それが、東北大震災の第1報だった。
電話中に相手側で揺れ出したという、全くのリアルタイムで知らされたのだけど、その規模などは簡単には分からず、最初は単なる大きい地震としかとらえてなかった。
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それが、あんなに大規模なもので壊滅的被害をもたらす大津波が来るとは・・・
あれほどの長い関東から東北の海岸線に被害を及ぼしたものと分かるには、数時間が必要だった。
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まずは、米沢の自宅から電話がかかってきて心配ないよと、殆ど被害がないことが確認して一安心できた。
米沢は、本来であれば東北電力管内の系統であるから、停電になるはずだったのだけど、新潟からの電気を受けていて、その系統の遮断回路が(不具合で?)遮断できなくて、結果的には停電にならなかったという噂を後で聞いた。
地震後から電話は不通だったのだけど、インターネットで情報がやりとりできたのは幸いであった。
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家は問題なく、停電もなく、車のガソリンは前日に満タンにしてたということで、その後数週間にわたって続いたガソリン不足の苦しみも、味わうことなく済んだのは、ラッキーとしか言いようがない。
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その後数日で、東電の原発の冷却機能の不完全がとんでもない事態を引き起こすことになるのだが、震災当日の夜には、すでにマスメディアやTwitter情報で電源車が向かってるという情報などが流れていた。
まさか、向かってた電源車が使えない事態などとは知る由もなく、朝には無事冷却が進むのだろうと楽観的であった。
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それをはじめとして、東電や原発関係責任機関の無能ぶり・無責任ぶりは毎日至る所に出現し、それを伝えるべきマスコミがそれに輪をかけた無能ぶりをさらけ出したのは、薄々分かってはいたが、残念であった。
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それに新聞やテレビが伝えないことがあるとは・・・事実隠し行為が至る所で行われて、日本は混乱の極みに陥った。
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民主党政府や官僚が必ずしも妥当な判断・行動を取らないことは、すでに宮崎での口蹄疫騒動でも、見えていたし、外国資本が多く入った一部テレビ局では、国旗掲揚など国威発揚の機会を隠す勢力がいることが、フィギュアスケートの放送の扱いで知られていたが、そういう意識的な行動ではなく、無能が故の判断できず行動できず、「巧遅は拙速にしかず」の戒めを何度も思い出させる報道が繰り返されている。遅れ遅れの政治行動、行政行動は一年経っても、まだ方向性さえ定まらない事態が多いらしい。なんと嘆かわしいことよ。
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混沌とした暗い夜を不安な思いで、空腹で過ごした被災者の方々の苦しみは、形を変えて今でも続いていることが、この数日のメディアの特集報道でいろいろ知らされる。何かしたいと思っても、現実にはボランティアなどに行きようもなく、僅かな募金をして気持ちを落ち着けるしかない。
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放射能が濃く漂って汚染された福島の飯館村や渡利地区などは、昔から福島に遊びに行く場所や通過する場所であった。いい景色も沢山あるし、穴場も知ってる。4月にはいろんな花が咲き競う花見山もあるのに・・・
今年からしばらく花見山は樹木保護のため、下からだけ見ることになるらしい。
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奥羽山脈がなかったら、米沢も福島と同じ汚染を受けていただろうが、幸いにも1000mを越える山脈が放射能のブルームを堰き止めてくれたらしい。奥羽山脈は毎年の台風もブロックしてくれる天然の防風堤なのだ。だから、原発から僅か100Kmながら、米沢は殆ど汚染を受けずに済み、福島からの避難者が日本で一番集まる市となった。
昨年、5月3日の米沢のサッカーグランドに、福島各地からのバスが集まって福島の子供たちの試合を行っていたのが象徴的に思い出される。
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良く分からないのが、「がれきの処理」
大量のがれきを日本各地で処分して欲しいと言ってるらしい。
それほど東北には処理する土地がないのだろうか?
そのあたりをデータで理詰めで必要だと説明した議論はされたのだろうか?
情緒的に協力してくれと言ってるにすぎないような気がする。
テレビや新聞をじっくり見ないので、もしかすると説明は尽くされてるのかもしれないが、私のアンテナには必要性が届いてこない。
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膨大な人手と運搬費用をかけて日本各地に運ぶ事業費があれば、東北で処理すればいいのではないかと思う。何でもがれき全体のわずか1割程度を国内各地で処分ということらしい(この辺り、ネットで見かけた情報で真偽は知らないが)
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一方で、放射能が殆どないがれきを、放射能をまき散らすように決めつける反対者がいて、問題を複雑にもつれさせる。
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そこで、毅然たる説明を関係者がやろうとしても、放射能関係のオーソリティ(と言われる)方々の一部が、反対・賛成に分かれて紛らわしいし、政府や行政が事実隠しをし続けた結果、善良な良識ある人々も政府などの説明をまともに受け入れる素地が薄れているように思える。
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放射能の単位と数字
また、事故後には放射能は(マイクロやらミリ)シーベルトという単位系で放射能の空間線量で影響性を把握して行動していたのを、緊急性が落ち着いてきてから、より高感度で放射能そのものを測定するベクレルという単位系になって、単位系の違いで数字が拡大された形になり、ただ数字だけを見て騒ぐ人を刺激する形になってしまった。
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核種によって変換値が異なるので、一声で説明しづらいようですが、
東京大学准教授・中川恵一先生によれば、
Cs-134(セシウム134)の「変換係数」は、大人で0.019μSv/Bqとのこと
これを言いかえると、1μSvが許容なら50Bqまで許容に相当するはずですが、単位の意味があいまいな人にとっては1μSvが良くても50Bqは許せんという感覚があるんじゃないかと思うわけです。
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そこで、もっと政府や原子力関係者やマスコミが啓蒙努力をすればよいのにと思うのだが、それら3者は、事故後の対応の不審からあまり信用されず、結局不安側に声高く発言する人の意見を信じる傾向がある。
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まあ、それが知識がない場合に、より安全側を求めるという人間の本能でしょう。そういう人を責めるわけにはいきません。根気強く説得する、啓蒙する努力が必要と思うのですが、啓蒙活動はやっているのでしょうか?
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さて、今日の大震災追悼式で、入院手術を終えたばかりの天皇陛下が哀悼のお言葉を捧げられた内容が報道されてました。下の文がそのまま読まれたものと思いますが、まさにこの通り思い続けて行き、できることを考えて行くことが大事なのだと思いました。
東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。
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1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。
この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。
また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。
被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。