カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

2009年、レイプ報道が増加:専門家調べ

2010年03月29日 13時30分33秒 | カンボジアの人権状況
今回のカンボジア便りでは、昨年度、カンボジアでのレイプ事件報道件数が増加したという記事をご紹介します。カンボジアでは、特に農村部でのレイプ事件が多発しており、被害者の多くは子どもです。事件数そのものが増えているかは信頼出来る統計がないので、定かではありませんが、警察側は、カンボジア国内でポルノが以前より簡単に手に入るようになったことや、アルコールの消費量が増えたという理由を議論している一方、人権擁護団体の啓発活動の努力により、報道数の増加がみられたのだという見方があります。いずれにせよ、レイプがなくならない原因として、女性・子どもへの差別、犯人が賄賂を払い罪から逃れられる、処女性を重視する文化のため被害者が黙っている、などの背景があると思います。9歳の少女がレイプ後に殺害されたなどの報道を耳にしますが、具体的にどのようなレイプ事件が起きているのか、別途ご紹介していきたいと思います。

写真©Phnom Penh Post
子どもへの性的暴力をなくすためにご支援ください。

詳しくは、http://www.c-rights.org/join/donation.html

2009年、レイプ報道が増加:専門家調べ2010年1月26日 プノンペンポスト紙
モム・クンティアー記者、ブルック・ルイス記者

 先週発表されたメディアの分析によると、 2009年に各紙で報道されたレイプの件数は2008年の268件を上回る322件で、その半数以上が子どもが被害者のケースである。
エクパット(ECPAT)カンボジアが、カンボジアの新聞5紙におけるレイプ事件の報道について行った調査では、昨年報道された322件の被害者337人のうち、204人が子どもであることがわかった。
ECPATカンボジア代表のチン・チャンウェスナ氏は、「政府とNGOはレイプから身を守ることについて広報活動を行っており、レイプに関する全国的な啓発活動が報道件数の増加に多少なりとも影響しています。しかし状況は深刻で、子どもの安全に注意するよう、保護者への教育をさらに進める必要があります。」と語った。
昨年起きたレイプ事件の容疑者381人のうち、有罪判決を受けたと報道されたのはわずか1.5パーセントにあたる6人であった。これは示談解決の多さが一つの要因であるとECPATは考えている。
チン・チャンウェスナ氏によれば、多くの被害者は捜査や訴訟にかかわる費用を支払えないために示談解決を選んでおり、こうした慣行によって加害者がたやすく再犯に及ぶようになり、レイプ事件がなくならない要因となっているという。
「無償で被害者を支援しているNGOが多数あるので、たとえ訴訟(にかかわる)費用を支払えなくても法廷に訴えるよう、引き続き被害者に積極的に働きかけています。」と同氏は話した。

人権団体Licadhoの職員サオ・チャン・ホーンは、「いかにレイプから身を守るかについて、政府がより多くの情報提供を行う必要があります。レイプ事件は主に貧しく教育水準の低い家庭が集まる農村地域で起こっています。子どもが被害者となっている事件の報道件数の増加は、不注意な親の責任だとすべきではないのです。」と語った。
14州のみのデータであるものの、Licadhoにおいても2009年のレイプ事件の報道件数の増加が確認されていると同氏は話した。Licadhoが新聞、被害者の家族、警察から情報を収集したところによると、子どもが被害者となっているレイプは146件から209件に急増している。
チン・チャンウェスナ氏は、レイプ事件の総数は報道された件数より多いことを指摘し、ECPATは他のNGOと協働で2010年中頃に包括的な報告を発表する予定だと話している。

(2010年2月10日 翻訳:植田あき恵)

虐待事件で子ども使用人社会の暗部が明るみに

2010年01月13日 10時54分47秒 | カンボジアの人権状況
こんにちは、長島です。新年明けましておめでとうございます。
カンボジアでは、お正月は4月にクメール正月としてお祝いをするので、1月1日のみ祝日で、年末年始も普通に仕事をしております。相変わらず毎日暑いので、お正月気分にはならず、こちらの方々は4月の新年を楽しみに待っているようです。

さて、今回のカンボジア便りでは、家事使用人として奴隷のように扱われ、虐待を受けていた少女の記事をご紹介します。国際労働機関(ILO)の統計によると、世界でこのような「最悪の形態の児童労働」に従事させられている子どもは840万人にのぼると言われています。新聞報道によると、近所の人の通報により救出された少女は、その6週間後には学校に通い始め、笑ったり、他の子どもたちと遊ぶようになってきたそうです。
虐待を受けていた少女の心の傷は、簡単に癒されるものではありませんが、新しい環境で少しずつ回復出来ることを願うばかりです。

