カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

予防か保護か

2007年09月16日 16時11分02秒 | Weblog
みなさんこんにちは、以前カンボジア事務所に勤務していました平野です。前回は「児童労働の負の連鎖」を断ち切るためには、早急に最悪の形態の児童労働を撲滅し、子どもたちが学校に通えるようにすることの大切さについてお話させていただきました。今回は最悪の形態の児童労働への取り組みの中で予防か、保護か、ということについて書かせていただきます。

【予防策がなければ被害はなくならない】

以前アメリカの新聞記者がカンボジアの買春宿のオーナーにお金を払い、そこで働かされている少女を解放したという記事が出たことがあります。その記者のもとには、「これを使ってくれ」と多くのお金が送られてきたそうです。子どもが解放されるのはすばらしいことですが、もしかしたら買春宿のオーナーは「またどこかの子どもを連れてくればいい」と思っていたかも知れません。人身売買や最悪の形態の児童労働の危険がカンボジア全土に伝わらないことには、また被害にあう子どもが出てしまうのです。こういった背景があって、国際子ども権利センター、そしてセンターが支援するカンボジアの現地NGOは意識啓発や通学支援といった予防活動に力を入れています。

【保護は難しい?】

それに対して、実際に被害に遭っている子どもの救出やその後のケアももちろん大切です。通常救出された子どもたちはシェルターなどに保護され、衣食住を提供されます。またカウンセリングや職業訓練を受けられるシェルターもあります。もちろんこれらは大変費用のかかる活動です。しかしカンボジアでは、また他の多くの国々においても、最悪の形態の児童労働、特に性的搾取の被害にあった子どもたちが地元に戻るには様々な困難が伴うとされます。例えば、人身売買の過程に地元の知っている人が関係している場合(自覚している場合もない場合もあります)もありますし、また本来の年齢よりも大きく遅れて学校に行っても続けるのが難しかったりするのです。ですから、保護は費用がかかるわりに困難が多いとして敬遠される面があります。

【市民の力を】

だからと言って、最悪の形態の児童労働の被害にあっている子どもたちがいることは間違いなく、そういった子どもたちを放置することはできません。しかしカンボジア政府はあまり保護活動に力を入れていないと評価されています。政府が運営するシェルターもほんの少数です。とはいえ、カンボジアに限らず、各国政府が限られた予算の中で効果が高いと見込まれる政策に力を注いでいくこともまた仕方のないこととも言えるでしょう。

ではどうするか。見方を変えると、市民の力が必要とされるのではないでしょうか。費用対効果を無視するとかそういったことではありません。しかし「この状況をこのままにしておいてよいのか」という思いが市民活動の原点であり、政府がカバーしきれない部分を補うこともまた市民活動の使命ではないでしょうか。

国際子ども権利センターは、人身売買や最悪の形態の児童労働の予防のための意識啓発、そして被害にあった少女の保護の両面を支援しています。


被害にあった子どもたちを保護できるように国際子ども権利センターの会員になってご支援ください。

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写真は、今年2月ふぇみんの方々がHCCのGOODDAY CENTERを訪問されたときの写真です。(©甲斐田万智子)

経済発展と児童労働

2007年09月09日 17時36分22秒 | Weblog
みなさんこんにちは、以前カンボジア事務所に勤務していました平野です。カンボジアは近年堅調に経済発展をしています。ではカンボジアの児童労働は経済発展にあわせて減っていくのでしょうか?

【貧困と児童労働】
なぜ児童労働が起きてしまうのか?普通想像がいくのは「貧しいから」ということです。そしてこれは基本的には間違っていません。先進国では児童労働の発生率は非常に低く、発展途上国では高い、これは原則的にはその通りです。しかしこれを国どうしの比較ではなく、ある一つの途上国に焦点を当ててみると、そう単純ではない場合も多くあります。例えば、農地も耕作農具も持たない農民の家の子どもはあまり働いていない、という場合があります。途上国の貧困層の子どもには、「学校にも行っていないし、働いてもいない」という子どもも少なからずいるのです。

【経済発展と児童労働】
ここ10年でカンボジアは大変経済発展しました。もちろん絶対的な意味ではまだまだ貧困の度合いは深いのですが、伸び率という意味ではこの間の経済成長率は日本の比ではありません。では経済発展は児童労働を減らすのでしょうか?これが必ずしもそうはいかないばかりでなく、逆効果をもたらす場合もあるのです。ある国が経済発展していくと、一般的には自給自足のための農業をする人の割合は減り、第2次、第3次産業、そして賃金労働に従事する人の割合が増えてきます。例えばカンボジアでいうと、観光業の発展にともなってレストランやサービス業の需要が高まりました。これまで家の田んぼを手伝っていた子どもや、学校にも行っていないし働いてもいないという子どもに、レストランや売店で働かないかという誘いが来るようになります。観光地に働きに行ってお金を稼いで帰ってくる友だちがうらやましく思え、自分もお金を稼いで家族を助けたい、と思うかもしれません。しかし確かにお給料はもらえるかもしれませんが、親もとを離れ、学校もやめないといけない場合も多いでしょう。学校に通いながら家の田んぼを手伝うときのような柔軟な働き方はできないのです。そしてまた、人身売買業者は観光地にあこがれる農村の子どもを狙っているのです

