カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

今年130の縫製工場が閉鎖と、政府報告

2009年11月30日 16時44分52秒 | Weblog
こんにちは、長島です。私がカンボジアに来てから3ヵ月が経ちますが、世界経済危機がこの国に及ぼす影響を日々痛感します。NGOでは、ドナーからの資金援助が打ち切られ、プロジェクトが終了したという話をよく耳にします。カンボジアにおける輸出の80パーセント、GDPの12パーセントを占めるのが衣類産業(1)ですが、多くの若い女性を雇用する縫製工場が閉鎖されたというニュースもよく取り上げられています。

 シーライツが、パートナーNGOのHCCとプロジェクトを行っているスバイリエン州に行き、通学や収入向上の支援の対象家庭にインタビューをすると、縫製工場で働くことが子どもの夢であったり、親が娘に将来就いてほしい職業としても縫製工場での仕事が時々挙がります。法律で定められている縫製工場の最低賃金は月45ドルで、平均賃金は70ドル(2)なので、1世帯の平均月収が40ドルほど(3)の農村の人たちにとっては魅力的な仕事です。しかし、先日もスバイリエンの支援対象家庭の女性と話をしていたときに、娘が工場で働いていたが、閉鎖してしまったので、今は家に戻って来たと話をしてくれた母親がいました。

 6万人もの職を失った女性たちは、そして彼女たちの仕送りによって家計を支えられてきた家庭はどうなるのでしょうか? 11月15日の国連の発表によると、縫製工場での仕事を失った女性のおよそ15~20パーセントが、家族を支えるための最終手段として性産業でセックスワーカーとして働く道を選んでいることが調査で明らかになったとのことです。ベトナムの国境に位置するスバイリエン州では、仕事を求めてベトナムや、首都のプノンペンに出稼ぎに行くケースも増えていると思います。その過程で、自分で選んでいなくても、騙されて性産業で働かされしまう女性もいるのです。

 今回は、今年に入ってから9月までに閉鎖した縫製工場についての記事を、ボランティアの方が翻訳して下さいましたのでご紹介します。

写真はプノンペンの縫製工場で働く女性の写真©Phnom Penh Post

人身売買をなくすためにご支援ください。
詳しくは、http://www.c-rights.org/join/donation.html

今年130の縫製工場が閉鎖と、政府報告

2009年10月1日(木)プノンペンポスト紙
チュン・ソパル記者

 労働省は水曜日、今年度第1~3四半期において、130の縫製工場が受注減少により閉鎖もしくは一時営業休止となったと発表した。公式報告によると、9カ月間に77の縫製工場が閉鎖し3万683人が失業、加えて53の縫製工場が一時閉鎖したことで、更に3万617人が一時的に失業状態となった。

 その一方で、データによれば、同時期に40の工場が操業を開始し、9千605人が雇用されている。一時閉鎖された工場の再開には充分な受注量が必要と、労働省監査局タウ・ブトーン氏は言う。「カンボジアの縫製工場が再開し地球規模の経済危機に立ち向かう道は、受注のみ。」 カンボジア縫製産業組合(GMAC)営業開発責任者カイング・モニカ氏は、カンボジア最大の輸出部門である本セクターにとって今が試練の時と話す。

 「この大変な時期に、海外からの潤沢な受注に支えられている工場だけが生き残り、何とか生産を続けている。」と氏は言い、GMAC加盟工場のわずか283拠点が稼働中であると付け加えた。
カンボジア衣料業労働者民主連合(CCAWDU)のアッス・トゥン代表は、新工場に対する5年間の免税措置を受けるために、一時的に閉鎖した上で再開した工場もあると話す。氏によると、退職金を支給せずに労働者を解雇し、従来よりも悪い条件で新たな契約を結んで再雇用するために、一時閉鎖という方法を取っているケースもあるという。

 氏は、工場主が「汚職にまみれた公務員や組合長」を買収し、カンボジアの法律で定められた倒産企業への法的措置をすり抜けていると言う。
世界銀行の報告書『Doing Business2010』には、カンボジアでは、破産法が通過したにもかかわらず、破産手続きが実現化していないと記されている。
それに対しカイング・モニカ氏は、GMAC加盟工場のうち閉鎖後に再開されたのはわずか2件にすぎず、双方とも閉鎖前とは別の経営者によって再開されたと話している。

(2009年11月13日 訳・小味かおる他)

(1) ADB report, p. v
(2)Ros Harvey, “Cambodian Garment Sector Project: An overview”
(3) IMF country report 3/59, cited in Polaski, p. 11


就任のご挨拶

2009年06月12日 09時00分58秒 | Weblog
 こんにちは!カンボジア事務所の筒井博司(つつい・ひろし)です。早いもので、私がカンボジアに赴任してから3ヶ月が経ちました。これからは、私が「カンボジアだより」を担当することになりました。今回は、初めての投稿ということで、同じく最近赴任したインターンのチュープとあわせて、私の自己紹介から始めたいと思います。

 私は、五島列島の北部に位置する小さな島で生まれ育ちました。島中の誰もが顔見知りのようなところであり、海に密着した生活を送っていました。高校を卒業してからは、当時の私には想像もできなかったくらい移動の連続です。カンボジアに来るまでは、愛知、米国、メキシコ、東京、ボリビアなどに住んだことがあります。

 大学2年生の終わりに、バックパッカーとして、ロサンゼルスを出発点とし、パナマ運河を目指して旅行したことがあります。私にとって、初めてのバックパック旅行でした。旅の途中で寄ったメキシコ・シティでのことです。ある日、私は次の旅路を計画しながら、喫茶店で読書に耽っていました。ふと、まわりに目を向けると、店の中には私のような外国人旅行者や裕福そうなメキシコ人がいる一方、窓の外には物乞いをする先住民の母子の姿がありました。「何かがおかしい。」私がマイノリティ問題に本格的に取り組むようになったのは、今になって振り返れば、この経験が大きかったと思います。

 大学卒業後、移民研究を志し米国に渡り、特にメキシコ・シティの先住民移民コミュニティに焦点を絞り、メキシコの国内移民について修士論文をまとめました。日本に帰ってからは、あるNGOの東京事務所にて、人身売買・性的搾取の被害者を保護するためのアドボカシー活動に取り組みました。ボリビアでは、協力隊員としてアンデスの渓谷地帯の先住民集落で農村開発に携わり、そこでは経済ブームを迎えた東部に出稼ぎに行く人々を目の当たりにしました。このように、私が関わってきたこれらの人々には、移動しているマイノリティであるという共通点が見出せます。