写真は救出された時の少女の写真©Phnom Penh Post
児童労働をなくすためにご支援ください。

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虐待事件で子ども使用人社会の暗部が明るみに

カンボジア・デイリー紙
アビィ・セイフ記者、チェン・ソクホーング記者

11歳の使用人に残忍な虐待を加えた疑いがかかっているメアス・ナリー(41歳)およびその夫ヴァー・サルーン(62歳)両容疑者宅の向かいに住む女性は、プノンペン市セン・ソック地区における2人の暮らしぶりを約2年にわたって見てきた。
この女性は、高校教師のメアス・ナリーと元公務員のヴァー・サルーンが、プノンペン市トメイ地区にあるゲート付きの大邸宅を出て車で仕事に向かう姿や、この閑静で広々とした地区をジョギングする姿を見かけたが、夫婦以外の人が出入りするのを一度も見たことがなかった。数軒先に店を構える店主や近所の飲食屋台の女性も、夫婦以外は見かけたことがないという。

そしてこの隠匿性こそが夫婦の犯行を可能にしていた。両容疑者は孤児の11歳の少女を使用人として置き、洋服のハンガーで繰り返し叩き、ペンチで髪と頭皮をまとめてむしり取り、少女が人に助けを求めることを許さなかった。
木曜日に夫婦の瀟洒な邸宅から警察に救出されるまで、スレイ・ニエングという名前だけ伝えられているこの少女は見えざる存在だった。
これは極端なケースだが、現代カンボジアの家事使用人社会の影に隠されているのは、決して彼女だけではない。

地元の人権保護団体Licadhoおよびキリスト教系団体ワールド・ビジョンが2007年に実施した調査では、プノンペン、コンポンチャム、バッタンバン、シアムレアプにおいておよそ2万1千人の子どもが家事使用人として雇われていることが明らかになったが、現実の数字はこれを大幅に上回っている可能性がある。

国家統計局と国際労働機関(ILO)が行った最新の調査(2003年)によると、プノンペンだけでもほぼ2万8千人の子どもたちが家事労働に就いていることがわかっている。
国際移住機構(IOM)は2007年に子どもの就労について大規模な調査を実施したが、同機構のプロジェクト責任者ジョン・マクジオガン氏は「この数字が増加あるいは減少どちらの傾向にあるのか示すデータがない。」と話している。
「家事労働に就いている子どもの数は闇に包まれている。彼らについてわかっているのは、とても脆弱な存在であるということくらいだ。」と同氏は述べる。
カンボジアの子ども家事使用人(Child Domestic Workers)を虐待、人身売買、さらには危険な生活のリスクに晒しているのは、まさに存在自体が隠され、見えなくされているという現実なのである。
IOMの調査によれば、性産業で働く人の51パーセントが子どものとき家事使用人として働いた経験があるという。

米国労働省が先月発表したレポートでは、子どもが労働力として利用される可能性の高い4産業(レンガ、エビ、塩、ゴム)が指摘されているが、こうした産業への取り締まりは比較的たやすい。子どもがレンガ工場やプランテーションで働いていれば人の目に留まるはずだ、とILO児童労働撲滅国際プログラムのカンボジア主席技術顧問を務めるMPジョセフ氏は語る。
「一方、個人宅は公の場ではないので介入ができない。そこで働いている子どもにアクセスするのは極めて困難である。彼らは見えざる存在だ。」と同氏。
2008年6月、フン・セン首相は「児童労働における最悪の形態に対する国家行動計画」を承認した。このプログラムは、2004年に労働職業訓練省が発布した18歳未満に対する危険労働禁止の改正である。
家事は「危険」な労働に該当するが、場合によってはわずか12歳の子どもが合法的に従事することができる。
子どもが家事労働に就くことは児童労働の「最悪の形態」とみなされるとジョセフ氏は言う。「これは最悪の形態の一つとして、即時撲滅の対象です。」
「そうは言っても、実現が最も難しい問題の一つだと言っておかなければなりません。」と同氏は付け加える。

デイ・トメイ通りでは月曜日、救出された少女の身体のひどい状態について近隣住民が語った。耳は血だらけで、髪は抜け落ち、硬貨大の傷跡が複数あったという。
また、住民たちは、容疑者夫妻がいかに裕福に見え、そして排他的であり、住民と交わることがほとんどなかったことを話し、記者に名前を尋ねられても、「安全のため」と言ってほとんどの人が名乗りたがらなかった。
メアス・ナリーとその夫の両容疑者、そしてトエング・レス容疑者(62歳。2008年、カンポット州において、少女を同夫婦に400ドルで売った疑い)はプレイソー刑務所に移送された。注訳)

現在少女のケアを行っている団体Hagar Internationalの子どもプログラム責任者であるスー・ハンナ氏は、少女の状態について「今は眠っています。我々は医療面ケアと基本的な健康管理に重点を置いています。彼女はひどい栄養失調状態にあります。」と話した。
「彼女は深刻なトラウマを抱えており、生涯、悪影響を及ぼすような数々の記憶が心に焼きついています。」と同氏は付け加えた。

注訳)一部割愛
(2009年12月21日 訳・植田あき恵)

レイプされて売られそうになったケース (最終回)

