カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

ベトナム国境の村で生活する子どもたち

2007年03月22日 10時37分07秒 | カンボジアの子ども
みなさん、こんにちわ。中川かすみです。2月19日から23日までの4日間、国際子ども権利センターの支援団体であるHCC (子どものためのヘルスケアセンター) が子どもの人身売買防止ネットワーク活動を実施しているスバイリエン州において、昨年10月から開始した活動状況のモニタリングに参加してきました。以下、簡単に報告します。

スバイリエン州は、カンボジアの南東部、ベトナムと長い国境を接する州です。スバイリエン州は、ジェンダー観点から見るととても面白い地域です。たとえば、一般的にカンボジアの少女は、飲酒や喫煙をするべきでないと教育されて成長します。ところがスバイリエンではこういった女性に対するステレオタイプ的な考え方は少なく、飲酒する女性が多いのです。カンボジア全土を概観すると、女性が自由に飲酒するというのは非常に珍しいのです。農村地区で家庭訪問していた際に、わたしたち外部者(今回訪問は日本人5人)に対して、とてもフレンドリーに多くの女性が接してくれたのは、そういった開けた文化の土壌で小さい頃から成長しているからでしょうか。

村のいたる所で犬が飼育されている風景も、スバイリエンがカンボジアのほかの州と大きく異なる点です。ペットとしてだけではなく、販売および食用に犬が飼育されているのです。村の中を歩くと、子どもたちが犬に囲まれて遊んでいたりのんびりくつろいでいたりする様子が多く見られます。家庭訪問中も、多くの犬(特に子犬)に取り囲まれました。大人は犬をかわいがったりすることはあまりないようですが、子どもにとって周囲にいる犬の存在は仲間・友達であると同時に、「保護することを学ぶ対象」でもあるようです。

ところで、貧困はカンボジアの農村部では深刻な問題です。ところがわたしが毎日の生活を送っている首都のプノンペン(人口130万人)では、建築ラッシュや、日本よりも数が多いとしか思えない四輪駆動車のラッシュに囲まれる生活です。また、日本の食品も簡単に入手できるスーパーマーケットもあったり、諸外国からの輸入物資も豊富だったりして、貧困に関する認識がどうしても薄くなってしまいます。でも実際には、貧富の格差が社会問題化しているカンボジアでは、都市部と農村地域の経済格差がとても深刻な問題です。今回、改めてその都市と農村部の格差を痛感しました。スバイリエンの農村部では、HCCを通じて国際子ども権利センターが奨学金を提供している貧しい家庭を訪問する機会を得ました。その中でもとてもショックだったのは、4畳くらいの粘土作りの家に住む奨学生の家庭訪問でした。家の中にベッド(マットレスなし)、七輪、料理用鍋一つ、たったそれだけしかない家の訪問でした。米はあと5日分くらいしかないとことで、米袋を持ち上げた印象では2キロも残っていたでしょうか。洋服も家族が着ている服以外にはTシャツのような服が3枚程度しかありませんでした。いくら暑くて蚊帳もないまま、あるいは寒くてもシーツもないまま、木の板が渡してあるだけのベッドで寝なければなりません。子どもの遊び道具はまったくなく、家だけ見れば住んでいる人がいるとはとても思えないほど物がなく、さらには子どもがいるとはとても思えない殺風景な家です。

身体以外に何も目に見える所有物を持てないほどの貧困家庭に生まれ、どうしても学校に通いたいからと希望して奨学金を受けた生徒の家庭を見て、自分や自分が日々接している大学の学生たちがどれほど恵まれているかを感じさせられました。良かったのか悪かったのか今でも判断できませんが、思わず旅行かばんの中から前日着ていた洋服とパジャマを出してお母さんに渡してしまいました。日本ではとても出来ない失礼な行為かなと思ったものの、お母さんは控えめな笑顔で受け取ってくれました。単純に物を与えることは貧しい人のためにならないという信念を持つ私にとっては、今考えると自分の信念に反する行為でしたが、その時はとにかく何かをせざるを得ないほど、自分受けた衝撃が大きかったのです。

今回の農村家庭の訪問を通じて、極貧の中で生きる人々に対して単に援助するといった視点ではなく、一緒に何かをしながら成長していくという人身売買防止ネットワークの活動は、きっと女性や子どものエンパワーメントにつながると思いました。農村地域での貧困家庭訪問は、私自身にとっても、自分の生活について振り返るいい経験になりました。