 私は、マイノリティの声に常に敏感でありたいと思っています。マイノリティとはその社会の権力関係において少数派に属している人たちのことであり、彼らが発する声とはその社会から排除された声です。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私がこのような意識を強く抱くようになったのは、私が離島出身であることがかなり影響したのではないかと、自分では思っています。

 今でこそ、私は自分の故郷に心から誇りを持っていますが、高校を卒業してしばらくは離島出身であることに対する劣等感を克服できずにいました。島に住んでいたころ、テレビや雑誌を通じてもたらされる情報に憧れを抱く一方で、親近感を覚えることはできず、それなのに追従しなければならないような違和感に苛まれていました。私たちが受け取る情報は、ある一定の人たちの意見が特別に強く反映されていて、その結果排除されている人たちもいるのではないか。私は、いつしかこのように考え始めるようになりました。視点をどこに置くかによって、世界は変わって見えてきます。

 ラテンアメリカからカンボジアに移ったことは、地理的には大きな変化だったかもしれません。しかし、カンボジアにおける子どもの人身売買、買春、危険な労働などをマイノリティ問題だととらえると、私の問題意識は一貫していたともいえます。また、日本、米国、メキシコ、ボリビアとカンボジアを比較することによって、カンボジアが抱える諸問題を相対的に理解することもできるでしょう。何より、新しい土地に飛び込むことは、不安がいつもつきまとうとはいえ、何事にも代えがたいわくわくする経験です。

 数ヶ月前までは、カンボジアで働くことは想像すらできませんでしたが、実は、留学中の大親友がカンボジア人であり、深い縁も感じているところです。「カンボジアだより」では、現地の息遣いが聞こえてくるような記事を意識し、みなさまにお届けしたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 続いて、4月からカンボジア事務所にインターンとして赴任いたしました、在日カンボジア人のチュープ・サラーンの自己紹介です。5歳の時、インドシナ難民として日本に渡り、日本の暮らしがかれこれ19年になります。現在、大学院博士前期課程の2年生で、カンボジア家族の子育てについて研究しております。また、日本では外国人青年による運営組織「すたんどばいみー」という団体で活動をしています。外国籍の子どもたちを対象に、学習補充を行っています。

 実は、私は2005年に10ヶ月間ほどカンボジア事務所で通訳や翻訳のお仕事をさせていただいた経験があります。当時、私がカンボジアで経験した多くのことが貴重であったと、今になって改めて感じています。今回、またシーライツと一緒にお仕事ができて大変嬉しく思っております。よろしくお願いいたします。

オークン チュラン!(離任のご挨拶)

2009年05月01日 13時02分05秒 | Weblog
こんにちは。宇野です。2008年の8月にシーライツカンボジア事務所に赴任してから8か月が経ち、2009年3月をもって、契約満了のため離任致しました。日本に戻った今、出会ったカンボジア人の沢山の笑顔が思い出され、懐かしく感じられます。カンボジアは貧しいけれど、人とのつながりの濃い国心の豊かな国だと日本に戻った今感じます。

日本に帰国して、感動したことリストをここにあげます。
① 物と人の数
② 電車の中で携帯を使っている人の多さ
③ 整備されている道路(舗装されていて車線も書かれていて信号、横断歩道がどこにでもある)と車線に沿って走っている車
④ 夜でも明るいこと
⑤ コンビニの多さ
⑥ エスカレーター
⑦ 桜の花と日本食

これまで、カンボジア便りの更新を担当させて頂き、約30回更新いたしました。その中で、どれだけの情報量を皆様に提供出来たかは分かりませんが、これまで停滞気味であったカンボジア便りの活性化を図りたいるべく、また、皆様からの支援金に支えられて運営されているカンボジア事務所に駐在員がいて仕事をしているということだけでも伝えたいわれば、と思い、全力を尽くして参りました。カンボジア便りを担当させて頂いて思った以上に大変だったことは、伝えたいと思う事を文字にする作業でした。普段の生活の中で、カンボジア便りを通してお伝えしたいことは多々ありましたが、文字にし、記事を書く作業に思っていた以上に時間と労力を使ったように思います。それだけ自分の言葉の足りなさを実感したと同時に言葉の勉強になりました。これから出来るだけ多くの本を読み、日本語力を高めていきたいと思います。また、読み手の立場になって記事を書くということも思っていた以上に大変な作業でした。毎回記事を書く際に、誰が読んでも分かるもの(シーライツやシーライツの活動をそれまで知らなかった人でも読んで分かるもの)を心がけていました。でも、一度記事を書きあげ、何度も読み直せば読み直すほど、「誰が読んでも分かる」記事からずれて行ってしまうことも多々ありました。そんな時には、毎回記事に関する多くのコメントを下さった甲斐田代表、丹羽様、中川様には本当に支えられていました。ありがとうございました。

今後は2月に新しく赴任しました筒井がカンボジアだよりを通して皆様へ、情報発信をさせて頂く予定です。今後ともシーライツを宜しくお願い致します。

最後になりましたが、この8ヶ月間、シーライツ代表理事の甲斐田万智子さんを始めシーライツスタッフやシーライツパートナー団体スタッフ、その他団体のスタッフの皆様、また、シーライツボランティア、会員の皆様、そして家族や友達、本当に多くの方々に支えられながらシーライツの一員としてお仕事させて頂きました事、また、カンボジアだよりを担当させて頂きましたこと、この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。

スタッフ紹介:アフェシップ・フェア・ファッション ロタ・テップさん

2009年04月27日 15時30分00秒 | Weblog
今回は、シーライツのパートナー団体であるアフェシップ・フェア・ファッションで勤務するロタさんをご紹介します。

最初に、アフェシップ・フェア・ファッションについて、簡単に説明したいと思います。人身売買や性的搾取の被害にあった経験を持つ女性たちが、暴力の不安からあきらめたりおびえたりすることなく、自分を尊重でき、安定した収入、安全な生活を得られるような経済基盤がつくれるよう、フェア・ファッションはアフェシップの職業訓練を終えた女性たちが製作した衣類や小物をフェアトレード商品として販売しています。

