カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

物乞いに行った少女 スタディツアー報告その4

2008年05月27日 23時04分55秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
こんにちは。甲斐田です。今、ベトナム国境の町、バベットにきています。明日は、国際子ども権利センターの活動地チャントリア郡の隣りのコンポンロー郡に行きます。ここはベトナムに出稼ぎに行く子どもがたくさんいるため、そこでも活動できないか検討するためです。今回はベトナムに出稼ぎに行った少女のことを報告してくださった幸田さんのスタディツアー報告をお届けします。
写真は今年1月に奨学金としての文房具を受け取った少女たちです。

奨学金受給の家庭訪問(チュレ) 

「物乞いに行った少女」 幸田雅人

私はこのスタディーツアーがカンボジアの初めての訪問となりました。ベトナムへは何度か行ったことがありましたが、隣同士の国ながらどんな違いがあるのか興味のあるところでした。 3月20日にホーチミンからバスで1時間で国境に着き、ベトナムの出国手続きのあと、カンボジアの入国手続きをして、カンボジア入り。その日は国境の町に宿泊しました。

 次の日の午前はプレイコキー中学校で、子ども達主体で行っている人身売買防止ネットワーク活動について話を聞きました。 そして、午後にはツアーメンバーは2つのグループに分かれ、奨学金を受けている家庭を訪問しました。 

 この奨学金制度とは、人身売買防止プロジェクトのひとつです。奨学金といっても現金を支給するのではなく、制服や米を支給し、学校へちゃんと通学できるようにして、貧しさから子どもが出稼ぎに出て人身売買に遭わないようにするものです。 支給するものは、制服(半袖、長袖ブラウス、スカート)、ノート、ボールペン、分度器、コンパスなどの文房具と、あとは米です。

 私達が訪問した家庭の一軒目は、11歳の女の子の家庭で、奨学金を受けたのは1月からです。 この家は藁葺き屋根、土壁の家のようでしたが、最近の大雨で家が壊れてしまい、訪問したときにはその倒れた壁の残骸が残っていました。 今は木の枝と板で寝床と屋根をつくり、そこで寝泊りしています。 しかし見たところ本当に貧弱なつくりで強風が吹いたら倒れそうな、広さ畳2、3畳くらいの小屋です。中は狭いので昼は主に外で過ごして、夜はそこで眠るだけといった感じです。

 子どもは学校へ行っている時以外は家の手伝いをします。 ご飯の支度、牛の糞集め、兄弟の面倒を見る、水牛の世話をする。 母親自身は小学校5年生までしか学校に行けず、子どもには是非ちゃんとした勉強をさせたいと言っていました。 仕事は稲作の他に水牛の糞を集めて売る仕事をしています。また、縫製工場で働くと収入になるので、自分達も行きたいと言っていました。

 2軒目は10歳の女の子の家を訪問しました。 両親は6~7年前に離婚し、子どもは母親が引き取りました。しかし、5ヶ月前から母親はプノンペンの縫製工場へ出稼ぎに出ています。 現在は兄弟(男1、女2)とおばあちゃんと暮らしています。母親からの仕送りは1ヶ月前に1回あり、金額は10万リエル(約2500円)だそうです。仕送りはまだ1回しかありませんが、母親からは連絡が来るので、元気でいることは確認出来ているそうです。 家の中でおばあちゃんに奨学金で貰ったノートや文房具を見せてもらいました。

 3軒目は、一番印象に残っている家で、14歳の女の子の家庭です。この少女は母親と一緒に、ベトナムへ物乞いの出稼ぎに出ていたそうです。 これには一同がちょっと驚きました。 土間の家の中に入れてもらい、甲斐田さんや私達が次々と質問をして、その物乞いの様子が分かっていきました。 

 動機はやはり米とお金の不足で、最初は物乞いの経験のある人についていったそうです。 1回の物乞いの期間は10日間くらい。初めて行ったのは13歳の時。それ以降7~9回ほど行きました。 稼ぎは10日間で6~7万リエル(約1500円~1800円)。

