カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

牛銀行からの支援を受けている家庭を訪問して  スタディツアー報告その5

2008年06月04日 22時48分30秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
こんにちは。甲斐田です。1週間のカンボジア滞在を終えてバンコクに戻りました。スバイリエン州のコンポンロー地区では、NGOやユニセフの取り組みによってベトナムへの子どもたちの物乞いの出稼ぎがかなり減っていることがわかりました。でも、村のリーダーからは、畑仕事のためにぜひ水牛の支援をしてほしいという要望を聞きました。土地が粘土質なため、牛よりも力のある水牛が必要なのだそうです。今回のスタディツアー報告は牛銀行に関してです。写真は、報告してくださった岩崎さんと支援している牛です。

一頭の牛から広がる希望、支援開始から約一年

                          岩崎浩二(大学生)

 牛銀行!?日本で普通に生活している私たちにとってはなじみの少ない言葉かもしれません。しかし、スタディーツアー2日目、牛銀行の仕組みを学び、その支援を受けている家庭を訪れ、話を伺った私は、牛銀行はカンボジアでは大変重要で効果的な農村支援の手段になっていることを知りました。ここでは、牛銀行についての概要、支援を受けている方のお話、私が気がついたこと、私の感想、の順番で牛銀行と支援を受けてから約1年経った方の想いを紹介していきたいと思います。

 まず、牛銀行について簡単に説明したいと思います。支援は国際子どもの権利センター(C-Right シーライツ)のパートナー団体の現地NGO、HCC(Healthcare Center for Children)が主体的に行って、シーライツはHCCの活動を支援しています。

 牛銀行の第一歩は家庭の選定から始まります。家庭の選定で大切にしていることは、家庭の生活状況と家庭に女の子がいるかどうかです。女の子の方が学校に行かせてもらえないことが多いので、女の子のいる家庭に支援を行っています。家庭の選定には、実際に家庭を訪問したり、学校の校長先生などの意見も参考にされるそうです。HCCのスタッフの方の正義感はとても強く好感がもてもした。選定にあったても公平性が確保されていると感じました。

 その後、2~3日かけて牛の飼育の仕方を支援家庭の人にトレーニングします。さらに、「貯蓄グループ」を作るよう働きかけています。これは、経済的に困った時や牛が病気の時の使えるお金を、牛銀行から支援を受けている人々同士で助けあえるようにするためのシステムです。この貯蓄グループで定期的にミーティングがあります。このように、もし、牛の飼育やその他の問題で経済的に困った場合でも、頼れるシステムがあることで、支援を最も必要としている、最貧困層のセーフガードとしての機能を果たしています。

 HCCから牝牛を借り、子牛が生まれた場合、一頭の子牛はHCCに返します。二頭目は支援を受けた家族のものになります。また、最初の牝牛はHCCに返します。
2005年から2007年の間にHCCは20世帯の家庭にそれぞれ一頭ずつ支援を行いました。20頭の牛から4頭の子牛が生まれました。

 次に、支援を受けている方のお話を中心に紹介したいと思います。私たちはマティー村を訪ね、牛銀行の支援を受けている女性からお話を聞きました。彼女は5人家族で、男の子が二人、女の子が一人います。彼女の夫は村から近い、ベトナムの工場へ日帰りで働きに行っています。食事については「7、8、9、10月は生活がちょっと厳しいので、3回食事はできますが、ごはんや小麦のみ」とおっしゃっていました。「牛銀行の支援を受けて大変だったことはありますか?」という問いに、彼女は「牛の水と餌の心配」と、答えておられました。「一番助かっていることは何ですか?」というと問いに、彼女は「牛を貸してもらっていること」と答えられました。「一番嬉しいことはなんですか?」という問いには、「牛が畑を耕すので、その時間で、子ども達を学校に通わせることができるのが嬉しい」と答えられました。

 私が現地を訪れて感じたことは、子ども達の笑顔が素敵だったことです。また、訪れた家に近所の子ども達が集まって遊んでいたことから、近所付き合いが盛んな様子を伺うことができました。さらに、その場で木から取って頂いたマンゴーの味は、とてもみずみずしくて忘れられません。

 私は、国際子どもの権利センターが支援しHCCが実施している「牛銀行」という援助の仕方はとても有効だと考えています。子どもの商業的性的搾取の問題への対策として、被害が発生してからの支援と発生する前の支援があります。問題の深刻さからも新たな被害者を出さないことが大切です。牛銀行は被害が発生する前の支援です。出稼ぎに行かなければならなくなってしまう危険性が高い女の子がいる家庭を支援しているので、子どもの商業的性的搾取につながる危険性が伴う出稼ぎにでることを的確に予防しています。一頭の牛から子ども達の将来への希望が広がる現場を実感しました。

 最後に牛銀行の問題点を紹介したいと思います。それは、牛銀行などの支援を受ける必要がある家庭すべてを支援することができない点です。そこで、最後まで私の文を読んで頂いた皆さんにお勧めしたいことがあります。もし、まだ国際子どもの権利センターの会員になっていられない方は是非、会員になってみてはいかがでしょうか。カンボジアでの牛一頭の値段は一般正会員2人分の会費とほぼ同じかそれより安価です。小さな一歩がカンボジアの子ども達に大きな可能性を作ります。

【編集部より】
多くの少女たちの家庭に牛を支援し、人身売買を防ぐことができるようご支援ください。↓

http://www.c-rights.org/join/donation.html


 