シーライツは、フェア・ファッションの保育サービスを支援しています。フェア・ファッションで働く女性は幼い子ども連れが多く、子どもたちは、母親とともにフェア・ファッションの建物の中で長い時間を過ごしています。これまで、子どもたちは、母親がいる作業部屋にいたため、はさみや針などの縫製道具が身近にある危険な環境にいました。シーライツは、フェア・ファッションで働く女性たちが縫製に集中できるよう、また、子どもたちが縫製道具でケガをしないようにするための保育事業支援を宮城県仙台の尚絅学院大学さまからのご支援により、3月から実施し始め、保育士の人件費を負担しています。

そのフェア・ファッションでビジネス・オペレーション・マネジャーとして働くロタさんは、どのような方なのでしょうか。
ロタさんは、1971年にプノンペンで生まれました。まだ幼いころ、クメール・ルージュ政権による強制移住政策によって、バッタンバンという村に家族総出で移り住みました。幼いロタさんの目には、クメール・ルージュによる強制労働や理不尽な暴力が未だに焼きついているそうです。ロタさんは親元から離され、同年代の子どもたちと生活をともにし、米畑の肥料の牛糞集めをして毎日暮らしていました。このような状況にいた幼いロタさんにとって、将来の夢を描くことは想像すらできず、ただ家族と一緒に住むことを望んでいました。

ポルポト時代が終わり、ロタさんがプノンペンに戻り、学校に通い出したのは1979年頃でした。学校に通い始めた事が嬉しかった半面、年代の異なる同級生たちに少し戸惑いを覚えていたそうです。ロタさんが通っていた学校はお寺の中にあり、僧侶でもなく、ごく普通の年配者が先生として教壇に立っていました教員などの知識層に当たる人たちが多数殺されたからです。学校で本を読んだりして、子どもの権利について初めて知ったのは、この頃だったと言います。

2003年にフェア・ファッションの仕事を始めてから約6ヶ月間、ロタさんは一緒に働いている女性たちとコミュニケーションを深めるよう努めました。「なぜ、彼女たちは暴力的になるのか」「なぜ、彼女たちは感情をコントロールすることが出来ないのか」日々仕事に励む一方で、このような疑問を解消するよう努力した結果、家族と時間を共にした事がほとんどなく、売春(あるいは性産業)を強要され、買春宿のオーナーから虐待を受けてきた女性たちの抱える過去について十分配慮すべきであると、ロタさんは考えるようになりました。

女性たちが興奮し攻撃的になった時、女性たちの身の回りにはハサミや針など、危険なものがたくさんあり、注意が必要です。問題解決の糸口として、ロタさんは、まず女性たちととことん話し合うことから始めました。対話を重ねることによって、女性たちは、自分たちが買春宿でどのような扱いを受けてきたかのか、ロタさんに語ってくれるようになったそうです。「この3年間、女性たちの間で深刻なもめごとは一切起きていません。」これは、ロタさんの忍耐強い努力の成果だと言えます。

しかしながら、一人の男性として、人身売買や性的搾取の被害に遭った女性たちと働くことは精神的に厳しいと、ロタさんは言います。カンボジア社会で男性が買春宿に行く事は、少し前までごく普通のことだったからです。

一方で、ロタさんは、フェア・ファッションで仕事をしていて、夫のアルコール依存症や暴力など、女性たちが家庭内で抱える問題が改善されたという話をしてくれる時や、女性たちと将来について計画を立てる時、とても幸せだと感じるそうです。「私からのアドバイスが役に立ったと聞いた時が一番嬉しいです。」と言うなり、ロタさんの頬が緩みました。女性たちの間には、信頼関係が取り戻されつつあり、お互いを尊重する気持ちが生まれてきました。「困難なことは多いけれど、仕事に対する満足感の方が強いですよ。」とおっしゃるロタさんは非常に頼もしく思えました。

最後に、ロタさんに、仕事・家庭に関する未来図をそれぞれ描いていただきました。フェア・ファッションにおけるロタさんの今後の夢は、顧客定着だと目を輝かせます。顧客が定着すれば、女性たちに定期的な仕事・収入が提供できるからです。そして、ロタさんの個人的な今後の夢は、やはり我が子たちの幸せです。7歳の息子と12歳の娘には、大学を出て自立してほしい、と語ってくれました。「安定してきたとはいえ、数多くの社会問題を抱えているカンボジア社会で子どもたちを育てるのは大変なことなんです。」その言葉とは裏腹に、ロタさんの表情には、これまでの経験に裏付けされた自信と力強さが見てとれました。

職場では女性たちの声に熱心に耳を傾けることによって確実に問題を解決し、ご自身の家庭では2児のよき父親であるロタさん。今回のインタビューを通して、ロタさんのような方と協働できて、改めて嬉しく思いました。

〈甲斐田代表より補足〉
ロタさんは、とても気さくで明るく親しみやすい男性です。
彼は、アフェシップで働く以前に、クメール伝統織物研究所の森本さんをお手伝いしたこともあるそうで、日本に特別な思いがあると聞いたことがあります。

私が彼に始めて会ったのは、2004年、アフェシップの訓練を終えてコンポンチャムの縫製所で働いている女性たちに注文を伝えに行くときでした。印象的だったのは、女性たちを笑わせながら楽しく注文したり、指導したりしていらしたことです。

性産業で働いたことのある女性は、カンボジア社会で蔑まされ、結婚を諦める女性が多いのですが、彼のもとで前向きに歩むことを諦めないようになった女性は多いのではないかと思います。

コンポンチャムの縫製所で働く女性ががんばっている姿を見て、過去の事情も知っている男性が結婚を申し込んできているといいます。そうしたなかで、結婚することになった女性たちもいて、そういうときロタさんは仲人となるそうです。いつまでもアフェシップの女性たちに寄り添って、彼女たちに元気を与える存在でいてほしいと願っています。
甲斐田万智子

アフェシップ・フェア・ファッションでの保育サービス支援が継続されるよう、ご支援お願致します。
シーライツ http://www.c-rights.org/
シーライツ あなたにできること http://www.c-rights.org/join/kaiin.html

日本社会事業大学ワークショップ @ シェムリアップ ②

2009年03月26日 11時26分40秒 | Weblog
今回は、2月13日に、シェムリアップのアンコール・クラウ村コミュニティセンターにて、開催された、「カンボジア子どもとの仕事―現実、可能性と夢」と題した日本社会事業大学のワークショップの午後の部:学生と各団体の質疑応答について紹介します。