【意識啓発の重要性】

「児童労働は貧しい国ではしかたない。まずは経済発展に力を入れて、話はそれからだ」という考え方がありますが、これまで述べたように、児童労働を考える必要もないくらい豊か、というのは実は世界でも一握りの国なのです。カンボジアの貧困度合いだと、国民一人あたりの所得が倍になっても児童労働が半分になる見込みはまずありません。逆に場合によっては深刻な児童労働が増えてしまう可能性もあるのです。それに、前回書かせていただいたとおり児童労働によって学校に行けない子どもは児童労働の「負の連鎖」に陥る可能性が高いのです。どうしてそういう国が質の高い労働力を必要とする経済発展を急速に推し進めていけるでしょうか。

カンボジアにも、貧しくとも子どもだけは学校に、という親はいます。少なくとも自分の手元において、時には田んぼの手伝いはさせるにしても、学校には行かせる、そういう親が増えるには、児童労働のマイナス面や人身売買の危険性、そして教育の重要性についての意識が高まらなくてはいけません。そしてまた子どもたち自身がそういったことを知り、そして自分には権利があるのだということを認識することも、同じくらい大切なことなのです。

子どもたちを児童労働の悪循環にさらさず、エンパワーするために会員となって支えてください。http://jicrc.org/pc/member/index.html

写真はカンボジアのスバイリエン州の最貧困地域で児童労働について学ぶ小学生たち。彼らが意識啓発の担い手となっている。(©甲斐田万智子)




最悪の形態の児童労働と児童労働の連鎖

2007年09月05日 22時30分46秒 | カンボジアの子ども
みなさんこんにちは、以前カンボジア事務所に勤務していました平野です。前回は最悪の形態の児童労働の撲滅に向けて世界的な合意があること、そしてカンボジアにおける最悪の形態の児童労働について書かせていただきました。今回は最悪の形態の児童労働と児童労働の連鎖について書かせていただきます。

【最悪の形態の児童労働は少しずつ減らす?】

最悪の形態の児童労働は、すべて、それも一刻も早くなくすべき、というのが多くのみなさんの願いだと思います。しかし一方で、ゆっくりさまざまな対策を取りながらでないと、かえって良くないという説を唱える人もいます。その学者の説によると、最悪の形態の児童労働がなくなる→そこで働いていた(働かされていた)子どもたちが「最悪でない」形態の児童労働をするようになる→最悪でない形態の児童労働の働き手が増える→一人ひとりの賃金が下がる→子どもたちはこれまでよりもたくさんの時間働くことになる、ということだそうです。

【最悪の形態の児童労働は負の連鎖を招く】

これはこれで経済学的モデルとしては成り立っているのでしょうが、だからといって最悪の形態の児童労働をゆっくり減らしたほうがいい、ということになるのでしょうか。最悪の形態の児童労働をしている(させられている)子どもは、多くの場合学校に行っていません。また、幼いうちからの過酷な労働はおとなになっても残る健康被害を与える危険が高いのです。その結果彼ら彼女らはおとなになったときに収入に恵まれず、貧困に陥り、その子どもたちが児童労働、時には最悪の形態の、をすることになる危険がとても高いのです。これは児童労働の「負の連鎖」と言えます。また、話は違いますが、最悪の形態の児童労働の場合、賃金などろくにもらえないケースも少なくないことも付け加えておきます。

【子どもたちを学校に】

児童労働の撲滅は一足飛びにできるものではないでしょう。まずは子どもたちが多少仕事をしながらでも少なくとも学校には毎日行く、というふうになれば、将来その子どもたちが親になったときに、子どもを働かせないですむようになる、つまり望ましい連鎖が生まれるはずです。働きながら学校にも行って大変だったけれど、おかげで今自分の子どもは働くことなく育っている、という経験を持つおとなは世界中に、日本にだってたくさんいます。もちろん勉強だけでなく遊びも子どもの成長に大切なものですが、少なくとも学校にも行けない環境よりは友だちとともに学ぶ環境のほうが遊びも多いでしょう。国際子ども権利センターは奨学金制度を展開していますが、学校に通うということは、少なくとも最悪の形態の児童労働には陥っていないことを保証するものなのです。

いかに現状が厳しくとも、段階を踏んで進めていくべきものとそうでないものがあります。最悪の形態の児童労働については、一刻の猶予もないものなのです。

もちろん、最悪の形態の児童労働は、人道的観点からも一刻も早い撲滅が望まれています。次回はそのあたりも含めて予防か、保護か、という問題について書かせていただきます。


カンボジアの児童労働をなくすために会員となってご支援ください。

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写真は川辺でさとうきびを売る少女(撮影:甲斐田万智子)