2007年06月19日 12時57分31秒 | カンボジアの人権状況


こんにちわ、中川かすみです。今回は、レイプされて人身売買の被害にあいそうになったキム事件の最終回です。結果的にはキムの親族に政治家がいたことが大きく影響し、キム側は小額の非公式な経費(一般的には賄賂と呼ばれる)を裁判所に支払っただけで、被告人には15年の実刑判決が下されました。

公判の日、わたしは仕事の関係で傍聴にいけませんでしたが、信じられないような事態となって、その様子が当地の新聞にも掲載されました。被告人の友人と思われる若い男性数名が拳銃を持って法廷に入り、全てはキムの嘘で被告人は無罪だ、と大騒ぎしたのです。法廷内で拳銃を振りまわして騒ぎ散らす若者がいたのに、裁判所の警護は誰も止めに入りませんでした。キム側の家族が、親族の政治家メイに電話をして内務省(警察)の高官に働きかけてもらって、警察が法廷に入ってきて拳銃を持った若者たちは外へ出されました。一段落した時にキムの親族と電話で話したのですが、とても混乱していて何を言っているのか聞いても私には様子が分からず、相当ショックを受けているなと感じられました。裁判は延期となり、次の公判ではキムの親族が事前に警察に警護の依頼をしていたおかげで邪魔もはいらず(もちろん警護には経費がかかりました)、裁判は無事終わり、15年の実刑判決がでました

裁判には勝訴したものの、キムの自宅軟禁は続きました。キムの親族の一人が私の友人であったため、裁判前からキムの住む家を時々訪問して一緒に食事したりしていました。キムが身内からも非難されて、いつも悲しそうにうつむいて生活している様子を見て、カンボジアってなんて社会なんだと許せない気がしました。「毎日何してるの?」と聞いても、「罰を受けさせられている」と親族は言っていました。事件後、キムが話す様子を見た記憶はなく、キムはいつも黙って下を向いていました。わたしは大学の仕事が大量にあって、手伝ってくれる人が必要だったので、キムに講義用の書類の準備や整理を頼んでもいいかと聞くと、親族が了解してくれたので、ちょっとした責任を持ってもらう仕事をしてもらう機会を作ることができました。ところが、「アルバイト料を払うから」と言っても親族は「罰を受けているから」と言って一切受け取りを拒否します。判断に迷ったのですが、なんとなく悪い気がして、結局仕事を頼むのはやめてしまいました。こうしてキムは、20代の大切な時期を、人権侵害の被害にあっただけでなく、家族からも非難され、自由を奪われて生活しました。でも結局は色々な事情が重なって、キムはフランスに移住することになりました。

この事件は、わたしが人権問題に深くかかわる原動力となりました。事件を通じて、カンボジアの司法は腐っているから何をやってもだめだ、被害にあった娘を処罰する両親の気持ちが理解できない、カンボジアに対して本当に絶望しました。でもその結果、だからこそできる事をやってみようと思いなおした事件だったのです。

キムのことがずっと心のどこかで気になっていた私は、今年の4月やっとフランスで生活するキムを訪問することができました。フランス語の学校を終えて今はすでに仕事をしている彼女は、わたしをシャンゼリゼにある「ヒッポ」という人気の高いレストランに招待してくれました。カンボジアで会った彼女の印象は、いつもうつむきに周囲を窺っている女の子でしたが、今の彼女は別人のようでした。フランスに来てから言葉が分からないからとても大変だったこと、仕事がなかなか見つからず将来が不安だったことなどを話してくれました。まだフランス語が分からない時に間違ってバスに乗って大変だったことや、仕事の失敗談などを笑いながら話せる、笑顔の素敵な普通の女性になっていました。前菜を食べ終わった後、メインのステーキが運ばれてきて食べ始めたとき、「このソースまずい」と彼女が顔をしかめて文句を言いました。まさにその瞬間、数年来私を悩ませていたこの事件には、私なりに決着がついた気がしました。今後は、自立したキムがフランスで自由に生きていってほしいと思っています。

カンボジアの司法が、権力や汚職の影響を受けて独立でないことについて、わたしはこのキムの事件だけでなく、数多くの事件を通じて実感しています。絶望したことは数え切れません。でもそれを公の場で発言すれば、被害者を危険に追いやってしまうという恐怖と自分が国外退去になるという恐怖があり、どうしようもないジレンマに陥ります。どうすればいいのか、回答は見つかりませんが、少しずつでも司法が独立していってくれればと思います。カンボジアで人権がより保護され被害者が差別されない社会を作っていくため、日本政府やNGO、あるいは一個人でも何ができるか検討していく必要があると思います。


写真は本文といっさい関係ありません。

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レイプされて売られそうになったケース (2)

2007年06月19日 12時33分31秒 | カンボジアの人権状況


こんにちわ。中川かすみです。前回紹介した、キムが僧侶に何度もレイプされた事件の続きです。家族には「寺を訪問する」と言ってキムは自宅を出て、その後行方不明になりました。夜になってもキムが帰宅しないのを心配した両親は、知り合いの警察や権力筋など可能な限りのネットワークを使って娘を探そうとしました。