シーライツへの質問は、以下の通りでした。
・シーライツとHCC,AFESIP,Friends Internationalはどのように仕事を分担しているのでしょうか?
シーライツは、3つのNGOに資金援助をしていて、実際にプロジェクトを実施しているのは現地のNGOです。支援が差別を無くすために最も有効に使われるよう、一緒に考えたりプロジェクトが円滑に進むように助言もしています。

・HIV/AIDSに感染している子どもについてどのような印象を受けますか?
AFESIPの保護施設・職業訓練施設に、何人かHIV/AIDSに感染している子ども達がいます。AFESIPの施設には、HIV/AIDSで亡くなった子どもトムディの名前を付けてトムディセンターという名前が付いています。今後も差別なく受け入れていく予定です。
AFESIPは、保護活動のほかに、HIV/AIDS感染防止活動として、買春宿街にいる女性たちにコンドームや石鹸を配布しています。でも、コンドームの使用を拒否する男性も多いらしく、防止活動実施は容易ではないという印象を受けます。

・牛銀行とは何ですか?
スバイリエン州で対象の村を決めて、その村から選ばれた家庭(最貧困層の家庭で、特に子ども(娘)の多い家庭)牛の飼育法を指導した後、牛を支給します。これまで農耕作業をしていた子どもに代わって牛が農業をする事で、効率的な仕事ができ、収入が上がり、また、子ども達が労働から自由になる時間が増え、学校に行けるようにもなります。牛を受給した家庭は、貯蓄組合に入り、月々貯蓄をしていきます。その貯蓄金は、牛銀行受給家庭の家族が病気の時や、子どもが学校で使うの教材を買うお金がない時など、緊急事態に使用されます。

・チャイルドセーフ・ホットラインとセンターについて詳しく聞きたいです。
チャイルドセーフ・ホットラインとセンターは、プノンペン、シアヌークビル、シェムリアップにあります。、ホットラインは、子どもたちが危ない状況にあるのを目撃した時や子どもが危険にさらされそうなときなどに、直接電話をかけたりすることもできます。センターは、観光客への広報活動、情報提供をしたり、子どもたちが直接助けを求めて行くこともできる場所です。スタッフや、カウンセラーが24時間常に待機しており、必要に応じてサービスを受けられます。

・現時点でのチャイルドセーフ・メンバーは何人ですか?
現在、約1500人がチャイルドセーフ・メンバーとして認証されています。

・シーライツはなぜカンボジアで活動しているのでしょうか?
カンボジアの人身売買、性的搾取の現状に、少なからず日本が責任を問われる事態があるからです。例えば加害者のかなりが日本人だといわれています。

・プロジェクトを実施して、どのように結果が出ているのでしょうか?
アメリカの国務省が出している国別政府の人身売買への取り組みランク付けというものがあります。Tier1(第1階層)にランク付けされた国は、人身売買に関する政府の取り組みがアメリカの基準を満たしているというもの、Tier2(第2階層)の国は、基準は満たしているけれど、まだ努力が必要、Tier3(第3階層)は基準に達しておらず、努力が必要な国です。最近までカンボジアはTier3にランク付けされていましたが、今現在はTier2にランク付けされています。ちなみに日本もTier2です。シーライツのようなNGOがプロジェクトを実施することでカンボジア政府も以前と比べて取り組む姿勢を持つようになったといえるのではないでしょうか。

・今後の活動と10年20年後のカンボジアの社会について、お答えください。
結果が出るまでに時間がかかるプロジェクトを実施しているので、今後も当面は、今日説明をさせて頂いた、プロジェクトを実施していく予定です。また必要に応じて新しいプロジェクトを実施する可能性もあります。10年か20年か分かりませんが、支援ではなく連携と経験の共有が大事になるような社会、同じ問題がまだカンボジアにあったとしても、カンボジアの人たちが自分たちで積極的に解決に向けて歩んでいけるような社会になっていけばいいなと思います。あの雄大なアンコールワット遺跡群を建てた先祖を持つカンボジア人です。私は、カンボジアの将来に希望ありと信じています。

ワークショップは予定時刻を過ぎて終了しました。時間が限られてはいましたが、これを機会に今後も日本社会事業大学の皆様、ワークショップに参加をして下さった方々が、ワークショップについて、シーライツの活動について、報告会を設けたり、色々な人に話をする事で、少しずつでも、カンボジアの子どもの状況が日本において広がっていけばいいな、と思いました。

シーライツの活動が今後も継続的に実施されるよう、皆様のお力添えを頂けましたら幸いです。
シーライツ あなたにできること:http://www.c-right.org/join/kaiin.html
シーライツ ホームページ:http://www.c-rights.org

フレンズ写真ワークショップ報告書日本語版
「想像してみて!シェムリアップのストリートチルドレンから見た観光客」 500円
問合せ先:シーライツ東京事務所 03-5817-3980


日本社会事業大学ワークショップ @ シェムリアップ ①

2009年03月13日 12時59分35秒 | Weblog
今回は、2月13日にシェムリアップで開催された、日本社会事業大学のワークショップについて紹介します。

「カンボジア子どもとの仕事―現実、可能性と夢」と題したワークショップがシェムリアップのアンコール・クラウ村コミュニティセンターにて、開催されました。このワークショップには、日本社会事業大学教授と学生、カンボジアで活動をする5つのNGO、社会福祉省職員、クラウ村村長、カンボジア現地NGOスタッフ数名が参加しました。

午前中は参加した各団体(CYK,国境なき子どもたち、シーライツ、スナダイクマエ、アンコール遺跡の保存と周辺地域の持続的発展のための人材養成支援機構JST)の活動紹介でした。
以下、シーライツの活動紹介です。

シーライツとは?:1992年に大阪で設立され、アジア現地の3つのNGOと連携して、国連子どもの権利条約の理念に基づきながら、子どもの権利の普及活動、啓発活動、支援活動、また、人身売買、性的搾取、児童労働といった権利侵害の防止活動を行ってきました。今現在活動をしている国は、日本、カンボジア、インドで、現地事務所を構えているのは日本とカンボジアです。

シーライツ日本での活動:子どもの権利や、子どもの商業的性的搾取に関する勉強会、セミナー、講座の開催をしています。

シーライツカンボジアでの活動:現地の3つのNGOとの連携でプロジェクトを実施しています。
① HCC(Healthcare Center for Children)とシーライツは、ベトナム国境に近いカンボジアスバイリエン州にて、地域・学校を拠点とした人身売買防止ネットワーク、牛銀行や農業技術指導、貯蓄組合といった収入向上プログラムを実施しています。
② AFESIP(英語名:Acting for Women in Distressing Situation、日本語名:苦境に立つ女性たちのために行動する会)とシーライツは、人身売買や性的搾取の被害にあいAFESIPに保護された女性たちで、職業訓練を受けたり、洋裁で生計を立てている人たちの子どもたちへの保育サービス支援をしています。
③ Friends Internationalとシーライツは、旅行者から子どもを守るための、チャイルドセーフ・プロジェクトを実施しています。