物乞いに行った少女 スタディツアー報告その4

2008年05月27日 23時04分55秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
こんにちは。甲斐田です。今、ベトナム国境の町、バベットにきています。明日は、国際子ども権利センターの活動地チャントリア郡の隣りのコンポンロー郡に行きます。ここはベトナムに出稼ぎに行く子どもがたくさんいるため、そこでも活動できないか検討するためです。今回はベトナムに出稼ぎに行った少女のことを報告してくださった幸田さんのスタディツアー報告をお届けします。
写真は今年1月に奨学金としての文房具を受け取った少女たちです。

奨学金受給の家庭訪問(チュレ) 

「物乞いに行った少女」 幸田雅人

私はこのスタディーツアーがカンボジアの初めての訪問となりました。ベトナムへは何度か行ったことがありましたが、隣同士の国ながらどんな違いがあるのか興味のあるところでした。 3月20日にホーチミンからバスで1時間で国境に着き、ベトナムの出国手続きのあと、カンボジアの入国手続きをして、カンボジア入り。その日は国境の町に宿泊しました。

 次の日の午前はプレイコキー中学校で、子ども達主体で行っている人身売買防止ネットワーク活動について話を聞きました。 そして、午後にはツアーメンバーは2つのグループに分かれ、奨学金を受けている家庭を訪問しました。 

 この奨学金制度とは、人身売買防止プロジェクトのひとつです。奨学金といっても現金を支給するのではなく、制服や米を支給し、学校へちゃんと通学できるようにして、貧しさから子どもが出稼ぎに出て人身売買に遭わないようにするものです。 支給するものは、制服(半袖、長袖ブラウス、スカート)、ノート、ボールペン、分度器、コンパスなどの文房具と、あとは米です。

 私達が訪問した家庭の一軒目は、11歳の女の子の家庭で、奨学金を受けたのは1月からです。 この家は藁葺き屋根、土壁の家のようでしたが、最近の大雨で家が壊れてしまい、訪問したときにはその倒れた壁の残骸が残っていました。 今は木の枝と板で寝床と屋根をつくり、そこで寝泊りしています。 しかし見たところ本当に貧弱なつくりで強風が吹いたら倒れそうな、広さ畳2、3畳くらいの小屋です。中は狭いので昼は主に外で過ごして、夜はそこで眠るだけといった感じです。

 子どもは学校へ行っている時以外は家の手伝いをします。 ご飯の支度、牛の糞集め、兄弟の面倒を見る、水牛の世話をする。 母親自身は小学校5年生までしか学校に行けず、子どもには是非ちゃんとした勉強をさせたいと言っていました。 仕事は稲作の他に水牛の糞を集めて売る仕事をしています。また、縫製工場で働くと収入になるので、自分達も行きたいと言っていました。

 2軒目は10歳の女の子の家を訪問しました。 両親は6~7年前に離婚し、子どもは母親が引き取りました。しかし、5ヶ月前から母親はプノンペンの縫製工場へ出稼ぎに出ています。 現在は兄弟(男1、女2)とおばあちゃんと暮らしています。母親からの仕送りは1ヶ月前に1回あり、金額は10万リエル(約2500円)だそうです。仕送りはまだ1回しかありませんが、母親からは連絡が来るので、元気でいることは確認出来ているそうです。 家の中でおばあちゃんに奨学金で貰ったノートや文房具を見せてもらいました。

 3軒目は、一番印象に残っている家で、14歳の女の子の家庭です。この少女は母親と一緒に、ベトナムへ物乞いの出稼ぎに出ていたそうです。 これには一同がちょっと驚きました。 土間の家の中に入れてもらい、甲斐田さんや私達が次々と質問をして、その物乞いの様子が分かっていきました。 

 動機はやはり米とお金の不足で、最初は物乞いの経験のある人についていったそうです。 1回の物乞いの期間は10日間くらい。初めて行ったのは13歳の時。それ以降7~9回ほど行きました。 稼ぎは10日間で6~7万リエル(約1500円~1800円)。

 貧困農家ですので、当然パスポートなんて持っていません。 国境警察に賄賂を払い国境を越えます。 物乞いで滞在した街の名前は覚えておらず、人が多くバイクがたくさん走っている街だそうです。 物乞いをしているときにベトナム人に怒鳴られたり、まったく稼げない日もあったり、夜は林の中や店舗前の路上で眠り、現地の住民が自分達のことを警察に通報することを恐れて、目立たないように注意します。
 
 奨学金をもらってから母親は、ベトナムへ行かせる必要はなくなったと言っています。 しかし、同時に今でも食べるのには十分ではないとも言っていました。父親は建設現場で働いており、1万~2万リエルを仕送りで送ってきます。 しかし、父親には愛人がいて、それが家庭内暴力の原因となっているそうです。 今の母親の仕事は肥料用に牛の糞を集めてベトナムへ売りに行くことです。
 
 4軒目は13歳の女の子の家で、兄弟は姉と妹がいます。 父親は大工、母親はゴザを編んで売って収入を得ています。ゴザの売値は大きいサイズ(長さ1.5m)で2万リエル、小さいサイズで1.5万リエル。1枚編むのに約5日程度かかります。 家の中から作っている途中のゴザを出して見せてもらい、ついでにみんなで写真も撮りました。