少女たちをエンパワーするために
http://jicrc/pc/member/index.html

写真はスバイリエン州でHCCを通じて国際子ども権利センターから奨学金を受けた少女たち


携帯電話にミニスカート、でも「処女も大切!」

2007年03月07日 16時10分03秒 | カンボジアの子ども
―神聖化される少女の純潔―

中川香須美です。急激な発展を遂げる首都プノンペンで生活する人も、「女性が結婚まで性交渉を持たないか否かが、女性の価値を決定する上で重要だ」との固定概念を抱いているかどうかについて、わたしが大学で担当するジェンダー学の1コマの課題として意識調査を実施しました(対象者数620名)。学生たちは、「独身女性にとって処女は重要か」という題目で、男子学生は男性のみを対象に、女子学生は女性のみを調査対象として個別インタビューをしてもらいました(対象者は18-65歳前後)。インタビューを終えた後、ほとんどの学生が私に対して、「誰もが恥ずかしがってちゃんと回答してくれなかったから大変だった!」「なんでそんなこと聞くの!って年配の女性に怒られて恥ずかしかった!」などの感想を言っていました。ジェンダー学の授業の中で「未婚女性の処女は大事か否か」という話題は、大半の学生が居眠りから覚めるくらい「大好き」なトピックです。他方、教室から一旦でると羞恥心がわくのか、社会的タブーに触れていると思ったのか、ほとんどの学生が苦労して回答者を探したようです。

調査結果は、ほぼ予想通りでした。まず女性の回答者は、20歳以下は独身女性の「処女性」に対する信仰が多少低いものの(8割以下)、全体では85パーセントの女性回答者が「結婚まで性体験をしないことは非常に重要」と回答しています。他方、男性側は7割程度です。以下、回答者の発言内容のまま、どういった意見があったか紹介します。女性からの回答では、「結婚前に男性と関係を持ってしまった後の人生なんて考えられない(独身女性の回答)」、「女性の重要な美徳は、最初の性体験の相手は夫、そして結婚後は夫だけに尽くすこと」、「女性の価値は結婚まで性体験を持たないか否かによって決まる」など、「結婚まで処女」である点が女性の将来を左右する重要な鍵だという発想が多くみられます。男性側の回答では、「独身なのに性体験を持ってしまった女性は、家名を傷つける」「もし妻が結婚前に他の男と付き合っていた経験があれば、きっと結婚しても幸福な家庭を築けない」、「妻が処女であったら、夫は妻を大切にして家庭の幸福を守ろうとし、家事も手伝う良い夫となる」など、家名や家族の安泰に焦点を当てた回答が多いのです。また、女性が結婚まで性体験を持たない点が大切だと主張する男性の発言には、「結婚前に性体験を持つという『過ち』を犯してしまったら、エイズ感染の可能性が高まる」という意見すらありました。

この課題では、男性の性体験に対する意識調査も実施し、「男性が結婚まで性体験をしないことは重要か」という質問が問われました。この質問に対しては、ほとんど全員の回答者が「問題ない」と答えています。女性側からの回答では、「男性は強い性的欲望を持つ」、「性欲をコントロールできない」、「妊娠の心配がないから」、「妻1人だけでは満足しない男性が多い」など、男性が結婚以前に性体験を持つ点を当然とみなす意見だけはでなく、男性が複数のパートナーを持つことを容認する発言が多くみられます。また男性側からの意見では、「男性はセックスしないとストレスがたまって健康を害するため、セックス・ワーカーからサービスを買うことが当然の権利」、「友達と飲んだ後、セックス・ワーカーを買いに行こうと誘われて断れなかった(その結果性体験をした男性の回答)」あるいは、「結婚して妻を喜ばせるために経験をつんでおくことが重要」などの回答が多くありました。

ステレオタイプ的な「女性の処女が重要」という考え方は、少女達が幼少期から植え付けられ、自分達も「そうでなければいけない」と思い込まされています。独身女性の価値が「処女か否か」で決まるような古い考えは、今でも幅広く根付いており、少女達が成長したときの性的自由を奪うことにもつながっています。男性は性的な自由を楽しむ一方で、女性は自己の性をコントロールされる一生を送ります。伝統、文化、社会的習慣など、さまざまな理由によって、少女は小さい頃から男性に逆らうことなどとても考えられないように育てられているのです。さらに、こういったステレオタイプ的な考え方は、レイプや人身売買の被害にあった少女たちが「自分はもう価値がない人間なのだ」と思ってしまう点にあります。「少女はこうあるべき」という固定観念によって、被害にあった少女が自分の両親や地域の人たちからも軽蔑されたり差別され、少女たちが自分の力で生きていこうとする際の大きな障害になるのです。

写真はカンボジアの結婚式。本文とは一切関係がありません。撮影:井伊誠さん。

少女たちをエンパワーするために
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