カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

カンボジアだより休止のお知らせ

2006年02月28日 17時46分36秒 | Weblog
みなさまへ

いつもカンボジアだよりをご愛読していただき、ありがとうございます。
大変申し訳ありませんが、情報発信のガイドラインの制定や体制・活動の見直しのために、カンボジアだよりはしばらく休止させていただきます。

カンボジア事務所 共同代表 甲斐田万智子

スラム街レポート1<ゴミだらけの通りから>

2006年02月08日 10時04分13秒 | カンボジアの子ども
みなさんこんにちは、平野です。
これまで農村の子どもたちの様子を紹介したり、農村の貧困に焦点を当てることはありましたが、都市の子どもたちや都市の貧困については触れてきていませんでした。今回から、連続して、あるいは断続的に、プノンペンのスラム街からのレポートをお届けします。

【アソコとあまりににも違うココ】

独立記念塔や大きなカジノからもほど近く、国際機関の事務所や洒落たレストランのあるエリアからもそう離れていない、プノンペンの中心部の一角に、4階建ての崩れそうな団地がたっています。あきらかに築30~40年経っていそうなこの建物とこの団地の裏にくっつくように沿っている通りとそれを囲む家々、これがプノンペンに数あるスラム街のうちの一つ、「ブルデン」(ビィルデンィングがなまったもの)と言われる一帯です。

私と知り合いのカンボジア人男性は、そのスラム街のすぐ近く、本当に目と鼻の先にある複合商業施設「プノンペンセンター」の駐車場にバイクを停めました。この施設にはコンピューターショップなどのほか、ILO(国際労働機関)なども入っています。その駐車場から見える景色は、右手と左手であまりにも違っています

【猥雑で、生活臭に満ちた街】

朝10時過ぎ、ゴミが散乱する通りに一歩足を踏み入れると、人々があちこちに車座になっているのが目につきます。そしてそこで行われているのは例外なくトランプ。男女混合の場合もありますが、上半身裸の男たちだけのグループ、あるいは性産業で働いていると想像される身なりの女性たちばかりのグループもあります。いちいちたずねたわけではありませんが、まず間違いなくお金をかけているのでしょう。これはおそらくカンボジアに限らず、スラム街とかドヤ街と言われる地域で共通の光景ではないでしょうか。

通りには食べ物を売る店が多く見られ、揚げたバナナやサトウキビジュース、それにご飯を甘く味付けしてバナナの葉でくるんだチマキのようなものなどが売られています。また、雑貨商も多く、洗剤やシャンプーにビールや乾麺など、人々が生活している様子、モノが消費されている雰囲気に満ちています。また、カラオケ屋から歌声も漏れてきています。我々はその中でチマキ屋の縁台に腰掛け、1つ200リエル(6円くらい)のチマキをほおばりながら、チマキを焼くおばさんの息子らしき人に話を聞きました。彼の説明によると、電気は夜だけ通っており、昼も営業しているカラオケ屋などはバッテリーを持っているとのことでした。そして水道はポンプで川から汲み上げた水が青い塩ビ管を伝ってくるということで、彼が見せてくれた家の奥にはバスルームがありました。川とはメコン河とバサック河が交差したあたりを指すようです。

【子どもたちの元気だけは変わらない】

少し英語も話す親切な彼に礼を言って表に出ると、男の子たちが遊びながらこちらを見ています。子どもたちに近づいていくと、アメリカの人気プロレスラー、ジョン・シナのTシャツを着た子を発見。さっそく「プロレスは好きかい?」と聞くと、周りの子どもたちも口々に有名なプロレスラーの名前を挙げ、「毎週日曜日に見ている」とのこと。こちらで一番人気のあるチャンネルで、吹き替え版が放送されているのです。そしてそれぞれお気に入りのレスラーの真似をしたりとプロレスごっこを開始。村の子どもたちの元気さにも恐れ入りますが、スラム街の子どもたちも負けずに元気。ただ、土の上を駆け巡る村と違って、裸足の子どもの足元に砂利やプラスチック類、そしてビンや缶などが転がっているのが気になります。ただ、その子たちは学校に行っていると言っていましたし、また彼らの遊んでいる場所の近くで、非常に興味を魅かれるものを発見しました。もし詳しいことがわかる機会があったら、是非みなさんに紹介したいと思います。