 貧困農家ですので、当然パスポートなんて持っていません。 国境警察に賄賂を払い国境を越えます。 物乞いで滞在した街の名前は覚えておらず、人が多くバイクがたくさん走っている街だそうです。 物乞いをしているときにベトナム人に怒鳴られたり、まったく稼げない日もあったり、夜は林の中や店舗前の路上で眠り、現地の住民が自分達のことを警察に通報することを恐れて、目立たないように注意します。
 
 奨学金をもらってから母親は、ベトナムへ行かせる必要はなくなったと言っています。 しかし、同時に今でも食べるのには十分ではないとも言っていました。父親は建設現場で働いており、1万~2万リエルを仕送りで送ってきます。 しかし、父親には愛人がいて、それが家庭内暴力の原因となっているそうです。 今の母親の仕事は肥料用に牛の糞を集めてベトナムへ売りに行くことです。
 
 4軒目は13歳の女の子の家で、兄弟は姉と妹がいます。 父親は大工、母親はゴザを編んで売って収入を得ています。ゴザの売値は大きいサイズ(長さ1.5m)で2万リエル、小さいサイズで1.5万リエル。1枚編むのに約5日程度かかります。 家の中から作っている途中のゴザを出して見せてもらい、ついでにみんなで写真も撮りました。

 今回の訪問で、一番印象に残ったのは、やはり3軒目の物乞いの話でした。そもそも物乞いが出稼ぎ仕事として成り立つとは知りませんでした。 この物乞いに行った少女は14歳の女の子ですが、ごく普通のまじめでおとなしい感じの少女です。 
 少女の話では、物乞いの出稼ぎへの勧誘に斡旋業者が村によく来ていたそうです。 そこで物乞いの出稼ぎの方法を覚えた村人は、後に自分達だけで行くようになったそうです。 この少女も、斡旋料金が1回につき2.5万リエル(約650円)と金額を知っていましたから、最初はこの斡旋業者について行ったのだろうと思います。

 それと、物乞いの稼ぎについてですが、貧しい農民にとってはそれなりの現金になると感じました。例えば、4軒目の家はゴザを1枚編むのに5日程度かかり、売値は2万リエル(約520円)。そして物乞いは10日間で6、7万リエル稼いでいました。

 交通費や賄賂にかかる費用もありますから、単純に比較は出来ませんが、7~9回も出かけていることからも、物乞いによって得られる収入は、村でちょっとした仕事で得られる現金に比べて遜色ない金額だろうと推測できます。

 また、今回は幸いにも人身売買業者の偽の就職斡旋ではありませんでしたが、現金収入になると誘えば、遠方や国外へ子どもを連れて行くことは、いとも簡単であると感じました。  物乞いに行った少女の両親は奨学金を貰ってからは、出稼ぎには行かせないよう
にしたと言っていました。また、兄弟にも行かせないようにすると言っていました。一人の子どもに支給する制服や文房具、米などにかかる経費は、それほど高額ではありません。貧しさから学校へ行けなかったり出稼ぎに出たりして、人身売買の危険に遭う可能性をなくす方法としてすぐに効果がある方法です。 それに2軒目では、支給された文房具を大切にしていましたし、4軒目ではノートが一番うれしいと言っていました。こんな簡単なもので喜んでもらえて、チュレの人たちの素朴さを感じました。

 農村を訪れたときは乾季で暑くて、藁葺き屋根と土壁の民家が点在していて、はだしで遊ぶ子ども達が訪れた日本人に興味津々で集まって来たりと、のどかな光景でした。 しかし、インタビューすると両親が離婚していたり、父親に愛人がいたり、ベトナムで屋外に寝泊りしながら物乞いしたりと、いろいろな苦労があるのが分かりました。 各家庭で食べる分の米が十分収穫できないことが分かりました。 
 この奨学金制度は、本当に貧しく学校へ行けない、また出稼ぎで行けない子ども達に、学校へ行ける機会を与えるすばらしい制度だと感じます。

 子ども一人あたりの費用は、私達日本人から見れば僅かなお金ですが、本人にとっては毎日学校へ行って、ちゃんと勉強できたという経験はかけがえのないものになるでしょう。 そして大人になったときに良い仕事につけたり、親となったときに勉強の大切さを実感しているがゆえ、自分の子どもにできるだけ学校へ行かせるように工夫してくれると思います。
 そして、一番望むことは、村で十分な収穫が得られ、商売がうまくいき、村が豊かになり、子ども全員が学校へ行けて、この奨学金制度が必要なくなる日が来ることだと思います。 HCCとシーライツの行っている牛銀行や貯蓄グループプロジェクトがこういった将来につなげてくれると思っています。