捜査の結果、失踪した日の翌朝、キムはポイペト(タイとカンボジアの国境)の安宿で僧侶とともに発見されました。たった一夜で行方不明者を探し出した迅速な警察の捜索能力は驚きです。犯人が捕まらないのは警察の能力が低いということはよくいわれますが、それだけではなく、警察に捜査する気がないからなのだという事実をこの一件が暗に証明していると思います。僧侶は人身売買未遂の容疑で逮捕され、キムは保護されました。ところが、ここからキムの新たに悲惨な生活が始まります。

キムはレイプされたと主張したのですが、僧侶側の弁護士が準備した弁護内容には、キムは合意の上で僧侶と性的関係を持っており、さらに具体的な二人の性的行為が数ページにわたって詳細に書かれていました。キムが僧侶といっしょにタイに遊びに行くために家出したのだという記述もありました。キムの両親は、特に性的行為の部分を読んでショックを受け、娘がふしだらだと激怒しました。キムのような娘は家にいてもらっては困ると言ってキムを親戚の家に預け、親戚には娘を罰して再教育するため家に軟禁するように依頼しました。たとえレイプされたとしても、結婚前に性的関係を持ってしまったこと、さらに両親には受け入れられない娘の性的行為が(レイプであったとしても)弁護士など他人に知られてしまったことで、キムは制裁を受けることになったのです。いずれにせよ、裁判の準備が始まると、キムの家族は被告人の家族や友人から脅迫を受け始め、安全上の理由でキムは親戚の家から出ることは不可能になってしまいました。

裁判が近づいたある日、キムの弁護士が裁判所から呼び出しを受けました。弁護士とキムの親族は裁判所の職員から、「被告人側は勝訴するために1万3000ドル(150万円くらい)支払っているから、もし裁判に勝ちたかったらそれ以上必要だ」と単刀直入に言われました。裁判の前から判決内容が決まっていて、結果を自分に有利に変えるためには賄賂を払わなければならないという事実が本当なのだと、私は初めて実感しました。キムの家族は中流家庭とはいえ、そんな大金を支払う余裕はありません。公務員の月給が3000円程度の国なのです。 

キムの親族の中に、司法分野で多少権力を持っている政府高官メイがいたため、両親はメイにこの事件を仲介してもらえないかと相談しました。ところがメイは、「身内の者がそんなふしだらなことをしたと分かったら、自分自身が恥をかくから一切かかわりたくない。自分の名前は一切出さないでほしい。」との回答です。でも結果的には、政治家メイの親族が「スキャンダラスな」裁判にかかわっていることが司法関係者に知られることになってしまいました。カンボジアは「パイナップルの耳」ということわざがある程、噂がすぐに広まる社会です。キムのせいで自分の名誉が傷ついたと、キムの家族はメイから繰り返し愚痴を聞かされることになってしまいました。被害にあっただけでなく、本来なら味方につくはずの両親にも親族にも非難されて、当時のキムはとてもつらそうでした。

つづく

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レイプされて売られそうになったケース (1)

2007年06月06日 16時27分13秒 | カンボジアの人権状況
こんにちわ、中川かすみです。今回から連続して3回は、わたしの個人的な知り合いがレイプされて人身売買の被害にあいそうになった事件を紹介します。今回紹介する事件は、カンボジア社会の少女・女性に対する差別の問題と司法汚職問題について真剣に考えさせられた事件だったとともに、わたしにとって人権問題に真剣に取り組む大きな転機となった事件でした。

数年前に発生したこの事件の概要は、20代の若い女性が僧侶によって繰り返しレイプされた後に拉致され、タイのトラフィッカー(人身売買業者)に売られる直前で保護されたというものです。なお、以下の個人名はすべて変えてあります。

被害にあったキムは、大学卒業後に就職先が見つからなかったため、英語学校に通っていました。「大学を出てもなかなか給料のいい仕事なんてないし、将来のことはあまり考えたくないし」という、中流家庭の普通の女の子でした。毎日通っていた英語学校でキムは、若くてハンサムな僧侶と親しくなり、その僧侶が「一度お寺にお参りにこない?」と言ってキムを誘いました。実のところ、キムはそれほど宗教に関心はなかったものの、お参りだからと不信感もなく、寄進を持って寺に行きました。ところがその寺院で、キムはその僧侶が生活する個室に連れて行かれ、性的関係を強要されました。密室であったことやキム自身が「寺院で?僧侶が?」と動転してしまったこともあり、結局キムはレイプされてしまいました。

実はこの僧侶は、外見は黄色い僧侶の服をまとって剃髪していたものの、信仰心のある僧侶ではなく、裕福な家庭の問題児でした。素行があまりにも悪かったため、寺院で修行するように両親から寺に送り込まれていたのです。弁護士の調査によって後になって得られた情報では、当時すでに数人独身女性を騙してタイに売り払ったと友人に豪語していました。ちなみに、こういう風に寺院に息子を閉じ込めて教育してもらうことは、金持ちの家庭ではそれほど珍しくありません。わたしが勤務する大学でも、高価な携帯電話を手にして女の子たちと仲良く会話している僧侶を時々見かけます。