 今回の訪問で、一番印象に残ったのは、やはり3軒目の物乞いの話でした。そもそも物乞いが出稼ぎ仕事として成り立つとは知りませんでした。 この物乞いに行った少女は14歳の女の子ですが、ごく普通のまじめでおとなしい感じの少女です。 
 少女の話では、物乞いの出稼ぎへの勧誘に斡旋業者が村によく来ていたそうです。 そこで物乞いの出稼ぎの方法を覚えた村人は、後に自分達だけで行くようになったそうです。 この少女も、斡旋料金が1回につき2.5万リエル(約650円)と金額を知っていましたから、最初はこの斡旋業者について行ったのだろうと思います。

 それと、物乞いの稼ぎについてですが、貧しい農民にとってはそれなりの現金になると感じました。例えば、4軒目の家はゴザを1枚編むのに5日程度かかり、売値は2万リエル(約520円)。そして物乞いは10日間で6、7万リエル稼いでいました。

 交通費や賄賂にかかる費用もありますから、単純に比較は出来ませんが、7~9回も出かけていることからも、物乞いによって得られる収入は、村でちょっとした仕事で得られる現金に比べて遜色ない金額だろうと推測できます。

 また、今回は幸いにも人身売買業者の偽の就職斡旋ではありませんでしたが、現金収入になると誘えば、遠方や国外へ子どもを連れて行くことは、いとも簡単であると感じました。  物乞いに行った少女の両親は奨学金を貰ってからは、出稼ぎには行かせないよう
にしたと言っていました。また、兄弟にも行かせないようにすると言っていました。一人の子どもに支給する制服や文房具、米などにかかる経費は、それほど高額ではありません。貧しさから学校へ行けなかったり出稼ぎに出たりして、人身売買の危険に遭う可能性をなくす方法としてすぐに効果がある方法です。 それに2軒目では、支給された文房具を大切にしていましたし、4軒目ではノートが一番うれしいと言っていました。こんな簡単なもので喜んでもらえて、チュレの人たちの素朴さを感じました。

 農村を訪れたときは乾季で暑くて、藁葺き屋根と土壁の民家が点在していて、はだしで遊ぶ子ども達が訪れた日本人に興味津々で集まって来たりと、のどかな光景でした。 しかし、インタビューすると両親が離婚していたり、父親に愛人がいたり、ベトナムで屋外に寝泊りしながら物乞いしたりと、いろいろな苦労があるのが分かりました。 各家庭で食べる分の米が十分収穫できないことが分かりました。 
 この奨学金制度は、本当に貧しく学校へ行けない、また出稼ぎで行けない子ども達に、学校へ行ける機会を与えるすばらしい制度だと感じます。

 子ども一人あたりの費用は、私達日本人から見れば僅かなお金ですが、本人にとっては毎日学校へ行って、ちゃんと勉強できたという経験はかけがえのないものになるでしょう。 そして大人になったときに良い仕事につけたり、親となったときに勉強の大切さを実感しているがゆえ、自分の子どもにできるだけ学校へ行かせるように工夫してくれると思います。
 そして、一番望むことは、村で十分な収穫が得られ、商売がうまくいき、村が豊かになり、子ども全員が学校へ行けて、この奨学金制度が必要なくなる日が来ることだと思います。 HCCとシーライツの行っている牛銀行や貯蓄グループプロジェクトがこういった将来につなげてくれると思っています。

【編集より】
少女たちの危険な出稼ぎを防止するために会員になって支えてください。
http://www.c-rights.org/join/kaiin.html





 

少女たちの夢 奨学金受給の家庭訪問 スタディツアー報告その3

2008年05月24日 15時04分42秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
こんにちは。甲斐田です。スタディツアー参加者からの報告その3をお届けします。訪問した少女たちの状況を通して、貧困や児童労働によって、十分な教育を受けていくことの困難さを感じていただくことができると思います。なお、この教育と児童労働の関係について6月8日に帰国し、シンポジウムで話す予定です。
http://stopchildlabour.jp/modules/articles/mainevent.html

写真は清水さんと村の子どもとそのお母さんです。


奨学金を受けている少女の家へ家庭訪問
                         清水由莉(大学生)

 私たちは2日目、ネットワーク(SBPN)のメンバーの子供たちを訪れた日の午後、農村で奨学金の支援を受けている少女の家に家庭訪問させてもらいました。
その奨学金を受けるには、その村の中でも貧しい家庭など、いろいろ条件はありますが、一番の条件は、女の子が家族の元にとどまっているということです。これは、女の子のほうが出稼ぎに行かされる確率が高いためだからだそうです。

 私はプレイコキーという地区の村に行きました。プレイコキーはカンボジアの中でも、貧しいといわれている地区です。その村は、電気はもちろん水も流れておらず、人々が協力し合って暮らしているような村でした。
 
 1件目の家は、16歳の少女の家でした。
彼女は5人兄弟の長女で、両親を入れて7人家族です。彼女の両親は農業をしていて、ブタやニワトリを飼っています。しかし、ニワトリといっても、日本のようにすべてが大きいのではなく、小さくてガリガリのニワトリも何匹かいました。
その家は木で建てられていました。しかし、私たちが4人座ったら、床の下で支えていた木が曲がってしまうほど、もろく、頼りない家でした。もちろん玄関のような扉はありません。布切れが何枚かかかっているだけで、雨が降れば雨が漏れ、風が吹けば、崩れてしまいそうな家でした。
 彼女は学校から帰ったら、ご飯作りや、ブタの世話、兄弟たちの世話、洗濯を手伝っているそうです。彼女の夢は弁護士になることで、勉強しているときが楽しいと話してくれました。彼女は勉強を続けたいそうです。しかし、お母さんは勉強させてあげたいけど、中学3年生ぐらいまでだろうと話してくれました。
2件目の家は、15歳で中学2年生の少女の家でした。
彼女は、3人兄弟の2人目で長女です。小学校1年生の妹がいます。
両親は歩いて30分ぐらいの田んぼで農業をしているそうです。ニワトリとイヌを飼っています。ブタを飼いたいそうですが、そのブタを買うお金がないそうです。
彼女は学校から帰ったらご飯作り、両親の手伝い、宿題などをして過ごすそうです。彼女の夢はお医者さん。お母さんは学校にずっと通わせてあげたいけど、まだわかりませんと言っていました。

