みなさまこんにちは。平野です。今回はこれまでお伝えしたSBPN(School Based Prevention Network=学校ベースの人身売買防止ネットワーク)フォローアップワークショップの雰囲気について述べさせていただきたいと思います。
【カンボジアにおける先生・生徒】
カンボジアにおける先生は、かつての日本における先生のように、尊敬され、権威のある存在です。現在の日本でも尊敬され、権威のある先生はたくさんいると思いますが、もっと絶対的という意味で、かつての日本の先生(私は実体験がありませんが)のような存在ではないかと思うのです。実際には、給料のあまりの低さから、お金を払う子どもしか教室に入れない、塾での副業に熱心で学校の授業をきちんとやらない等々の「尊敬できない」行為も多く耳にしますが、先生の前に立つ生徒の態度は、今の日本の子どもたちの多くとは、良くも悪くも明らかに違います。
さて、なぜカンボジアにおける先生と生徒の関係について触れたかと言いますと、NGOスタッフとワークショップやトレーニングに参加する子どもたちの間にも、似たような雰囲気を感じることがあるからです。実際、参加者がNGOスタッフを「ロックルー(先生)」と呼ぶことは珍しくなく、特に農業技術トレーニングのような場合、実際に先生っぽく振舞ってしまうNGOスタッフもおり、「NGOスタッフは先生じゃなくてファシリテーターに」というのは多くのNGOで気をつけている点かと思います。
HCCスタッフについては、やはり子どもと話すことに慣れているせいか、上からものを言う感じのスタッフはおらず、冗談も交えながら楽しくやっています。ただ生徒はそれでも「ロックルー」と呼びます。場所が教室で、子どもたちは学生服を着て来ていることもあるので、自然とそうなるのかも知れません。そして生徒はHCCのスタッフの質問だけに答えるため、ともすればやや紋切り型のやり取りになる可能性はあります。ある生徒の発言に別の生徒が反応し、自然発生的にディスカッションになる、といったふうになると、もっと子どもたちの考えが引き出されてよいのだが、というのが私の印象です。
【前回の記事の補足】
以上のような状況も踏まえて、前回の記事について補足させていただきたいと思います。SBPNメンバーの子どもたちが直面しているさまざまな困難に対する解決策は、全面的に子どもたちからの発案であったものもあれば、子どもたちの発案をもとにHCCスタッフが膨らましたもの、HCCスタッフが促して子どもたちが思いついたもの、とさまざまあります。前回の記事の書き方は「全て子どもメンバーたちの提案」とも受け取れるような書き方になっていたので、ここに補足させていただきます。
【成果を見せたい】
これはカンボジアに限らず、子ども、もしくはおとなも含めて、なにかの成果を期待されている人たちにありがちなこととは思いますが、どちらかと言うと良いことを言おうという心理が働いていたのかもしれません。日本人が来ていることも、もしかしたら、影響したのかもしれません。
私見でもあり、また同じような話を耳にすることも少なからずあるのですが、受益者と言われる立場にグループ分けされる人たちは、NGO等援助機関のスタッフに対してできるだけ良いことばかりを言おうとする傾向があるのかもしれません。そしてそれは決して「できるだけ援助を引き出そう」という戦略的な側面からではなく(それもあるかもしれませんが)、「期待外れだった」と思われたくないという心理からではないかと私は考えています。村人の中には、さまざまな経験から、NGOを「勝手に来て勝手に去っていく」存在として捉えている人も少なくありません。
遠慮なく問題点や不満を述べることができるのは、その地域に入ってくる援助機関が多いため、ある団体に去っていかれてもかまわない、という人たちか、特定の団体との長い間の信頼関係で、率直にものを言えるようになった人たちだけだと思います。現状のNGOといわゆる受益者の人々との関係は、ほとんどの場合この点で対等でありえないと私は考えています。