3つのNGOのなかで、ここで紹介をさせて頂くのは、このワークショップが開催された地シェムリアップを活動地の一つとしているフレンズのチャイルドセーフ・プロジェクトについてです。
チャイルドセーフ・プロジェクトとは、性的虐待や出稼ぎ、麻薬、暴力など、あらゆる危険から子どもを守るためのプロジェクトです。このプロジェクトの一つに、チャイルドセーフ・ネットワークというものがあります。「よい顧客はよいビジネスにつながる」という理念のもと、タクシー・バイクタクシー・三輪タクシー(トゥクトゥク)運転手、ホテルやゲストハウスの従業員、インターネットカフェやレストランで働く人、観光客、外国人居住者、地域の人々、子どもたちなどを対象としたトレーニングを通じて形成されたネットワークです。トレーニングでは、子どもの権利について学習し、子どもたちが危険な状況にあるのを目撃した時に、どう対応するか、あるいは、子どもたちが直接、自分の身をどのように守るかについてフレンズの職員が説明します。また、子どもを連れた外国人に、ホテルに連れて行って欲しいと言われたチャイルドセーフ・メンバーのドライバーは乗車拒否を、ホテルやゲストハウスの従業員は宿泊拒否をするようにトレーニングを受けます。トレーニングが終わると、チャイルドセーフ・メンバーとして認証され、チャイルドセーフのロゴマークがついたステッカーやシャツが認定証として提供されます。逆に、メンバーが子どもを連れた外国人をホテルまで連れて行ったのを、目撃され通報された場合には、認定証は没収され、チャイルドセーフ・メンバーリストから削除されます。

チャイルドセーフ・プロジェクトのもう一つに、チャイルドセーフ・ホットラインというものがあります。子どもが危険な目にあっている状況を見た人が連絡したり、子ども本人が訴えることができるものです。シーライツとフレンズ・インターナショナルは2004年から現在に至るまでチャイルドセーフ・ホットラインやチャイルドセーフ・トレーニングの拡大を目指しています。

また、シーライツは2006年にシェムリアップで開催されたフレンズの写真ワークショップの資金援助もしました。

写真ワークショップとは、①暴力や差別を受けたりすることで自尊心を傷付けられたストリートチルドレンが、自分を表現し自尊心を取り戻す事②子どもの性的搾取に関して社会に訴える事を目的として開催されたものです。ワークショップの活動内容は、まず、10人のストリートチルドレンに使い捨てカメラの使い方を指導しました。その後、普段はストリートチルドレンは写真を撮られる側ですが、今回は写真を撮る側となり、観光客対象に写真撮影をしました。写真撮影が終了した後、写真展開催のために写真を選び、題名をそれぞれにつけました。そして、最終的に、写真展「シェムリアップのストリートチルドレンから見た観光客」が開催されました。

この写真展の報告書日本語版「想像してみて!シェムリアップのストリートチルドレンから見た観光客」をシーライツで近日中に500円で販売します。(問合せ先:シーライツ東京事務所03-5817-3980) 収益金の一部は、チャイルドセーフ・プロジェクトに使われます。この報告書には、フレンズ・インターナショナル、シーライツとフレンズの活動、チャイルドセーフ、写真ワークショップに参加した子どものプロフィールや子ども達が撮影した写真などが載っています。(子どもの了解を得ています。)またカメラの使い方の指導を受けている子どもの様子や、写真撮影をする子どもたちの様子などの写真も沢山掲載されていて、読むだけでなく見ていても、楽しい1冊です。

シーライツの活動が今後も継続的に実施されるよう、皆様のお力添え頂けましたら幸いです。
シーライツ あなたにできること:http://www.c-right.org/join/kaiin.html
シーライツ ホームページ:http://www.c-rights.org

フレンズ写真ワークショップ報告書日本語版
「想像してみて!シェムリアップのストリートチルドレンから見た観光客」 500円
問合せ先:シーライツ東京事務所 03-5817-3980

「女性はおもちゃじゃない」-元性奴隷だったソマリー・マムの強制売春との戦い②-

2009年03月09日 13時55分43秒 | Weblog
前回の「祖父」と「パトロン」-元性奴隷だったソマリー・マムの強制売春との戦い①-の続きです。

『人身売買と戦うNGO団体 Future Groupは、カンボジアの買春・性奴隷の被害者数は、5万人に上ると想定している。少女約40人のうち1人が性産業に売られる割合とほぼ同じです。』

『現在ソマリーは、1年に40万人から200万人の女性と子ども達が国際的な性産業取引のために売り買いされることを推定し、強制売春について興味関心を引くために、ソマリーマム財団(http://www.somaly.org/:英語)の資金獲得で世界中を駆け回っている。少なくともカンボジアでは、売春禁止法施行が回答ではない。と彼女は言う。』

『「女性はおもちゃじゃない」彼女は言う。「私たちのすべては平等であるべき。尊厳のある生活には、売春や暴力行為はない。」』

『たくさんの買春宿と闘うことで、カンボジアに彼女は多くの敵を作った。彼女のグループが運営しているシェルターでは押し入りがあり、数人の女性たちが誘拐された。』

『2006年ソマリーの10代の娘が誘拐された。娘は救出されたが、ソマリーは性産業をコントロールする闇の世界の人との闘いの中で、今でも恐怖心を抱いている。それでも、この活動から離れられないほどに、この活動に重要性を見出している。』

『「被害者も私も同じ心と体、そして同じ痛みを抱えている。」彼女は言う「カンボジアだけじゃない。世界中を助けることができることが出来のなら、私はやってみる」』

ソマリーが抱えている心の闇が消えるのは、カンボジアの、そして世界中に今でも、売られ、性奴隷として働かされているすべての人の心の闇が消える時だと思いました。自分が過去に経験したことと同じ経験をしている人々を助ける事は精神的にも、肉体的にも容易なことではないはずです。それでも、取り組もうとするソマリーについて、より多くの方に、まずは知って頂きたいと思い、今日は、カンボジアだよりに記事の要約を2回にわたり掲載させて頂きました。