 3件目の家は、小学校4年生の少女の家でした。
彼女の両親は農業をしているそうです。彼女は歩いて学校に行っています。夢は今のところないそうです。その子のお母さんは経済状態が問題だが、行かせられるまで学校には通わせたいそうです。本人次第だが、縫製工場で働けたら・・・と話してくれました。

 4件目の家は14歳で小学校5年生の少女の家でした。
彼女は女3人、男2人の5人兄弟の3人目です。彼女の家は高床式の家よりも高い感じで、階段を使って家に入ります。中に入らせてもらいましたが、中は風通しがよく、思った以上に涼しかったです。
彼女の家は何頭かブタを飼っています。両親は地酒を造っていて、その麹をブタのえさにするそうです。彼女は学校から帰ってきたら、ご飯作り、お酒造りの手伝いをしているそうです。彼女の得意科目は算数で、将来の夢はまだないそうです。
将来の夢は?と質問しましたが、悩んでいるうちに、お母さんや近所の人にあれこれ言われてしまったので、本当は夢があったのに、言いづらくなってしまったのかなと感じました。

 5件目の家は13歳で小学校5年生の少女の家でした。
彼女は3人兄弟の2人目で長女です。彼女の妹はまだ小さく、一人ではまだ歩けません。しかし彼女の両親は出稼ぎに行っていて、両親とは2年に1回しか会えないそうです。そのため、彼女たちはおばあさんと一緒に住んでいます。
午前の学校に30分歩いて通っていて、学校に行っているときが一番楽しいそうです。好きな教科は算数、夢はまだ決まっていないそうです。

 6件目は15歳で中学2年生の少女の家でした。
彼女は3人兄弟の長女で、両親はタイへ出稼ぎに行っているため、叔母さんたちと住んでいます。彼女のお母さんは、廃品回収をしていて、お父さんは、日雇い工場で働いているそうです。両親が出稼ぎに行ってからは、もう1年以上会っていないそうです。お父さんはいつ帰ってくるかわからないそうです。
彼女の得意科目は国語とバレーボールで、将来の夢はまだ決まってないそうです。

 7件目の家は12歳で小学校5年生の少女の家でした。
彼女は2人兄弟の長女で下に弟がいます。彼女のお母さんは亡くなり、お父さんは再婚したため、おばあさんと一緒に住んでいます。1年に1回お父さんと会っているそうです。
おばあさんは、甘くて、あずきやココナッツの入ったちまきのようなお菓子を売って生計をたてています。

 彼女は午前中の学校に行っていて、帰ってきたらご飯の手伝いをするそうです。
彼女の得意科目は国語で、将来は警察官になりたいと話してくれました。高校3年生まで勉強したいそうです。

 8件目の家は19歳で中学3年生の女性の家でした。
彼女は午前中に行った子どもの人身売買防止ネットワークの一員です。彼女は4人兄弟の次女だそうです。

 彼女のお父さんはDVが激しく、もう10年以上会っていないそうです。彼女が学校から帰ったら、ご飯、掃除、稲、苗などの畑や田んぼの仕事、買い物、洗い物などをして手伝っているそうです。彼女の得意科目は英語で、将来はどこでもいいから、会社員になりたいそうです。高校までは5キロくらいかかりますが、高校に行って、行けるなら大学も行きたいと言っていました。しかし、大学には奨学金はないので難しいそうです。もし奨学金があったとしても、その情報がこの村に届くことは難しく、たぶんその情報はこないだろうとのことでした。

 9件目の家は21歳で中学3年生の女性の家です。
兄弟3人で両親はいないそうです。弟がいます。
お姉さんは23歳で、妹弟を育てるために小学校3年生の時に学校をやめ、プノンペンに1度仕事に行ったそうですが、病気になってしまい、帰ってきたそうです。今、まだ完治していない状態で、スニーカー工場で働いています。

 彼女の得意科目は英語で、中国語も勉強しているそうです。
彼女は高校に行きたいけど、まだわからないと話してくれました。

 私はこの9件の家に家庭訪問させてもらいました。みんな快く質問に答えてくれました。
 少女たちと接して感じたことは、みんな勉強が好きで、上の学校に行くのに必死ということです。私は今まで小学校から上の学年に上がっていくことが当たり前だと思っていたし、高校、大学と進学している自分に疑問すら持ちませんでした。しかし、明確な夢を持っている少女たちや、私と同じくらいの歳なのに中学3年生の少女たちを見ていて、私は今までどれだけ幸せに、なにも考えず生きてきたんだろうと思いました。

 朝起きたら家族がいて、朝ごはんがあって、学校に行って、友達と話して、好きな部活をやって、家に帰ると夕飯ができている。私がこの生活を何年も続けてきた間に彼女たちは一生懸命勉強して、家の手伝いや兄弟の面倒をみて。勉強をしたくてもできない子がたくさんいたのだと思うと、すごくショックでした。最後には、高校、大学に行きたいと話す少女たちの目を見て話すことができませんでした。
 