子どもたちの雰囲気の話からそれて、だいぶ私の私見に基づく見解を述べてしまいました。次回はワークショップ中に挙げられた、人身売買業者の誘いやドメスティックテックバイオレンスの実例についてお話します。
【カンボジアにおける先生・生徒】
カンボジアにおける先生は、かつての日本における先生のように、尊敬され、権威のある存在です。現在の日本でも尊敬され、権威のある先生はたくさんいると思いますが、もっと絶対的という意味で、かつての日本の先生(私は実体験がありませんが)のような存在ではないかと思うのです。実際には、給料のあまりの低さから、お金を払う子どもしか教室に入れない、塾での副業に熱心で学校の授業をきちんとやらない等々の「尊敬できない」行為も多く耳にしますが、先生の前に立つ生徒の態度は、今の日本の子どもたちの多くとは、良くも悪くも明らかに違います。
さて、なぜカンボジアにおける先生と生徒の関係について触れたかと言いますと、NGOスタッフとワークショップやトレーニングに参加する子どもたちの間にも、似たような雰囲気を感じることがあるからです。実際、参加者がNGOスタッフを「ロックルー(先生)」と呼ぶことは珍しくなく、特に農業技術トレーニングのような場合、実際に先生っぽく振舞ってしまうNGOスタッフもおり、「NGOスタッフは先生じゃなくてファシリテーターに」というのは多くのNGOで気をつけている点かと思います。
HCCスタッフについては、やはり子どもと話すことに慣れているせいか、上からものを言う感じのスタッフはおらず、冗談も交えながら楽しくやっています。ただ生徒はそれでも「ロックルー」と呼びます。場所が教室で、子どもたちは学生服を着て来ていることもあるので、自然とそうなるのかも知れません。そして生徒はHCCのスタッフの質問だけに答えるため、ともすればやや紋切り型のやり取りになる可能性はあります。ある生徒の発言に別の生徒が反応し、自然発生的にディスカッションになる、といったふうになると、もっと子どもたちの考えが引き出されてよいのだが、というのが私の印象です。
【前回の記事の補足】
以上のような状況も踏まえて、前回の記事について補足させていただきたいと思います。SBPNメンバーの子どもたちが直面しているさまざまな困難に対する解決策は、全面的に子どもたちからの発案であったものもあれば、子どもたちの発案をもとにHCCスタッフが膨らましたもの、HCCスタッフが促して子どもたちが思いついたもの、とさまざまあります。前回の記事の書き方は「全て子どもメンバーたちの提案」とも受け取れるような書き方になっていたので、ここに補足させていただきます。
【成果を見せたい】
これはカンボジアに限らず、子ども、もしくはおとなも含めて、なにかの成果を期待されている人たちにありがちなこととは思いますが、どちらかと言うと良いことを言おうという心理が働いていたのかもしれません。日本人が来ていることも、もしかしたら、影響したのかもしれません。
私見でもあり、また同じような話を耳にすることも少なからずあるのですが、受益者と言われる立場にグループ分けされる人たちは、NGO等援助機関のスタッフに対してできるだけ良いことばかりを言おうとする傾向があるのかもしれません。そしてそれは決して「できるだけ援助を引き出そう」という戦略的な側面からではなく(それもあるかもしれませんが)、「期待外れだった」と思われたくないという心理からではないかと私は考えています。村人の中には、さまざまな経験から、NGOを「勝手に来て勝手に去っていく」存在として捉えている人も少なくありません。
遠慮なく問題点や不満を述べることができるのは、その地域に入ってくる援助機関が多いため、ある団体に去っていかれてもかまわない、という人たちか、特定の団体との長い間の信頼関係で、率直にものを言えるようになった人たちだけだと思います。現状のNGOといわゆる受益者の人々との関係は、ほとんどの場合この点で対等でありえないと私は考えています。
子どもたちの雰囲気の話からそれて、だいぶ私の私見に基づく見解を述べてしまいました。次回はワークショップ中に挙げられた、人身売買業者の誘いやドメスティックテックバイオレンスの実例についてお話します。