【編集より】
少女たちの危険な出稼ぎを防止するために会員になって支えてください。
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少女たちの夢 奨学金受給の家庭訪問 スタディツアー報告その3

2008年05月24日 15時04分42秒 | 人身売買防止プロジェクト(収入向上)
こんにちは。甲斐田です。スタディツアー参加者からの報告その3をお届けします。訪問した少女たちの状況を通して、貧困や児童労働によって、十分な教育を受けていくことの困難さを感じていただくことができると思います。なお、この教育と児童労働の関係について6月8日に帰国し、シンポジウムで話す予定です。
http://stopchildlabour.jp/modules/articles/mainevent.html

写真は清水さんと村の子どもとそのお母さんです。


奨学金を受けている少女の家へ家庭訪問
                         清水由莉(大学生)

 私たちは2日目、ネットワーク(SBPN)のメンバーの子供たちを訪れた日の午後、農村で奨学金の支援を受けている少女の家に家庭訪問させてもらいました。
その奨学金を受けるには、その村の中でも貧しい家庭など、いろいろ条件はありますが、一番の条件は、女の子が家族の元にとどまっているということです。これは、女の子のほうが出稼ぎに行かされる確率が高いためだからだそうです。

 私はプレイコキーという地区の村に行きました。プレイコキーはカンボジアの中でも、貧しいといわれている地区です。その村は、電気はもちろん水も流れておらず、人々が協力し合って暮らしているような村でした。
 
 1件目の家は、16歳の少女の家でした。
彼女は5人兄弟の長女で、両親を入れて7人家族です。彼女の両親は農業をしていて、ブタやニワトリを飼っています。しかし、ニワトリといっても、日本のようにすべてが大きいのではなく、小さくてガリガリのニワトリも何匹かいました。
その家は木で建てられていました。しかし、私たちが4人座ったら、床の下で支えていた木が曲がってしまうほど、もろく、頼りない家でした。もちろん玄関のような扉はありません。布切れが何枚かかかっているだけで、雨が降れば雨が漏れ、風が吹けば、崩れてしまいそうな家でした。
 彼女は学校から帰ったら、ご飯作りや、ブタの世話、兄弟たちの世話、洗濯を手伝っているそうです。彼女の夢は弁護士になることで、勉強しているときが楽しいと話してくれました。彼女は勉強を続けたいそうです。しかし、お母さんは勉強させてあげたいけど、中学3年生ぐらいまでだろうと話してくれました。
2件目の家は、15歳で中学2年生の少女の家でした。
彼女は、3人兄弟の2人目で長女です。小学校1年生の妹がいます。
両親は歩いて30分ぐらいの田んぼで農業をしているそうです。ニワトリとイヌを飼っています。ブタを飼いたいそうですが、そのブタを買うお金がないそうです。
彼女は学校から帰ったらご飯作り、両親の手伝い、宿題などをして過ごすそうです。彼女の夢はお医者さん。お母さんは学校にずっと通わせてあげたいけど、まだわかりませんと言っていました。

 3件目の家は、小学校4年生の少女の家でした。
彼女の両親は農業をしているそうです。彼女は歩いて学校に行っています。夢は今のところないそうです。その子のお母さんは経済状態が問題だが、行かせられるまで学校には通わせたいそうです。本人次第だが、縫製工場で働けたら・・・と話してくれました。

 4件目の家は14歳で小学校5年生の少女の家でした。
彼女は女3人、男2人の5人兄弟の3人目です。彼女の家は高床式の家よりも高い感じで、階段を使って家に入ります。中に入らせてもらいましたが、中は風通しがよく、思った以上に涼しかったです。
彼女の家は何頭かブタを飼っています。両親は地酒を造っていて、その麹をブタのえさにするそうです。彼女は学校から帰ってきたら、ご飯作り、お酒造りの手伝いをしているそうです。彼女の得意科目は算数で、将来の夢はまだないそうです。
将来の夢は?と質問しましたが、悩んでいるうちに、お母さんや近所の人にあれこれ言われてしまったので、本当は夢があったのに、言いづらくなってしまったのかなと感じました。