さて、「性的関係をもったことを暴露する」と僧侶から脅迫されたキムは、口実を作って両親からお小遣いをもらい、寄進物を買って寺院を何度も訪問しました。僧侶は毎回彼女をレイプしました。ところがある日、「もうこれ以上耐えられないからどんな罰でも受ける。」と僧侶に伝えたことが、キムの人生を変えることになりました。「あなたの脅迫にはもう屈さない」というキムの態度は、僧侶を怒らせてしまったのです。もう一回だけ話し合いに来てくれないかと僧侶に懇願され、「これが最後」と決心して朝家を出て寺を訪問した彼女は、そのまま帰宅することもなく、行方不明になりました。

つづく

写真は本文といっさい関係ありません。水祭りの夜、公園でモノを売る少女。

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安全な出稼ぎのためのNGOの取り組み

2006年09月11日 15時34分17秒 | カンボジアの人権状況

みなさんこんにちは、平野です。これまでの記事で「安全で権利の守られた出稼ぎの実現」のための実効的な支援について書き、その中で出稼ぎ者へのさまざまな情報提供の重要性にも触れました。偶然にも、現地の英字新聞にまさしく出稼ぎ者への情報提供についての記事が出ましたので、今回はそれをお届けします。前々回書かせていただいたように、必要な情報は多岐にわたり、政府機能が向上されないとそれらを全て網羅することは困難と思われますが、現地のNGOができる範囲のことを行ってそれが成果を挙げているようです。

8月15日付The Cambodia Daily, “Increase is Seen in Malaysia Trafficking Cases” by Kuch Naren and Adam Piore翻訳/要約平野。文中に登場する2団体はともにNGO。

カンボジア人の人身売買被害者が送られる先としては、タイとベトナムが依然として圧倒的だが、マレーシアのケースも増えてきている。Cambodia Women’s Crisis Centerの事務局長は教育不足にも原因があるとしている。「マレーシアについての情報の不足と首謀者への処罰の甘さが人身売買の主な理由だと思います」と彼女は言う。

フン・ソアンの場合、まさしく情報の不足が問題だった。31歳の彼女によると、リクルーターに年収1125ドルを約束されてマレーシアに行き家事使用人として働いたが、雇い主はわずかな食事で彼女を朝4時から夜7時まで働かせ、やめたいと言うとひどい暴力をふるったという。隣人が警察を呼び斡旋会社に他の家を斡旋されたがそこでも同じような仕打ちを受け、カンボジアに帰りたいなら1000ドル払えと会社に言われた。父親がCWCCに訴えて彼女は送り返された。「カンボジアでの農作業は大変ですが、食べ物も寝る時間も充分にあるのでずっといいです」と彼女は言う。CARAM Cambodiaの事務局長、ナブット・ヤによると、多くの斡旋業者は3年契約の1年分の給料を旅費や研修代等の経費として差し引く。「パスポートなどは没収され、搾取的な契約を結ばされます。多くの場合、働かないのなら警察を呼ぶと言われ、彼女たちはどうしていいのかわからないのです」と彼は言う。

しかしながら、マレーシアの斡旋業者は合法的に運営されているので、労働者の保護は不可能ではないと彼は言う。CARAM Cambodiaは、多くの研修期間中のカンボジア人労働者に接触し、IDカードや労働者の権利、そして基本的な英語を教えてきた。そして先月、60人のカンボジア人家事使用人が労働条件に抗議してストライキを実施し、CARAM Cambodiaが交渉をし、彼女たちは仕事に戻った。しかしながら、性的人身売買の場合、状況は悲惨である。22歳のニン・ソピアップはタイでのウェイトレスの仕事を約束されたが、実際はマレーシアに送られた。人身売買業者に家に帰すよう頼むとジャングルに捨てて動物の餌にすると脅され、買春宿のオーナーには、一晩に3人の客を取らなければ殴る、と脅された。なんとか逃げ出してきた彼女は二度と国を離れるつもりはない。「彼らは私を動物のように扱いました」と彼女は言っている。

※写真は東南アジアの地図で、色が付いたところがマレーシアです。出典:外務省ホームページ

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若者のための民主主義講座

2006年01月25日 17時47分12秒 | カンボジアの人権状況
みなさんこんにちは、平野です。
今回は、前回ご紹介した私の友人サルーンがボランティアで活動するYCC(Youth Council of Cambodia=カンボジア青年評議会)の実施する民主主義講座について、ご紹介したいと思います。

【支持政党の違いを認めよう】

まずはliving democracyと呼ばれる13歳から17歳の子どもたちを対象にした初級編のワークショップに参加したときの印象をお話します。私の印象に残っているのは、カンボジアらしく支持政党の違いに対する寛容を強調していた点です。