出典:http://tvnz.co.nz/view/page/536641/2112126
要約以上

ソマリーが設立したAFESIPはシーライツのパートナー団体でもあり、シーライツは、AFESIPによって運営されている人身売買被害女性保護施設における保育支援をしています。この保護施設には子ども連れの女性が多く保護されており、女性たちが、職業訓練に集中するため、また女性たちの子どもの発育などの子どもの権利のために、保育施設を設け、保育士の給料や子どものオムツ・ミルク代などの支援をしています。

シーライツのAFESIP保護施設への保育支援が継続されるよう、皆様のお力添えいただければ幸いです。
シーライツ あなたにできること:http://www.c-rights.org/join/kaiin.html 
シーライツ ホームページ:http://www.c-rights.org/

「祖父」と「パトロン」-元性奴隷だったソマリー・マムの強制売春との戦い①-

2009年03月02日 19時14分51秒 | Weblog
2008年9月29日のTVNZ(Television New Zealand)のウェブサイトで、以下のような記事がありました。この記事は、シーライツのパートナー団体のカンボジアNGO、AFESIPの創設者ソマリー・マムさんがインタビューを受けた時のものです。ソマリー・マムさんは、自らが買春宿に売られた過去を持つ人身売買・性的搾取の被害者です。そのソマリーさんは、人身売買・性的搾取の被害に今現在遭っている女性、少女たちの救出・保護活動をする為にNGOを立ち上げ活動をしています。応援したい、支援したい、紹介したい女性の一人です。以下、その要約をここに紹介をさせて頂きます。

『クメール・ルージュ大虐殺が行われていた頃〔注:1975-1999年〕、すでに孤児となっていたソマリー・マムは、自分の名前や年齢だけでなく、家族のことも覚えていない。買春宿に売られてやっと、過去の記憶がよみがえってきた。』
『彼女は、性奴隷の記憶を消し去ることの出来ないこれまでの波乱に満ちた人生を、強制売春でよみがえってきた古い過去の記憶とともに生きている。逆境を乗り越えるディケンズの物語のような、冤罪の人生のようである。』
クメール・ルージュ大虐殺に加えて身寄りがないということ、また買春宿に売られ、性奴隷として産業に従事していたことが、ソマリーの心に想像を絶する闇をもたらしたことは言うまでもないことと思います。

『彼女は、カンボジアの山岳地帯から誰もがあこがれる国際舞台まで駆け上がったにもかかわらず、驚くべきことに自分の人生だけを考えて生きているのではない。
「そんなふうに感じたことはない。私は今でもソマリー。昔、現場で働いていて、今は被害者を助ける。」とソマリーはインタビューで告げた。』
『ソマリーは1970年頃生まれた。推定170万人が虐殺され、処刑され、飢餓の悲惨な拷問や病気で死亡した、1970年終わりころの4年間のクメール・ルージュの革命のときのことを少し覚えてる。』
『彼女は、自分が「祖父」と呼んでいた年配の男性に連れられて山を出た。この男性は、「祖父」という敬称に似つかず、残酷な性格の持ち主だった。ソマリーが16歳くらいになろうという時に、「祖父」は自分の借金返済のために彼女を買春宿に売った。』
ソマリーさんは、自分がどのように買春宿に売られたかをここで告白しています。それは、とても勇気のいる事と思います。また、多くの少女や少年、女性が同じように慕っていた「祖父」の存在のような人、または自分の家族に、買春宿に売られています。多くは、借金返済のためであったり、貧しい家族を支えるためであったりします。根底には「貧困」という問題が根強くあるのだと思いました。

初めての熱いシャワー
『数年間にわたって買春宿に拘束されていた時、ある日買春宿のオーナーが横柄な態度をとったという理由で女の子の頭を殴るという恐ろしい光景を目撃した。しかしそれは、貧しい家庭が債務支払いのために娘を売るカンボジアにおいて、巨大な性貿易で蔓延する暴力行為の一つにしかすぎない。女性に対する暴力防止のための法律は施行が十分でない。』

『NGOに勤務するスイス人のパトロンが買春宿に$100支払い、ソマリーは自由になった。女性たちが安全に買春宿から出ていくことのできる数少ない方法の一つである。』
『彼女はパトロンの部屋で、初めて熱いシャワーを浴びた。「彼は、、、蛇のような輝くものにスイッチを入れた。初めてきちんとしたせっけんを使った。それはそれは花のようにいい香りがしたのを覚えている」と彼女は記す。』

ソマリーさんは、幸運だったと思います。買春宿に監禁されている多くの少女や女性たちにとって夢のような話だと思います。ここでは、一文で「$100を買春宿に支払って、ソマリーを救出した」と書いてありますが、実際には危険な行為で、少女たちを救出する為には、調査を念入りにする必要があり、警察の協力も得る必要があるケースも多いです。

『ソマリーはしらばく滞在したフランスで結婚し、自分にできる手段で「少女たち」を助けるためにカンボジアに帰った。。そして、カンボジアに戻り、買春宿では滅多に使用されていなかったコンドームやせっけんの配布から始めた。』
『自分が育った村は避けつつ、数名が協力して「女性と少女のためのシェルターActing for Women in Distressing Situations (AFESIP)(苦境に立つ女性の為に行動する会)」を立ち上げた。』
『スペインの草の根グループが、アフェシップが地域に拡大するのを支援し活動範囲はタイやラオスにも広がっている。カウンセリングの提供や、シェルターの提供、エイズ防止策に関する教育の機会提供も実施している。またメンバーは、性産業に従事する少女たちと関わることの危険性について、男性に話もしている。』
次回「女性はおもちゃじゃない」-元性奴隷だったソマリー・マムの強制売春との戦い②-につづく。。。

AFESIP ウェブサイト: http://www.afesip.org/(英語)

C-Rights ウェブサイト内でもAFESIPを紹介しています。: http://www.c-rights.org/project/cambodia/4partner.html (日本語)

2008年12月のソマリー・マムさん招聘講演の報告をC-Rights ウェブサイトでご覧頂けます:http://www.c-rights.org/2008/12/081.html (日本語) 

スタッフ紹介:HCCスバイリエン農村開発指導員チャン・パーリン氏

2009年02月06日 17時29分26秒 | Weblog
前回、シーライツの現地パートナーNGO、HCC(HealthCare Centre for Children)のスタッフ、シム・ピセットさんの紹介をしました。シーライツとHCCが協働で実施しているプロジェクトの一つ、カンボジア/スバイリエン州(ベトナム国境近くの州)の農村で実施しているスバイリエン・プロジェクトを現地でシム・ピセットさんと一緒に活動している農村開発指導員のチャン・パーリンさんの紹介を今日はさせて頂きます。