 5件目の家は13歳で小学校5年生の少女の家でした。
彼女は3人兄弟の2人目で長女です。彼女の妹はまだ小さく、一人ではまだ歩けません。しかし彼女の両親は出稼ぎに行っていて、両親とは2年に1回しか会えないそうです。そのため、彼女たちはおばあさんと一緒に住んでいます。
午前の学校に30分歩いて通っていて、学校に行っているときが一番楽しいそうです。好きな教科は算数、夢はまだ決まっていないそうです。

 6件目は15歳で中学2年生の少女の家でした。
彼女は3人兄弟の長女で、両親はタイへ出稼ぎに行っているため、叔母さんたちと住んでいます。彼女のお母さんは、廃品回収をしていて、お父さんは、日雇い工場で働いているそうです。両親が出稼ぎに行ってからは、もう1年以上会っていないそうです。お父さんはいつ帰ってくるかわからないそうです。
彼女の得意科目は国語とバレーボールで、将来の夢はまだ決まってないそうです。

 7件目の家は12歳で小学校5年生の少女の家でした。
彼女は2人兄弟の長女で下に弟がいます。彼女のお母さんは亡くなり、お父さんは再婚したため、おばあさんと一緒に住んでいます。1年に1回お父さんと会っているそうです。
おばあさんは、甘くて、あずきやココナッツの入ったちまきのようなお菓子を売って生計をたてています。

 彼女は午前中の学校に行っていて、帰ってきたらご飯の手伝いをするそうです。
彼女の得意科目は国語で、将来は警察官になりたいと話してくれました。高校3年生まで勉強したいそうです。

 8件目の家は19歳で中学3年生の女性の家でした。
彼女は午前中に行った子どもの人身売買防止ネットワークの一員です。彼女は4人兄弟の次女だそうです。

 彼女のお父さんはDVが激しく、もう10年以上会っていないそうです。彼女が学校から帰ったら、ご飯、掃除、稲、苗などの畑や田んぼの仕事、買い物、洗い物などをして手伝っているそうです。彼女の得意科目は英語で、将来はどこでもいいから、会社員になりたいそうです。高校までは5キロくらいかかりますが、高校に行って、行けるなら大学も行きたいと言っていました。しかし、大学には奨学金はないので難しいそうです。もし奨学金があったとしても、その情報がこの村に届くことは難しく、たぶんその情報はこないだろうとのことでした。

 9件目の家は21歳で中学3年生の女性の家です。
兄弟3人で両親はいないそうです。弟がいます。
お姉さんは23歳で、妹弟を育てるために小学校3年生の時に学校をやめ、プノンペンに1度仕事に行ったそうですが、病気になってしまい、帰ってきたそうです。今、まだ完治していない状態で、スニーカー工場で働いています。

 彼女の得意科目は英語で、中国語も勉強しているそうです。
彼女は高校に行きたいけど、まだわからないと話してくれました。

 私はこの9件の家に家庭訪問させてもらいました。みんな快く質問に答えてくれました。
 少女たちと接して感じたことは、みんな勉強が好きで、上の学校に行くのに必死ということです。私は今まで小学校から上の学年に上がっていくことが当たり前だと思っていたし、高校、大学と進学している自分に疑問すら持ちませんでした。しかし、明確な夢を持っている少女たちや、私と同じくらいの歳なのに中学3年生の少女たちを見ていて、私は今までどれだけ幸せに、なにも考えず生きてきたんだろうと思いました。

 朝起きたら家族がいて、朝ごはんがあって、学校に行って、友達と話して、好きな部活をやって、家に帰ると夕飯ができている。私がこの生活を何年も続けてきた間に彼女たちは一生懸命勉強して、家の手伝いや兄弟の面倒をみて。勉強をしたくてもできない子がたくさんいたのだと思うと、すごくショックでした。最後には、高校、大学に行きたいと話す少女たちの目を見て話すことができませんでした。
 