説明にはゲーム的要素が取り入れられています。黒板に「寛容」と書かれた紙と「不寛容」と書かれた紙が貼られ、何人かの生徒が机の前にずらっと並び、前回もご紹介したYCCスタッフの高校の先生が読み上げる問題に対し、答えだと思うほうの紙に走っていくのです。例えば、“夫婦で支持政党が違うからといって、喧嘩をしたり対立したりする、これは寛容か不寛容か?”といった問題です。

これはしかし、なかなかに興味深い話です。考えてみれば人々が別々の支持政党を持って激しく議論することは実に民主的とも言えます。ともあれ、現実にカンボジアでは与党の力が圧倒的に強く、野党の支持者が差別されることが多いので、この「寛容」の精神を広めることが重要であることは間違いないでしょう。

【民主主義者よ、よき市民たれ】

さて、今度は18歳以上の若者向けのAdvanced Democracy Seminar(=上級民主主義講座)についてご紹介します。こちらはさすが上級編といいますか、democracyという言葉の起源から始まり、三権分立へと話は進みます。そんな中私が興味深く感じたことは「民主主義」と「良き市民である」ことが非常に密接に関連付けられて提示されていたことです。このワークショップでは「民主主義の実現のために若者が守らねばならない道徳」にようなグループディスカッションがあり、以下が挙げられました。

1麻薬を使用しない 2賭け事をしない 3非暴力 4勉強する
5盗みをしない   6伝統を守る 7人権を尊重する 
8ギャングに加わらない 9親や先生、年長者を大切にする 10環境に配慮する

いいことを言っているのですが、民主主義の世の中だと賭け事をしちゃいけないわけじゃないし、勉強怠けたら民主的でないわけでもないし…ですよね?しかしお隣ベトナムの共産主義も、本家コミンテルンの意向からドンドン外れ、農民の愛国運動という側面を強く持って発展したように、民主主義にもその国ごとの発展の仕方もあるということだと思います。

【民主的で人権の守られたカンボジアの担い手になるのは君たちだ】

なんにせよ、こういったワークショップで上記のような「若者の道徳」みたいなことを高校生がマジメな顔で語っているのは印象的でした。私の若い頃(今も若いですが、もっと若い頃!)を考えても、日本の若い人の間では、照れなのかなんなのか、マジメな話をマジメな顔で話すことがかっこ悪いとされてからもう随分経つような気がします。※同時に、この仕事を始めてから、NGOのボランティアなどに参加する意識の高い若者とめぐり合い、感激することが多いことも付け加えておきます。
 
現政権に、現状に疑問を呈し、異議申し立てをしていくことは非常に大切ですが、無力感にさいなまれることも少なくないかとも思います。一方で、将来のよりよりカンボジア社会の実現のため真剣に議論する若者たちを見ていると、とても勇気づけられるとともに、こうした地道な活動がいつか実を結ぶことを信じて草の根の活動を展開していくことの重要さを思わずにいられません。これはもちろん、国際子ども権利センターが支援する子どもの権利の普及にも全く同じことが言えます。

※写真は先生の読み上げる問題を聞きながら、少しでも早く走り出そうと構える子どもたちです。

みなさんもこの地道な活動の一部になってください ↓
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民主主義普及に奔走する若者

2006年01月20日 14時06分57秒 | カンボジアの人権状況
みなさんこんにちは、平野です。
今日はみなさんに私の以前からの友人をご紹介したいと思います。
彼の名前は・・・一応伏せて、仮名でサルーンとしておきます。日本語のブログではありますが、念には念にを入れておこうと思います。そう思わせるところまで、カンボジアの言論弾圧はきてしまっています。

【民主主義の普及のために】

現在27歳のサルーンがボランティアとして所属しているのが、YCC(Youth Council of Cambodia=カンボジア青年評議会)という若者の組織です。彼は以前平野が住んでいたスバイリエン州に住んでおり、同州にはスタッフとしてスバイリエン高校の先生、そしてボランティアの彼の2人体制になっています。この2人で、あちこちに出かけていき、民主主義の普及に努めているのです

彼らの行うワークショップには2種類あり、13歳から17歳向けのものと、18歳以上向けのものがあります。完全に厳密なものではないようですが、内容的には初歩と上級編になります。サルーンと先生は、ピクチャーカードや模造紙を持ってスバイリエン中の中学校や高校をバイクで廻っているのです。

【校長からの嫌がらせ】

ベトナム国境に近いスバイリエン州は、現在の親ベトナム政権を反映してか、与党人民党が強く、以前はフン・セン首相の兄弟が知事をしていたこともあります。そして同州の学校の校長先生には、熱心な人民党支持者が多いそうです。サルーンとともに活動する先生も、職員会議で校長から「よからぬ活動に参加している教師がいる」と言われたことがあるとのことでした。また、民主主義とかグッドガバナンス(良き統治)という言葉は使ってもあまり支障がないが、「人権」だと敬遠されたり、当局から怪しまれたりする危険が高い、という話も、カンボジアの人権状況をよく反映していると思いました。しかしこのことは、近年の日本についても言えることですが。