村の子も街の子も権利が守られる世の中のために↓

http://jicrc.org/pc/member/index.html



出稼ぎ体験者の声

2006年02月02日 10時55分45秒 | 人身売買防止プロジェクト(意識啓発)
みなさんこんにちは、平野です。
前回の「村の子どもの夢」には大きな反響をいただきました。村で先生などしながら農業を手伝うにせよ、町でお医者さんなどの仕事に就くにせよ、安定した仕事に就けることが最も大切なことでしょう。それに対して、最も不安定で危険な状態に陥りやすいのが出稼ぎです。今回は出稼ぎ経験のある若者の話を聞いてみましょう。

【借金をしてタイへ】

今回話を聞いた若者たちの場合、出稼ぎ先は一様にタイでした。職種は建設業と漁業がありましたが、みな斡旋者に300,000リエル(約75ドル=約8,500円)~400,000リエル(約100ドル=約11,500円を支払って出稼ぎに出ており、つまりはマイナスの状態からのスタートということが言えます。お金の工面については色々だと思われますが、やはり金融業者から借りたという人もいました。

そしてその成果ですが、総じて給料自体は悪くない、ということでした。しかし、タイは物価が高い上、不法滞在を見逃してもらうために警官に一ヶ月につき50,000リエル(=約12,5ドル=約1300円)を払わねばならず、また今回話を聞いた若者達はみなタイから逃げ帰ってきているので、あきらめなければならない未払い分があったり、国境警察に支払う賄賂など経費がかさんだりと、期待通りの稼ぎはなかったようです。

【危険な仕事と厳しい親方】
タイでの苦労に話が及ぶと、みな仕事が厳しく長時間に及ぶことを口にしていました。夫婦で建設業に従事していたという男女は、10ヶ月働く間に1人同僚が死んだが、なんの補償も無かった、と言い、漁に出ていた男性は嵐の時も休みなく働かされて辛かったとこぼしました。どちらのケースも親方が厳しく、前者はタクシーで、後者はボートで、結局逃げるようなかたちで帰ってきています。

斡旋者に400,000リエル払ってタイへ行ったある男性も、過酷な労働と厳しいボスに耐えかねて帰る事を決意し、森やジャングルで野宿を繰り返したということです。不良たちやヘビ、トラに怯えながら夜を過ごしたにも関らず、結局国境警察に捕まり15日間バンコクの刑務所に入れられた彼は、お金があれば正式な出稼ぎ許可が出て、合法の労働者になれるのだが、と言っていましたが、そのお金がないからこそ、怪しげな非合法の移民斡旋業者を頼って出稼ぎに出ていることは言うまでもないでしょう。

【児童労働の存在】
漁業に従事していた男性が、同じ船で働いているカンボジア人の子どもを見たと教えてくれました。14歳くらいの子どももおり、両親は一緒ではなく、単独で出稼ぎに来ているようだった、ということでした。16歳以下には出稼許可は下りないため、児童労働の被害者である彼らは、非合法労働者でしかありえない存在なのです。殴られたり海に蹴落とされたりした子どもも見た、と語ってくれたその男性は、ボートの中で身寄りのない人たちへの差別がある、とも言っていました。親方のみならず、労働者間でも子どもが弱い立場に置かれているということでしょう。

ただし、HCCを通じた国際子ども権利センターの支援地であり、今回のインタビューの舞台でもあるコムチャイミア郡からは、彼らが知る限りタイへの子どもの出稼ぎはあまり無いそうです。タイまでは子どもには距離があり過ぎることに加え、NGO(この場合HCCと考えていいと思います)の意識啓発で、人身売買の危険などを知っているからだと思う、といううれしい答えも返ってきました。

最後に、「友人が出稼ぎに行くと言ったら?」という質問には、「自分の経験を話して、行かせないようにする」という意見と、色々情報を伝えて危険に備えさせてから行かせる」という意見とに分かれました。ただ、「お米の収穫が充分にあったら?」という質問には、みな一様にそれならタイに行く必要はない、との答えでした。分ってはいたことですが、例外もあるのかもしれませんが、出稼ぎに行く村人は、生活水準のレベル・アップではなく、食料をはじめとした最低限の生活必需品を得るために出稼ぎに出ているということが実感されました。

※写真は出稼ぎについて語ってくれた若者たちです。子どもたちに嵐の日の漁などさせてはいけません。あなたの力も貸してください↓

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