 弁護士や会社員、医者になりたいと夢を言ってくれた子たちが夢をかなえることは相当難しいでしょう。しかし、彼女たちは目をキラキラさせて、恥ずかしそうに夢を言ってくれました。そんな子たちを見て、何も言えず、何もできない自分に無力さも感じました。

 しかし、今回行かせてもらった村でうらやましいと思ったことがあります。
それはこの村だけではないですが、近隣の人々とすごく仲がよいということです。日本には家の周りにレンガだったり、塀だったりがあったりしますが、村にはそのようなものはありません。どこからどっちの家なのかは、見た目ではわかりません。
 隣を見れば、隣人の生活が丸見えです。私たちがその奨学金を受けている家の人に話を聞いていると、自然と人が集まり始め、話に入ってきます。雨が降ってくれば、雨宿りに人の家に勝手に入り込みます。写真もはじめは断っていますが、最終的には一緒に写ってくれます。そんな日本では考えられない光景を見て、すごく暖かい気持ちになりました。

 この村に行ったことで、自分の知らない世界がまた1つ増えたと感じました。
彼女たちの話を聞けて、近所の人たちと仲良くなれて、とても勉強になった1日でした。

(編集より)
少女たちの夢をかなえるために会員になって支えてください。
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農村女性のエンパワーメントと娘たちの通学 ~牛を支給されて

2007年12月10日 21時51分17秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)




こんにちは。カンボジアの中川香須美です。国際子ども権利センターの代表甲斐田万智子さん、プノンペン事務所の近藤千晶さんといっしょに、三日間スバイリエンで活動地訪問をしましたので報告します。


今回の訪問では、国際子ども権利センターが支援する貧困家庭の収入向上プログラムの支援を受け、メス牛を支給されて育てている家庭を訪問しました。牛を支給されている家庭は現在合計10家庭あります。原則として、現在就学している女子生徒がいる貧しい家庭を対象として牛を支援しています。その背景には、貧困のために学校をやめてしまう女子生徒が後を絶たないため、牛を支給することによって将来収入がある程度確保され(子牛が生まれれば販売可能。一頭は返却)、少女たちが学校をやめなくてすむというねらいがあります。さらには、牛をもらうことで、母親や子どもたちが牛の生命だけでなく、権利センターに対しても責任感を持つことにつながっています。自分たちの日常生活を、娘を縫製工場などに出稼ぎに出さなくても自立して運営できるように母親をエンパワーメントしていくことも大きな成果として現れています。

訪問家庭のラック・チエットさんは、夫と一緒に5人の娘を育てている女性です。2007年11月に読売新聞の取材を受け、娘二人が牛と遊んでいる写真が大々的に日本にも紹介されました(http://www.yomiuri.co.jp/zoomup/zo_071114_01.htm?from=os1)現在就学年齢に達したばかりの奨学生の娘がいますが、学校に通うのに家から3キロくらい歩かないといけないので、まだ幼い娘はとても大変だそうです。また、最近まで通っていた学校は、1教室に60人以上生徒が学んでいて環境が悪かったため、他のそれほど混んでいない小学校に転校したばかりです。チエットさんの住むチャントリア郡(郡はスロックと呼ばれる地方行政単位)には、今年やっと高校が一校開校したばかりですが、子どもたちが高等教育を受けられる可能性が出来たのはとても大きな発展です。


チエットさん自身は3年生までしか学校に通えませんでした。父親がすでに亡くなっていて、母親が重い病気になったためです。結局母親は亡くなり、彼女はそのまま学校には戻れませんでした。現在の生活は苦しく、今ちょうど稲刈りの時期なので娘二人と自分で稲刈りの仕事をして現金収入を得ていますが、一人あたり一日200円程度の収入しかありません。夫は、野菜作りのための耕作をしています。数年前、家計が苦しくなった時、ほんのわずかな額で所有していた土地を販売してしまい、今は自宅周辺にしか土地をもっていません。でも、「もしあの時土地を売り払っていなければ、生活に困って娘を縫製工場に出稼ぎに出していたはず」とチエットさんは言います。


長女のムー・マラエさんは、現在18歳、中学2年生で勉強中です。「試験に落ちて通えなくなるまでずっと学校をやめずに学業を続けたい」という希望を持っています。でも、両親を助けるために、今は稲刈りの日雇い仕事をしていて、学校から3日間のお休みをもらっています。両親がけんかしているときなどは、「他の家の人にはずかしいから、けんかをやめて」と自分から意見を言うそうです。これは、親に盲目的に従う教育を受けているカンボジアの子どもとしては、とても珍しいことです


一頭の牛を貸し出すことで、家畜を世話するという責任感を得た子どもたちが明るく自立しはじめ、それにつられて親も前向きに生きていこうという姿勢が生家畜を世話するという責任感を得た子どもたちが明るく自立しはじめ、それにつられて親も前向きに生きていこうという姿勢が生まれます。貧困の中で娘を出稼ぎに送ってしまう家庭が当たり前の地域で、こうして考え方を変えて娘に教育の機会を与え続ける家庭が増えていくといいと思います。


貧困の中でも前向きに生きている少女たちが学校に通いつづけられるよう、
国際子ども権利センターの会員になって活動を支えてください!