また、先日ワークショップの参加者の若者たちと一緒に請願書を提出した際は、生徒たちが校長に呼び出されて注意されたり、関係した教師が解雇の脅しを受けたりもしたそうです。そういった中でYCCスバイリエンは、メンバーは2人ながら、各地に協力者のネットワークを構築して地道に活動しているということです。

【民主主義でカンボジアを変えたい】

そんな中で僅かな手当でボランティアを続けるサルーンは、スバイリエン高校在籍時に今活動をともにする先生から民主主義について学び、それ以来先生と一緒に様々なセミナー等に参加し、今に至っています。5人兄弟の末っ子ですが、父親はもう亡くなっており、母親も高齢という彼は、普段は一人で暮らし、バイクタクシーの運転手をして生活の糧をえています。夢はYCCのスタッフとなって収入を得るとともに、大学に進んでさらに勉強することだそうですが、学費の目処はついていません。そんな状況ではありますが、どうしてそうやって頑張るのか、という問いには「カンボジアに本当の意味の民主主義を広めて、社会を変えたいんだ」と言ってくれました。

そんな彼の姿を見ていると、そして、私は何度かYCCのワークショップに参加しているのですが、そこに参加する子どもたちを見ていると、問題の山積するカンボジアですが、なにか光明のようなものが感じられて、私自身も勇気づけられています

※写真は上級者向け民主主義講座を受ける高校生たち。たまたま男女がなんとなく離れて座ったため女子ばかりですが、男子生徒も多くいました。

いつか来るべきよりよい社会のためには、今あなたの支援が必要です↓
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外国人専門家が見たカンボジアのDV法2

2005年12月22日 15時25分31秒 | カンボジアの人権状況
みなさんこんにちは、平野です。
前回に引き続き、待望の施行となったドメスティック・バイオレンス法について、某先進国の法律の専門家の意見を交えながら、みなさんにご紹介したいと思います。直接のインタビューによるもので、特に子どもの権利の観点から分析しています。

【緊急保護命令】
緊急保護命令には緊急避難期間が2ヶ月のものと6ヶ月のものがあり、2ヶ月のものは、被害者からの申し立てがあればすぐに出されます。しかし6ヶ月のものは、裁判所の命令を受けて、ということになるので、容易には出ないようです。また、6ヶ月という期間が、双方落ち着いてまた家に戻る/迎えるにあたって充分な長さなのかどうか、という疑問も当然持ち上がっています。
子どもについて言うと、そのような状況(緊急に保護される)に至り、家から避難した場合、誰の支援を受けるか、また親の訪問を受け入れるかどうかなどの判断は、子どもの意志が尊重されるということです。

また、子どもに関して特徴的なのは、子どもの苦境を知っている人は、子どもに成り代わって裁判所に申し立てができる、ということです。いかに暴力を振るわれても、子どもが自分の親を裁判所に訴えることは考えにくいことですし、また年齢や状況によっては、法律を知らない可能性も大いにあります。そのような状況では、周囲の人が子どもの代わりに緊急保護を申し出たりすることができるわけです。ただしこれは、他所の家でのDVについて知っている周囲の人の「義務」ではありません。

【大きな権限を持つ地域の有力者】

専門家によると、この法の大きな特徴は、地域の有力者に大きな権限を持たせていることだそうです。この場合地域の有力者とは、村長やコミューン長といった顔役に、警察、女性局の役人などを含みます。彼ら村の有力者たちには、ドメスティック・バイオレンスに速やかに介入する義務があり、加害者、もしくは被害者を家から出すなどの権限を持っています。そして調停にも介入しますし、裁判所に提出する記録を作ったりといった作業にも従事します。これに伴い、ドイツの政府国際協力機関(日本のJICAや韓国のKOICAのようなものとお考えください)であるGTZが、全国規模のトレーニングを行うということですが、現在のところ有力者たちは協力的である、とのことでした。

【懸念されること】
専門家は、以下のようなことを懸念材料として挙げてくれました。

・“適切な方法による「しつけ(discipline)」が、崇高な性質をもって、国連人権規約や国連子ども権利条約の原則に則ったなかで行われる場合は、それは暴力の行使とみなされるべきではない”という但し書きが、実際の法執行上どのような意味を持ってくるか
・6ヶ月という緊急避難期間が充分か
・地域の有力者による「調停」が昔ながらの「調停」になってしまわないか
・地域の有力者が大きな権限を持つことで、腐敗につながらないか
・腐敗した警察や司法のもとで法がきちんと執行されるのか

また、専門家は「カンボジアには“経済が上向いたら、DVも減るのではないか”という期待がある。しかし先進国でもDVの問題は深刻だ」と述べ、自国で最近乗馬用のムチを使った子どもへの「しつけ」が裁判所で容認された例を教えてくれました。また、カンボジアでは女性をエンパワーしよう、女性の権利を推進しようという動きが盛んで、それはもちろん大事なことだが、それと同時に男性に対しても、男性に対してこそ、男性の責任や義務について自覚してもらわねばならない、ということも付け加えてくれました。これは平野もよく感じることで、実際村での聞き取り調査で、「自分を殴るダンナに“女性の権利”なんて言ったって、余計に殴られる」とある中年女性から聞いたときは、返す言葉に詰まりました。