パーリンさんが幼いころに抱いていた夢は医者になることでした。
彼は1997年に高校で、牛の売買の仕方などをビジネスとして勉強し、その後、コンポンチャム州の高校で引き続き勉強をしていました。2003年には農業を専門に大学で勉強し、多くの経験を得たのは大学在学中でした。野菜の栽培法などについて大学では勉強し、夜は、警備員として、早朝には、新聞配達をしながら生活をしていたそうです。2006年には、大学を卒業し、スバイリエンで英語とITの先生として、CCPCR(カンボジア国内における児童虐待や性的搾取、人身売買の被害にあった子どもや会う可能性のある子どもの保護・防止活動を主にするNGO Cambodian Center for Protection of Child Rights)に勤務していました。CCPCRで1年間勤務した後、CEDAC(農業専門NGO)にて、フィールドトレーナーとして3ヶ月勤務し、その後、フィールドコーディネーターとして仕事をしていたそうです。CEDACに勤務している間に、スバイリエン州での自助グループの形成に携わり、同時に、5州の各1村において野菜の生産などについて指導をしていました。2007年終わりごろに、CEDACを退職し、現在のHCCで、2008年8月より農村開発指導員として勤務しています。「医者にはなれなかったけれど、動物や野菜の医者だ」と彼は言います。

子どもの権利について、パーリンさんが初めて知ったのは、2006年にCCPCRで勤務していた時だそうです。当時、児童労働によって権利侵害を受けた子どもや、被害の可能性のある子どものために仕事をしていたことがきっかけでした。

「現在、農業指導員としてHCCで勤務していて、やりがいのあることは?」という質問に、人々と仕事をしていること、と答えてくれました。貧困層の人と仕事をしていることにとくにやりがいを見出しているそうです。というのは、貧困層の人を助けたいという思いだけでなく、実際に行動に起こす事が出来るからだそうです。でも、すべての農民が必要な知識を持っているわけではなく、農業技術指導の際の教え方に苦労しているといいます。「それでも絵を描いたり、写真を見せたりすることで理解してもらえて、面白いけどね。」とも言っていました。

パーリンさんの将来の夢は、大学でもう一度勉強をしたいことだそうです。パーリンさんにはつい最近生まれた4ヶ月半の息子さんがいます。彼のためにも、家族のためにも頑張って仕事するんだと言っていました。

以上がパーリンさんに伺ったお話です。
毎回スバイリエンに出張に出かけるたびに、ピセットさんとパーリンさんに会い、元気を貰ってプノンペンに帰ってきます。1月の中旬に初めてパーリンさんの農業技術指導を見学させて頂いて、スイカの栽培法について学びました。もし、畑を持っていたら、私も実践してみたいと思わせるような指導内容でした。また、パーリンさんの農業技術研修に参加した村人の識字率は約80%。その識字率にあわせてか、参加者全員に理解してもらえるように、牛の絵を描いたり、一生懸命努力をしている様子が伺えました。指導をするパーリンさんの姿からはやる気に充ち溢れ、そのやる気が村人にいい影響を及ぼしているということが、パーリンさんの質問に積極的に答える村人の姿勢からはっきりと感じ取れました。「農業をする術を知っている今、出稼ぎに行く必要もないし、出稼ぎに出て欲しくない」というパーリンさんの思いは少しずつでも確実に村へ浸透していっているように感じました。シーライツのスバイリエン・プロジェクトを実施しているピセットさんとパーリンさんを、そしてシーライツの今後の活動への支援を、よろしくお願いいたします。

甲斐田です。一言補足させていただきます。
パーリンさんは、農業大学で獣医学を学ばれ、卒論も牛と豚の育て方について書かれました。HCCのスタッフに応募した理由は、そういうテーマで自分が学んだことを活かせると思ったからだそうです。CEDAC(有機農法を進めるNGO)のスタッフとして働いていたときは、有機農法による果物を生産共同組合でつくる指導をするフィールドワーカーでした。収穫した果物をCEDACの市場へつなげて販売する仕事をしていたときは、有機産品ということで通常より10%高い値段をつけて売っていたそうです。そんなに高い値段でも売れていたのかと尋ねたところ、果物、野菜、豚やトリもすべて自然農園のものがおいしいと消費者に評判で買ってもらえたそうです。最近、CEDACは、有機作物を販売したり、有機作物による食事を出したりするお店や食堂を3つオープンしましたが、その1つはスバイリエンにあるそうです。将来は、パーリンさんと一緒にスバイリエンで有機農業を広めて、それらのお店に出荷できるくらいになると、私たちの支援する家庭も貧困から抜け出せるのではと夢は広がります。

シーライツ あなたにできること:http://www.c-rights.org/join/kaiin.html
シーライツ ホームページ:http://www.c-rights.org/

*記事・写真掲載にあたり、本人の了解を得ています。

スタッフ紹介:HCCスバイリエン現地調整員 シム・ピセット氏

2009年02月03日 19時06分30秒 | Weblog
今日は、シーライツの現地パートナーNGO、HCC(HealthCare Centre for Children)のスタッフ、シム・ピセットさんの紹介です。シーライツとHCCが協働で実施しているカンボジアでのプロジェクトはいくつかありますが、その一つ、スバイリエン州(ベトナム国境近くの州)の農村で実施しているスバイリエン・プロジェクトを現地で運営している一人がシム・ピセットさんです。

まずは、簡単にスバイリエン・プロジェクトについて説明をします。
‣収入向上プログラム:貧困が理由で出稼ぎに出ていた家族や子どもが、再び出稼ぎに出なくてすむように、また出稼ぎに出た先で人身売買の被害や児童労働などの子どもの権利侵害を防げるように、収入を向上することで、子どもの権利を守るというもの。
① 牛銀行:選定された村の選定された家庭に、牛飼育法指導後、牛を貸出すことで、農業の効率を上げ、収穫量の改善・収入の向上を目指し、少女たちが出稼ぎに行かずに、学校に通い続けるようにする。
② 農業技術指導:選定された村の選定された家庭に、野菜・果物栽培法を指導し、種を支給することで、適切な農業の運営と収入向上を目指す。
 奨学金制度:登校・勉強に必要な文具、制服を支給し、子ども達の教育を受ける権利を守る。
 学校や地域でのトイレ・井戸・灌漑ポンプの設置支援:学校にトイレがなく、外でトイレをすることを恥じ、子どもが退学するのを防ぐ。農業のための井戸や灌漑ポンプの設置をすすめる。
 人身売買防止ネットワーク:学校・地域を拠点としたネットワークの中で、子どもの権利・人身売買などに関するワークショップを開催し、人々の意識の改善を図ることで、自分の身の守り方を学び、子どもの権利侵害を未然に防ぐ。

