヶ月くらいして死んでしまいました。栄養状態が良くなかったのか、出産後なかなか元気にならず医者にもかからないまま、死んでしまったそうです。

さて、カンボジアでは、中流家庭の男性が妻以外の女性と関係を持つことは珍しくありません。男性の不倫は社会的にも容認されており、妻は夫の行為を咎めるのではなく、黙って受け入れるように教育されています。マリーの母親も、夫が外泊を続けていたりお金を家から持ち出して恋人との関係のために使っていても、文句も言わずに家庭を守っていました。

マリーが中学校を卒業する前、父親がエイズに発病したことが分かりました。父親は働けなくなり、母親の収入だけで父親の治療費を支払わなければならなくなりました。マリーはすでに読み書きができたので、まだ小学校で学んでいる妹たちに学校を続けてもらい、自分は退学して母親の商売を手伝うことにしました。弟はまだ学校に通っていませんでした。

父親がエイズで倒れた当時、NGOが無料でサービスを提供してくれることなどをマリーの家族は知りませんでした。母親は伝統的な治療をしてくれる祈祷師に大量のお金を支払ったり、薬が効かないので何度も新しい薬を試して父親が回復することを望みました。結局は約二年ほどの闘病の後、父親は亡くなりました。その後すぐ、今度は母親が発病し、マリーは母親と妹・弟の面倒を見なければならなくなりました。

マリーの家にはまだ現金に換えられる家財などが残っていたものの、母親は自分の治療のためには一切お金をかけなくていいと主張しました。自分はもう死ぬんだから、マリーたちが生き残るためにお金を使いなさい、と母親は言いました。父親の死後と母親の発病後しばらくは、マリーは家事をしたり、母親の看病をしたり、母親にかわって妹・弟の面倒を見ていました。でも生き延びるためには現金収入が必要なのは明らかだったので、母親から学んでいたお菓子販売を続けることにしました。ところが、マリーの父親がエイズで亡くなったことを知った近所の人たちは、マリーからお菓子を買ってくれません。仕方なく、マリーは時間をかけて遠くまで歩いて行き、知らない人ばかりの地域でお菓子を売ることにしました。

ある日お菓子を売っているとき、小学校の時に同じ学校に通っていた男性に再会しました。彼はマリーより数年先輩でしたが、マリーのことを覚えていたのです。彼はマリーにとても親切に接してくれたので、マリーが自分の置かれている状況を説明しました。すると、彼は差別するのではなく同情してくれて、小額ながら金銭的な支援もしてくれました。マリーが母親の看病と妹の世話、それに商売で大変なのをかわいそうに思って、時には彼の所有する車で気晴らしにドライブに連れて行ってくれました。

次回に続く

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写真は国境の町ポイペトで働く姉妹ですが、本文とは関係ありません(©甲斐田万智子)