http://jicrc/pc/member/index.html

写真は、牛の支援を受けたチエットさんと娘たち

“最貧困層支援を考える”番外編 ~物質的援助~

2005年10月11日 17時31分25秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
みなさんこんにちは、平野です。
前回まで3回にわたり、国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡での収入向上プログラム(家畜銀行)の進捗報告を通じて、“最”貧困層への支援についてみなさんと考えました。今回はその番外編として、天才経済学者にご登場願おうと思います。

【先進国にODA増額を要求し続ける男】

ジェフリー・サックスという人がいます。ご存知の方も多いかもしれませんが、ハーバード大でも数十年に一人の天才と言われ、20代で同大学の教授になった高名な経済学者です。そして今はミレニアム開発目標(極度の貧困及び飢餓の撲滅、普遍的初等教育の達成等、2015年までに達成すべき8つの目標)を推進するミレニアム・プロジェクトを率いる立場にいるこの50歳の男性は、先進国に対してODAの増額を求め続けており、日本に対しても「日本が貢献できることはたくさんあります。お金を出すことも職業訓練も技術協力も重要なのです」と発言しています。

【貧困撲滅にはお金がかかる】

サックス氏がその著書やさまざまな場で、下記の項目を貧困撲滅に必要なものとして挙げています。

・boosting agriculture (農業の強化)
・improving basic health (基礎保健の改善)
・investing in education (教育への投資)
・bringing power (電力の供給)
・providing clean water and sanitation (清潔な水と衛生)

これは誰しも納得できうる項目なのではないでしょうか。ただし彼は、これらの項目を挙げたのち、実在の一つの村を例にとり、それこそ数ドル単位から、必要な費用を試算していくのです。そして、一村いくらいくらかかる、国全体だといくらかかる、と算出し「さあ先進国のみなさん、お金を出しましょう」と持っていくのです。お金は、貧困撲滅の充分条件ではないが、必要条件だということですね。

【グローブとガウン】

これはなにも氏がばら撒き方の援助を推奨しているということでは、当然ながらありません。ただ、どれだけのお金があれば、どれだけのことができる、ということを端的に提示しているのだということでしょう。一方で、金銭的援助を、それこそ“忌み嫌って”いるように思えるNGOもあります。私見かも知れませんが、日本のNGOに比較的多く見られる傾向だと思います。

ボクシングは貧しい人にもチャンスのあるスポーツです。世界チャンピオンを目指す貧しい少年がいたら、サンドバックなどの器具類を送る援助よりも、科学的な練習メニューを作成するなどの援助の方が有効かもしれません。器具などなくとも2つの拳があれば練習できるのがボクシングです。

リングに上がるときも、きらびやかなガウンは要りません。しかし、それでも、グローブとトランクス、そしてリングシューズだけは必要です。いったい何がガウン(不必要な物的支援)で、何が「グローブ」(必要最低限の物的支援)なのか、持てるものが持たざるものに対してその判断を下すのはなかなかに傲慢で、かつ心苦しいものでもあります。

※写真はアナン国連事務総長にレポートを手渡すサックス氏です。

子どもの人身売買防止プロジェクト現地出張報告第2弾<“最”貧困層支援を考える/第3回>

2005年10月08日 15時10分36秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
みなさんこんにちは、平野です。
国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡での収入向上プログラム(家畜銀行)の進捗報告を通じて、“最”貧困層への支援につい考える3回連載シリーズですが、今回で第3回となりました。最後となる今回は、“最”貧困層支援の難しさについてお話したいと思います。

【この子に豚は・・・】

いくつかの家族に豚支援を断られた(昨日付けブログご参照ください)我々は、村の有力者たちの推薦を得て、いくつかの家庭を廻りました。支援の条件には、学校に行っている少女がたくさんいることや、家畜を一切持っていないことなどが含まれますが、状況が状況なので、細かい部分は条件に合致しない家庭も紹介されました。

そんな中、こんな家庭環境の少女の家を訪問しました。お母さんは既に他界、お父さんはシェムリアップで仕事、お兄さんも同地で建設労働のため、68歳と76歳の祖父母と暮らしている12歳の少女です。学校は辞めておらず、貧しさという意味でも、条件と合います。しかしHCCスタッフは「この子に豚を育てるのは無理だ」。年老いた祖父母との3人暮らしの中で、家事のすべてをこなしながら豚まで彼女が育てるのは、確かに無理があるのでしょう。

【持たざるものはさらに・・・】

“最”貧困層、とは最も助けを必要としている”人たちです。そしてそういう人たちへのアクセスこそ最も難しいのです。さまざまなNGOが、農業技術指導や、家畜銀行、職業訓練などの貧困削減プログラムを実施しています。その際、最も助けを必要としているから、と闇雲に最貧困層の人々を集めたらどうなるでしょう。豚を持たない人に豚飼育トレーニングを?文字の読めない人にレジメを?そこまで来る手段もお金もない人を職業訓練所で待つ?村で実施したとしても、いざとなったら誰も来ない。他の村人に聞くと「出稼ぎに行ったよ」。そんなことも起こりかねません。

結局のところ、多くのNGOが「毎回参加できること」「読み書きができること」「教わった事を実行に移せること」などを参加の条件としています。その結果、最貧困層はNGOの支援からさえ疎外されてしまいかねないのです。これまでお伝えしてきたSBPN(School Based Prevention Network=学校ベースの人身売買防止ネットワーク)も、学校に通っている生徒を対象にしています。このことは、貧しくて学校にも通えない子どもはどうなるのか、という問いにつながってしかるべきでしょう。

それぞれのNGOが、それぞれによかれと思ったやり方で一生懸命活動しています。それでもなお、最貧困層の支援はこれほどまでに難しいものです

(この項終わり)