HCCはスバイリエンにも事務所を構え、以上のプロジェクトをスバイリエン・プロジェクトとして実施しています。現在2人が勤務しており、ピセットさんはその一人です。ピセットさんにカンボジアだよりに登場してもらったのは、現場でどういう人が実際に働いているのかを皆様に知って頂きたかったことや、何度か出張でスバイリエンを訪問し、彼の、プロジェクトや貧困削減、人身売買防止に対する熱意を感じたからです。活動をしている彼の姿が私にはとても眩しく見えました。ピセットさんは、ベトナム戦争中の1969年に生まれました。幼いころに抱いていた夢は警察官になることだったそうです。高校卒業後、9ヶ月間警察官($25/月)として仕事をしました。そして結婚し、警察官の給料では家族を賄えないため、退職しました。タクシードライバーとして2年仕事をしたあと、プノンペンへ行き、人権に関するトレーニングコースに参加しました。トレーニング終了後、約2・3ヶ月は無職だったそうですが、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)で、人権について人々にトレーニングを実施するトレーナーとして仕事につきました。1993年には国政選挙の監視委員も務め、その後、リカド(カンボジアローカル人権NGO)で、スバイリエンにて仕事をしていました。2年間はトレーニング、その後3年は人権侵害の調査をしていたそうです。そして1998年、CCPCR(カンボジア国内における児童虐待や性的搾取、人身売買の被害にあった子どもや被害を受ける可能性のある子どもの保護・防止活動を主にするNGO)に所属し、スバイリエンで勤務していました。ここでは、子どもの権利侵害の訴えを受け付ける窓口として働いていたそうです。2004年に、HCCにて9ヶ月間トレーナーとして仕事をしていましたが、その後、ワタナピエップ(子どもの人権の推進活動をするカンボジアNGO)で2年間、権利侵害を受けた子どもや受ける可能性のある子どもを対象に、カウンセラーとして仕事をしていました。ワタナピエップでの仕事の後、再びHCCに戻り、現在に至ります。今は、スバイリエン・プロジェクトの対象村や家庭内の調査や、人身売買防止ネットワークにおけるワークショップの企画運営や評価、ワークショップ内で、子どもの権利や人身売買についての話などをするのがピセットさんの仕事です。シーライツが経済的に支援している資金で、実際に村の人と直接関わり現場で動いているまさにその人(張本人はあまりよい人に使う表現ではないのではないかなと思います)です。

ピセットさんが子どもの権利について初めて知ったのは、CCPCRで仕事をしていた時だそうです。彼はスバイリエン州の約80%の地域で、子どもの権利について教えていたそうです。今の仕事をしていて、コミュニティーや子どもや村の人と働くこと、自分自身の守り方や、地域差・地域色(例:プノンペンとスバイリエン)などについて話をすることがとてもやりがいがあるといいます。逆に、村の人々への働きかけなどのソーシャルワークは、結果が出るまでに時間がかかるので大変なようです。例えば、今実施している奨学金制度について。奨学金を受給した子ども達をピセットさんは心配しています。彼らの教育がどこまで継続されるのか不安だからだそうです。

最後にピセットさんの将来の夢は、大学の法学部で勉強をしたいのだそうです。というのは、現在カンボジアにある法律は富裕層だけのために施行されているからだそうです。たとえば、人身売買の被害に遭った子どもが裁判にかかった時に、裁判費用を支払うのは被害に遭った子ども(の家族)であることが多々あるそうです。そういった子ども達を守りたいという思いから、大学で法律を勉強したいと彼は言います。また、彼の4人の子ども(長男次男:高1、長女:中2、3男:6歳)に高校卒業してほしいという夢も抱いています。

以上がピセットさんに伺ったお話です。
毎回、スバイリエンでピセットさんに会うたびに、私はエネルギーや「カンボジアの将来に希望あり」という思いをもらって、気持ち新たにプノンペンに戻ります。ピセットさんが活動する姿を見て、多くの村の人や、子どもたちが自分たちの活動にやる気を見せています。私もピセットさんからいい影響を受けている一人です。以前に会った村長さんはあまり活動に興味を示している様子は見られませんでしたが、ピセットさんと村長さんの関係が深まった事で、村長さんも今では興味を示し、積極的に野菜栽培や、自分が所有する土地を貧しい家庭へ貸出しするなど協力的になってくれています。急には変われないけれど、少しずつ、ゆっくり、人の態度が、人が、家族が、村が、学校が、コミュニティーが、そして、国全体が変わっていけばいいなと思いました。
皆様からご支援頂いているシーライツの活動、スバイリエン・プロジェクトは、ピセットさんがいるから大丈夫だという安心感を皆様にお届けし、この場をお借りしてシーライツの今後の活動への支援もお願いいたします。

甲斐田です。一言補足させて頂きます。
ピセットさんがどんな思いで活動をしているかということは、カンボジアだよりのブログ「支援地域で起きた少女レイプ事件」(2007年5月23日)でも紹介したことがあります。貧しい家庭の7歳の少女が村で権力をもっている近所の家庭の息子によって、レイプされた事件ですが、加害者はすぐに逮捕され起訴されました。このような迅速な対応ができたのも、ピセットさんが人一倍の正義感をもっていて、こんなことは許さないという姿勢で取り組んだからだと思います。カンボジアでは、残念なことに、幼い少女たちがレイプ被害に遭うケースが増えています。彼のようなスタッフが、子どもたちだけでなく、村のリーダーや村人に子どもの権利を広めてくれているおかげで、その後、このような事件が支援地域では起きていません。彼が法律の知識を身につけ、それが地域に広がることによって、カンボジアにおける法の執行力がさらに強まることを願っています。

シーライツ あなたにできること:http://www.c-rights.org/join/kaiin.html
シーライツ ホームページ:http://www.c-rights.org/

*記事・写真掲載にあたり、本人の了解を得ています。