 弁護士や会社員、医者になりたいと夢を言ってくれた子たちが夢をかなえることは相当難しいでしょう。しかし、彼女たちは目をキラキラさせて、恥ずかしそうに夢を言ってくれました。そんな子たちを見て、何も言えず、何もできない自分に無力さも感じました。

 しかし、今回行かせてもらった村でうらやましいと思ったことがあります。
それはこの村だけではないですが、近隣の人々とすごく仲がよいということです。日本には家の周りにレンガだったり、塀だったりがあったりしますが、村にはそのようなものはありません。どこからどっちの家なのかは、見た目ではわかりません。
 隣を見れば、隣人の生活が丸見えです。私たちがその奨学金を受けている家の人に話を聞いていると、自然と人が集まり始め、話に入ってきます。雨が降ってくれば、雨宿りに人の家に勝手に入り込みます。写真もはじめは断っていますが、最終的には一緒に写ってくれます。そんな日本では考えられない光景を見て、すごく暖かい気持ちになりました。

 この村に行ったことで、自分の知らない世界がまた1つ増えたと感じました。
彼女たちの話を聞けて、近所の人たちと仲良くなれて、とても勉強になった1日でした。

(編集より)
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勇気をくれた子どもたち スタディツアー報告その2

2008年05月21日 17時39分49秒 | 人身売買防止プロジェクト(意識啓発)
 こんにちは。甲斐田です。中国四川大地震では、たくさんの子どもたちが被害にあって、痛ましいですね。唯一の子どもを亡くした親御さんたちの報道を見ると胸がつまる思いです。ミャンマーでは、援助が届かず、タイの国境の町まで被災した方々が避難してきています。バンコクの英字新聞では連日、援助を受け入れず被災した人々より自分たちのことしか考えないビルマ政府を批判する意見が掲載されています。
 04年12月の津波のときに親を亡くした子どもたちが人身売買ブローカーから狙われたので、今回も心配になっていたのですが、ビルマの被災センターにも人身売買のブローカーがやってきて、子どもたちを連れていこうとする事件が起きました。幸い、警察が介入し、加害者は逮捕されましたが、このようなことが人知れず起きているかもしれません。親や住むところを亡くして、ショックの中にいる子どもたちは一日も早くおとなの優しさに触れて癒されなければならないのに、そうした子どもが、逆に、自分を守ってくれると信じてついていったおとなから自分は騙されていたと知ったらどんな気持ちになるでしょう。そんなことが起きていないことを祈ります。
前置きが長くなりましたが、スタディツアーの報告その2を掲載します。
写真はメンバーの子どもたちとゲームをする高橋さんです。
(強調は編集部でつけさせていただきました)


学校ベースの人身売買防止ネットワーク(SBPN School Based Prevention Network)
                      高橋友紀子(会社員)
スバイリエンでの小学校訪問

教室に入ると、私たちも教室の生徒の皆さんも緊張した様子でした。そしてひとりひとりの自己紹介。当然私も緊張しました。するとクラス以外の子どもたちが興味津々といった感じで教室の窓からたくさん覗きにきていました。キラキラした瞳と笑顔がとても印象的でした。カメラを向けると嬉しそうにはしゃぎとてもかわいらしかったです。
私たちはコミュニケーションとして日本から持っていった写真を見せたり、歌を歌いました。ギターや振り付けありで『幸せなら手を叩こう』を歌い、ゲームをして楽しみました。以下、子どもたちへの質問と答えです。

Q1.トレーニングで何について知りましたか?

A:子どもの4つの権利について(これらは国連の子どもの権利条約で定められている)
  
  「生存する権利」・・・生きることの保証。そして簡単に直すことのできる病気で命を無くさないようにする権利

  「発達する権利」・・・心や体の発育に伴なった成長をする権利
  
  「守られる権利」・・・有害な労働・経済的性的搾取から保護される権利

  「参加する権利」・・・自分達に関係することが決められる時には意見を表し、それが充分尊重される権利。

 :家庭内暴力、性的搾取、ジェンダーについて学びました。
 
 :麻薬の危険性について学びました。

 :学校の先生や村長は自分たちを守る人たちだと知りました。
  
《感想》
日本で暮らす子どもには日常では学び得無い内容をこんな小さな頃から学び、身に付けていかなければならない環境にショックを受けました。子どもたちの「学校の先生や村長が自分たちを守ってくれる存在だということが理解できた」という答えに安心しました。
親以外に頼ったり助けを求めることは、日本と文化や発展の違いがあるにしろ、『人』にとってとても大変なことであり、とても密接な信頼関係が無い限り難しいことだと感じます。 しかしながら、親や大人の言いなりでなく深い意味で自分の権利を守るためにも村長や先生の存在があることを学べることはとても良いことだと感じました。

Q2 どのような活動をしていますか?