不十分な点もある法律ですし、法律上欠陥がなくとも、カンボジアの農村の状況を鑑みたとき、現実に適用されうるのか?と思う点もあります。しかし、この専門家の方も言っていましたが、完璧を追求していつまでも施行されないよりも、とにかく今の法が無い状態を抜け出すことが重要であり、またNGOにとっては、違法性を盾に介入できる点が非常に大きい、とも評価していました。まずはこの法の周知、ならびに「なぜDVは違法なのか」という概念の普及が大切になってきます。国際子ども権利センターの支援先NGOのHCCなども、DVの際の避難などについて教えていますが、これからは「違法である」ということも教えていくことになるでしょう。

※写真(絵)は、DVへの周囲の介入を訴えるポスターです。

12月23日、甲斐田・平野の話を直接聞きに来ていただけませんか?↓

http://jicrc.org/pc/event/e20051223/index.html


ムーソクアさんを囲む会直前企画<民主主義への願いを込めたTシャツ>

2005年11月03日 19時19分04秒 | カンボジアの人権状況
みなさんこんにちは、平野です。
一昨日、昨日に続きまして、元女性省大臣ムー・ソクアさんを囲む会直前企画として、ソクアさんの娘さんであるティダさんがデザインした、民主主義への願いのこもったTシャツについてご本人のメッセージをお届けします。※小見出しと太字は訳者

【ティダさんの紹介】

私の名前はティダ・レイパーです。父はアメリカ人、母はカンボジア人です。16年をプノンペンで過ごした後、最近ロンドンに移りました。カンボジアではプノンペン・インターナショナルスクールに通っており、私が芸術を学んだのもそこでした。これからも芸術に取り組んでいきたいと思っていますが、ロンドン大学東洋アフリカ学学院で学ぶことを選びました。いつかカンボジアの発展に貢献したいと願っています。

【作品について】

カンボジアにおいては、民主主義は複雑で論議の的となる題材であり、私の作品の対象も、当初とは変わってきました。私ははじめ、カンボジアの民主主義のために戦い、不当にも死んでいった人たちを描いた芸術作品を目指しました。それから、私の活動を、今現在戦っている人たちに対する敬意を示すものにしたいとも思うようになりました。そして、民主主義のため戦ってきた人たちへの私の敬意を示すため、私が重大だと感じた出来事のイメージを取り入れました。それは、1997年の民主主義を求めるデモ行進に対する手榴弾攻撃(註1)、2004年の労働組合の委員長チア・ヴィチア氏のいまだ解明されない殺人事件(註2)、2003年の女性歌手トゥーッチ・スレイネ氏の襲撃事件(註3)、娘たちをレイプされて殺された母親たちです。

【希望をこめて】

私は作品の中でカンボジアの政治に存在する暴力や不正義を提示したいと思う一方で、希望のメッセージも表現したいと思っています。私は小型武器を解体した部品で作られた鳩のオブジェの絵と、野党サム・レンシー党の党首の演説「我々の夢は実現する」の引用を作品に取り入れました。私がこれらを取り入れたのは、カンボジアには暴力や闘争があるけれども、現政権内に存在する不正義や不処罰(註4)、腐敗に私たちが屈することはないという希望もまたある、というメッセージを描きたかったからです。

【訳者注】
(註1)1997年3月30日、サム・レンシー(以下SR)(現在SR党党首)が当時率いていた野党クメール国民党の党員約170人が、プノンペン市内で行ったデモ行進に4発の手榴弾が投げ込まれ、13才を含む15人が死亡した事件。SR党首は事件の陰に与党人民党のフン・セン第二首相(現首相)がいると発言したため、名誉毀損で訴えられている。

(註2)2004年1月の労働者の、特に縫製工場で働く女性たちの待遇改善のために熱心に闘ったことで知られ、SR氏の友人でもある労働組合委員長の殺害事件。新聞ばを買うところを、公衆の面前で殺害された。多くの支持者が追悼行進に参加し、世界各国からも怒りの声が挙がった。犯人と目される2人は逮捕されたが、冤罪説、身代わり説が根強い

詳しくはコチラ→http://jicrc.org/pc/material/chea/review.html

(註3)2003年10月25日、プノンペンで、SR党支持の人気女性歌手とその母親が襲われ、母親が死亡、歌手は顔面に銃弾2発を受けるひん死の重傷を負った事件。この事件の3日前にも、SR党支持者のラジオ番組ホストが殺害されている。当時、連立政権樹立問題をめぐり政情が緊迫しており、政争絡みと見られている。現在はアメリカで療養中。

(註4)不処罰…権力者や有力者、その親族等が犯罪に関っている場合、事件がうやむやにされてしまうことを指す。カンボジアに根強くある文化。