※写真は動物シリーズ第3弾で、最も美しい動物、人間の子どもです(大きくて美しくないのも混じっていますが)。
 

子どもの人身売買防止プロジェクト現地出張報告第2弾<“最”貧困層支援を考える/第2回>

2005年10月07日 20時20分26秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
みなさんこんにちは、平野です。
前回(昨日付けブログ)でお伝えしました通り、国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡での収入向上プログラム(家畜銀行)の進捗報告を通じて、“最”貧困層への支援についてみなさんと考えたいと思います。今回は第2回目として、そもそもなぜ村人が豚よりも牛を欲しがるのかについてお話します。

【牛は相棒】

カンボジアの牛は、乳牛でも肉牛でもなく、農耕牛です。日本ではトラクターがやる「田起こし」の重要な任務を担うのが牛なのです。以下、牛を持つことの利点を列記します。

①田起こしができる
 ・自作農の場合・・・お金を払って牛を借りる必要がなくなる
 ・小作農(労務提供を生活の糧にしている人)の場合・・・自作農になれる
②牛糞が得られる(貴重な燃料になり、堆肥の材料にもなる)
③いざというときの保険になる(売ればまとまった現金になる)

その上で、牛は④特に餌を用意してやる必要がなく(そのへんの草を食む)、⑤豚や鶏のようにたやすく死なない、という利点を備えているわけです。また、水牛もよくみかけますが、牛のほうが好まれるようです。よりおとなしく、より暑さに強く、より働くからです。

【投資よりも節約と確実性】

鳥インフルエンザの例を出すまでもなく、鶏は簡単にバタバタと死ぬことがあります。また、くず米だの籾殻だのを与えなくてはいけません。また豚も、やはり流行り病などで死ぬ危険があります。死なせずに売れたとしても、それまでの餌代は馬鹿になりません。

一方、現金収入という観点からは、豚や鶏の方が、うまく育てることが出来れば食肉として売ることができ、収入につながります。基本的に牛自体は現金収入を産み出しません(上記のような節約にはつながります)。それでも、仔牛を選んだ家族は、それが水田で活躍するまでに2年間かかることを承知で、豚よりも牛を選びました。“最”貧困の家庭にとっては、豚という投資が必要でリスクを伴う家畜よりも、しばらく待つという条件付きでも、牛が持つ特性が魅力的ということなのでしょう

【やはり稲作が大事】

カンボジア語では、日本語同様、食事をすることを「ごはんを食べる」と言います。日本では、そう言いつつピザを食べたりしますが、カンボジアの農村部においては文字通り「ごはん」です。牛に固執する彼らを見て、やはり稲作こそが第一であって、牛は欠かざるべき存在なのだ、ということも感じました。カンボジアの農民は“ネアック(人)・スラエ(水田)”=水田の人なのです。

(この項続く)

※写真は動物シリーズ第2弾で、水牛のアップです。かわいいですよ。

子どもの人身売買防止プロジェクト現地出張報告第2弾<“最”貧困層支援を考える/第1回>

2005年10月06日 17時47分34秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
みなさんこんにちは、平野です。
これまで国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡への出張報告を中心にこのブログに記事を投稿してきましたが、この出張報告の第1回(8月19日付)で収入向上プログラム(家畜銀行)についてお伝えしたのを覚えていらっしゃるでしょうか。今回からの3回では、この家畜銀行の続報を通じて“最”貧困層支援についてみなさんと考えたいと思います。

【やっぱり牛がいい】

上記第1回でもお伝えしたとおり、今回の支援家族は10家族、予算の関係から、そのうち8家族に牛、2家族に豚、となっています。牛、豚それぞれの家族の選定は、村長他村の有力者たち(ビレッジ・オーソリティー 覚えていただきましたか?カンボジアのキーワードです)を中心に、HCCのスタッフも交えて行われたわけですが、私の第1回の訪問時、支援家族から「やはり牛がいい」という声が再度挙がりました。もともと牛がよかったことと、最近流行り病があるのか豚が死んだ話をよく聞くから、ということでした。

言い分はわかるが、予算は予算でいまさら変わらない・・・という状態の中、豚を支援される予定だった家族が、既にHCCから他の家族に貸し付けられている牛から産まれた仔牛を欲しい、と言ってきました。そう、買い付けた段階で出産の迫っていた牛もいたのです。

【どうして豚ではダメなのか】

ここで上記8月19日付けの回でお伝えした牛銀行のルールをおさらいしたいと思います。
・種付けして産まれた1頭目の仔牛はHCCに、2頭目はその家族に、そして最初の牝牛をHCCに返す
そう、ルール的にはHCCが受け取る仔牛なので、それをHCCが別の家族に廻すこともまた可能です。しかし、確認しなくてはいけない点がいくつかあります。よって、HCCスタッフと私は、その家族のところに向いました。そしてどうして豚ではダメなのか聞いたところ、若干驚きを伴う答えが返ってきました。

「豚に食べさせるものがない」

私は浅薄でした。確かに豚は雑食とはいえ、牛のようにそのへんの草を食むというわけではありません。くず米なりもみがらなりをやらなくてはいけません。とはいえ、生まれたての仔牛が農耕牛として活躍するようになるには、2年以上待たなくてはいけません。そのことは何度も念押ししました。しかし、確かに何もないガラーンとした家で「牛がいい。豚にやるものがない」と、小さな声で、しかしハッキリと言う8人の子持ちのお母さんの言葉に、私の視線は虚空をさまようばかりでした。

(この項続く)

※重い話題ですが、写真は私のとっておきの子豚写真にしました!