A:学校で学んだことについて広報活動をしています。
  児童労働、ドメスティックバイオレンス、人身売買、ジェンダー、出稼ぎ労働の危険性について同学年の友人、近所の子どもに話しています。

Q2① すぐに信じてもらえましたか?
  
 a・友人、子どもたちは信じました。しかし、年上の人たち、大人の人は聞いてくれなかったり信じてくれませんでした。
  ・自分たちが学んだことを、親や大人の人たちに伝えることの難しさを知りました。

Q2② 何を信じてくれなかったのですか?
  ・人身売買についてです。

《感想》
学んだことを周りの人に伝える。受け入れてもらう。という行為は大人の私達でもとても多くのエネルギーと根気、そしていちばんに勇気が必要です。そのような地道で勇気の要る活動を子ども達がしているのを聞いて わたしの方が勇気をもらいました。

Q3 なぜこのネットワークに参加したのですか?
  
  ・自分の村での人身売買、ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力が起こらないようにするためです。そして村の安全を守るためです。

Q4 村にドメスティックバイオレンスの問題がありますか。

  ・家庭内暴力の原因として子どもが親を軽視したような態度をとるために  親が暴力を振るうという傾向があります。
  ・私の村の話ではありませんが、親からの暴力により家を出て自分の村に住んでいる子どもがいます。

Q5 出稼ぎに出て騙されたという話を聞いたことがありますか?

  ・付き合っている男と出稼ぎに出て、その男に騙されたという人がいる。という話を聞いたことがあります。  

   
(小学生からの質問):日本ではどのような問題がありますか?
(日本人参加者からの答え)
  ・児童虐待、少子化、いじめ、各家族の問題があります。
  ・日本にもフィリピンなどから人身売買でつれてこられたり、ポルノ被害にまきこまれたりする被害者がいて、本国へ送り返しています。

(編集者注:最近は、フィリピンよりインドネシアからの被害者が多くなっています。やっと近年、加害者処罰が法律で決められ、被害者は帰国援助が受けられるようになりました。)

Q6これからの活動としてどうしていきたいですか?

  ・活動するメンバーを増やしたい
  ・広報を広める側になりたい

《感想》
子ども達が自分たちを守る権利や、安全に暮らしていくために、とても真剣に取り組んでいる様子がうかがえました。これからより多くを学校で学ぶことにより、より多くの知識や知恵が個人個人に身につくことで、今は困難な広報活動も確実に力を増していくだろうと思います。 そして、それは確実にメンバーが増えることに繋がるはずです。
 なかなか信じてもらえない!と言う周りのお友だちそして大人たちに、学んだことや見たり聞いたりしたことを伝えることは本当に大変な勇気が必要だと思います。そして 子ども達がこのような「地道でありながらも確実」な活動を続けていくためには、大人たちの万全なサポートが必要だと思います。
彼らはいくつもの勇気を持って活動しているのだな・・・と思うとかえって私の方が勇気をもらいました。
日本は離れていますが、私は日本で「身近にできること」をひとつでも多く行動することを精一杯、一生懸命頑張ります。 
私の小さな一粒の行動がカンボジアの子どもたちを手伝うエネルギーに通じることを信じています。


○カンボジアの家族の温かさに触れて○ スタディツアー報告 その1

2008年05月14日 20時13分43秒 | カンボジアの子ども
みなさん、こんにちは。甲斐田です。今年の3月に国際子ども権利センターはスタディツアーを実施したのですが、その参加者が見たり体験したことを文章にまとめてくださったので、今回からそれらをこのブログでアップさせていただきます。
(字の色による強調はこちらでつけさせていただきました。写真は筆者の宮澤さんと村の子どもです。)

○カンボジアの家族の温かさに触れて○

                                         宮澤祥子さん(大学生) 

 今回私は英語に全く自信がなかったため、日本語を勉強しているヴィッチニーのお宅にホームステイさせていただきました。ヴィッチニーのお宅には4人のメンバーでお邪魔しました。

ヴィッチニーは20歳の女性で、クメール語・英語・中国語・日本語が話せる勉強家で、自分の考えをしっかり持っているとっても可愛い人でした。

 ヴィッチニーとヴィッチニーの妹ヴェッツも一緒にツォール・スレン博物館を見学し、その後ヴィッチニーの運転する車で家に向かいました。ヴィッチニーの家はプノンペンから車で30分位のところにありました。車内ではホームステイというドキドキ感もありましたが、ヴィッチニーはとても気さくで、私たちの質問に日本語・英語・ジェスチャーを交えて色々と答えてくれました。たまに日本語が通じない時もあり、英語が話せればもっとヴィッチニーと話が出来たのにと残念に思い、本気で英語を学びたいと思うようになりました。

 家に帰る途中、私たちのリクエストにより観光地でもあるセントラルマーケットに寄ってもらいました。セントラルマーケットは大きい市場にも関わらず溢れんばかりの人でした。私はお土産にクロマーが欲しかったのでヴィッチニーに伝えると、お勧めのお店を教えてくれ、大判のシルクのクロマー2枚を格安の5ドルで買うことができました。良い買い物が出来て大満足でした!!セントラルマーケットを出て、家路の途中にいくつかのお寺がありました。私たちが興奮して車内から見ていると、記念にという事で車を止めてくれ、説明してくれたり記念写真を撮ったりと、ヴィッチニーの温かい心遣いが嬉しかったです。

 ヴィッチニーの家に着くと、ヴィッチニーのお婆ちゃんとパパとママが笑顔で私たちのことを迎えてくれました。私たちが玄関先にある椅子に座っているとヴィッチニーは庭に生えているマンゴーをもぎ、私たちにご馳走してくれました。緑色のマンゴーは酸っぱいけれど、日本では味わったことのない新鮮な味でとっても美味しかったです!!こっちではそのマンゴーに塩と砂糖と唐辛子を合わせた調味料につけて食べるそうで、果物というよりは野菜という感覚でした。途中からヴィッチニーの友達のマリナさんのお宅がホームステイ先のメンバーも加わり、大人数で夕飯をいただきました。鶏を焼いたもの、卵焼き、餃子、サラダにデザートには熟した甘いマンゴーと美味しいものを沢山ご馳走になり、大満足でした。夕飯を食べ終わると、今度はマリナさん宅にお邪魔させてもらいました。マリナさんの運転するバイクで向かったのですが、バイクの3人乗りなんて日本では経験出来ない事だったので大興奮でした!!マリナさんの家族も温かく私たちを迎えてくれました。マリナさんの家では、庭でとれるココナッツジュースや、ココナッツとゴマの餡をもち米で包んだお菓子やまたまた美味しいマンゴーなど沢山ご馳走になり、カンボジアの人たちの暖かい心遣いに感動しました。

 ヴィッチニーの家に戻ると、ヴェッツと折り紙をして遊びました。ヴェッツは日本語はもちろんの事英語も片言だったので、二人で会話につまりつつもジェスチャーでコミュニケーションをとりました。ヴェッツは私が持ってきた和紙や折り紙の本に興味津々で、鶴や箱など折るたびに真似をしてどんどん折り方を覚えていきました。上手に折る度に褒めると、照れ屋のヴェッツは恥ずかしがりながらもとっても可愛い笑顔で応えてくれました。妹が出来た感覚で私もとっても嬉しかったです。その後、ヴィッチニーやママや弟も加わり、みんなで折り紙で遊びました。

 次々出来上がっていく折り紙にみんなとっても喜んでくれて嬉しかったです!!夜はヴィッチニーと日ごろの生活や将来など、年が近いからこそ分かり合える悩みなど少し深い話も出来良かったです。朝はマリナさんの家にお邪魔して朝ごはんをいただきました。お粥に梅干に塩魚いりの卵焼きにお漬物など、日本人の私たちのために用意してくれたメニューが並んでいて、久しぶりの日本の味が嬉しかったです。朝ごはんを食べ終わるとトゥクトゥクに乗って待ち合わせ場所のホテルまで向かい、寂しいながらもお別れをしました。