子どもの人身売買防止プロジェクト現地出張報告第2弾<農業用井戸のインパクト>

2005年09月18日 20時38分13秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
みなさんこんにちは、平野です。前回に引き続き、国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡への第2回現地出張(9月5日~8日)の報告を行います。
今日はSBPN(School Based Prevention Network=学校ベースの人身売買防止ネットワーク)や人身売買、ドメスティック・バイオレンスの話からちょっと離れて、前回ご紹介した村人の声にも頻繁に出てきた「農業用井戸」についてお話したいと思います。

【田植えの時期にすでにお米が!】

前回の出張時(8月の9日~12日)のことですが、あるお宅にお邪魔すると、これから田植えというこの時期に、なんと既にお米がたくさん!驚いて家の方に聞くと、一年に3回から4回収穫しているとのこと。ということは、乾季米を作っているということ。つまり乾季にも水があるということです。これは、前回触れた以前HCCが提供した農業用井戸の活躍によるもの。

「以前は年に一回の収穫だって、満足に取れたり取れなかったりだったんだ」と力説する村の人々の様子からも、農業用井戸がいかに人々の生活を向上させたか、ヒシヒシと伝わってくるものがありました。干ばつと洪水の両方に悩まされるカンボジアの農民にとって、「水を管理する」ことは常に大きなテーマなのです。

【原油高の影響はカンボジアの農村にも】

この農業用井戸、写真をクリックして大きくしていただくと分かるのですが、見た目は井戸という感じがしません。地中深くにまで埋められた塩化ビニール管にホースを接続し、その先にある動力?ポンプで水を汲み上げ、また放水するのです。HCCスタッフのベルトのあたりに、戦車の大砲のように突き出ているのが放水する管ですね。

HCCがこの農業用井戸を提供したとき(3年前)は、井戸を掘るのに50ドル程度、ポンプが300ドル程度だったということですが、今は値上がりしているとも聞きます。いずれにしてもこれは大金です。そして、農業用井戸が寄贈されたとしても、その後このポンプを動かすのに必要なガソリン代は使う人持ち。昨今の原油高は、カンボジアの農村の人々の頭も悩ませているのです。ちなみに今日通ったガソリンスタンドでは1リットル=3800リエル、日本円で約100円ですので、日本が130円台突破とはいえ、両国の物価の違いを考えるとガソリンがいかに高いかわかります

とはいえ、田植えの時期に目にした大量の収穫済みの米の衝撃、そして農業用井戸の説明をする村人の表情の輝きは、農業用井戸が村にもたらしている恵みが、原油高による負担増を補って余りあるものであることを感じさせました

子どもの人身売買防止プロジェクト現地出張報告第2弾<村人からみたNGO>

2005年09月16日 18時03分51秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
みなさんこんにちは、平野です。国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡への第2回現地出張(9月5日~8日)、今日はその4回目になります。前回に引き続き、さまざまな人々への調査結果から回答をピックアップして、そこから見えてくる村の実情、村人の見たHCCの活動について考えてみたいと思います。前回の【村の問題】の内容を踏まえて読んでいただくと、より理解していただけると思います。

【Q HCCが来てから変わったことはありますか?】

A 子どもの権利が広まった(男性・副村長)
A 農業のやり方を教わった(45歳女性・8児の母)
A ドメスティック・バイオレンスが減った(同上)
A 農業技術を教わった。農業用井戸をもらった(65歳男性・自助グループリーダー)
A 牛や井戸をくれたし、農業技術も教わった(40歳女性・2児の母)
A 学校に行く子が増えた(同上)

【Q HCCの活動で印象深いものは?】

A 人身売買予防の取組み(男性・副村長)
A 収入向上プログラム、(子どもの権利や人身売買、DV等についての)意識啓発(65歳男性・自助グループリーダー)
A 人身売買に関すること(40歳女性・2児の母)
A 農業用井戸、意識啓発(初老男性)

【Q HCCのスタッフを信用しますか?】

A 信用します。助けてくれるし、牛や農業用井戸など形になった支援もあるし。他は来てもすぐ去ります(男性・副村長)
A 信じます。定期的に来てくれているので。(65歳男性・自助グループリーダー)
A 信じます。人身売買やDVについて教えてくれたし、物的支援もしてくれました。(40歳女性・2児の母)
A 信じます。牛や農業用井戸を支援してくれました。(45歳女性・8児の母)
※ この女性への追加質問
Q 物的支援がなかったら? 
A 存在を知らなかったのではないかと思います。
Q 物的支援はなしで、意識啓発だけしていたら?
A 信じていたでしょう。ウソをつかないし、いい事を教えてくれましたから。
 
総じてHCCの活動は評価され、スタッフも信用されていることがうかがえます。と、同時に、農業用井戸(国際子ども権利センターがHCCを支援する以前の活動です)や牛といった物的支援が、HCCが活動を円滑に進める上で必要な「村の人々との信頼関係」を作っていくにあたって、大きな役割を果たしていることも浮かび上がってきます。

私自身、HCCの本業は人身売買予防のための意識啓発活動と思っていたので、平行して収入向上プログラムを実施することに対してその効率性などを疑問に思ったこともありましたが、こういった村人の声を聞き、貧しい人々に本当に届く支援とはなにか、日々さまざまな考えが頭を巡ります。

※写真は調査に協力してくださった8人の子どものお母さんです。