 今回のホームステイで私が感じた事は2つあります。まず一つ目はカンボジアの人たちの温かさです。初めてのカンボジアで始めてのホームステイということで緊張していた私たちの心を溶かしてくれたのは、ヴィッチニーやヴィッチニーの家族の温かく優しい笑顔でした。言葉は通じない私たちに常に笑顔で接してくれ、一生懸命ジェスチャーで話しかけてくれる。そして、ここまでしてくれるの?と驚く位のおもてなしなど、家族の優しさで溢れている家庭にお邪魔出来て本当に良かったと思います。ヴィッチニーのママに「ママ大好きー!!」と抱きついた時、ヴィッチニーのママもとびっきりの笑顔で抱きしめてくれたことは決して忘れません。

 2つ目はカンボジアの格差です。今まで貧困地域やグッディーセンターなどを見てきたこともあり、逆にこういった一般家庭に違和感がありました。ヴィッチニーの家は3人きょうだいでみんな学校に通い、家も立派な一軒家で、そこには温かな家庭が存在します。今まで見てきた村の家庭では、両親が出稼ぎや亡くなったという理由でいなかったり、子どもたちは学校にも満足に行けずに家に縛られているというケースが普通でした。同じカンボジアでここまで差がはっきりとしている現実に少し戸惑いを感じました。日本でも格差はあります。しかし、カンボジアの貧富格差は大規模で鮮明なものなのです。私も日本に帰ったら両親も健在で学校にも通え、生活には困らない裕福な家が待っています。自分のおかれている環境、また、カンボジアの中流階級以上の家を考えると貧困地域で出会った人たちの生活、そして何より子どもたちの生活、子どもたちの生きる権利を真剣に考えていかなければならないと感じました。カンボジアが着実に発展している事は都市部にいると感じることが出来ます。しかし、その裏には日本では想像出来ない程の貧困も存在するのです。このツアーでカンボジアの表と裏を見ることが出来て良い経験が出来たと思います。

○感想○ 

 このツアーから帰って来てまず思ったことは、このツアーに参加して本当に良かった!!ということです。カンボジアの人々・風景・食べ物など毎日見る物体験する事が新鮮で、あっという間の1週間でした。
 
 スタディツアーということで、子どもの権利やカンボジアの子どもの現状などの知識だけでなく、被害が起こりうる現場から社会復帰までの流れにそって実際に現場を見る事ができ、とても貴重な経験もさせていただきました。貧困地域の村に行き、普段観光客の目には映らないカンボジアの子どもの現状の深刻さを目の当たりにした時、「何とかしたい、自分には何か出来ないのか?!」と今すぐ手を差し伸べられない自分をとても悔しく感じました。
 
 家族のために働くのが当たり前、お金が無いから働かなくては生きて行けない。日本では考えられないくらいの幼い子どもたちが“お手伝い”ではなく“仕事”として働かされているのです。それでも子どもたちは溢れんばかりの笑顔で私たちを迎えてくれました。あの子どもたちの輝いている笑顔は忘れられません!!

 そんな子どもたちの笑顔を曇らせない為にも、児童労働・人身売買・性的搾取防止の活動を起こしていかなければならないと強く感じました。カンボジアの女性や子どもの権利・命・性のもろさを考えると、C-Rightsやパートナー団体の各国のNGOの存在の大きさははかり知れないものだと感じました。

 このツアーに参加して学んだ多くの事、吸収した多くの事を生かして自分なりに行動にうつしていきたいと思っています。カンボジアから子どもの搾取、児童労働が無くなる為にも自分には何が出来るのかを考えて行きたいです。

 最後に、甲斐田さん、近藤さん、(通訳の)井伊さん、(ガイドの)ポォキーさん、そして一緒にツアーに参加したメンバーなど全ての人に恵まれた事を心から感謝しています!!1週間共に生活し、楽しさも寂しさも共感し合い、常に笑いあっていられたのも本当に素敵な方々に出会えたからだと思っています。皆さんと一緒にカンボジアで過ごせた事を心から嬉しく思います。ありがとうございました☆