此の日に悪戦苦闘の末、ピョンピョン二世号を砂地から脱出させると勝手なもので天城町での運用の事を考え始めた。ナビで確認すると北側の徳之島町に入った直ぐの所の様子、取合えず天城町に引き帰す事とした。5分位走ると天城町の標識を確認、更に走り「むしろ瀬」の看板に従い国道から脇道に入って行くとトイレ付きの駐車場に着た。南側は小高い山だが北方向は直ぐ海、交信対象は大半が北東方面だし何よりアクシデントで時間が過ぎてしまった事もあり、運用を其の場所に決定アンテナを張った。
5月17日 17:34分 最初のCQにJF5FWZ近藤さんから応答が有り18時位まではゆっくり出来たが、その後は猛烈なパイル、ログを見てもコンテスト並のQSOをしている。
実は今回の沖縄、離島、九州、中国方面の移動には大きな目標が有った。
(1)目標総交信数 25000 最低でも20000交信をクリヤーする事
(2)1箇所での総交信数 秋田県山本郡藤里町での交信数の845を超える事
(3)1日での総交信数 高知県幡多郡三原村の交信数での546を超える事
上記の目標達成は計画段階から沖縄から鹿児島間の離島で決まり特に(2)と(3)に関しては私は徳之島の徳之島町で達成出来ると確信していたし其の為に移動計画を立てたが移動中に意外にも「天城町の予定はいつですか?」との問合わせが多かったので、もしかしたらの感は有った。
私は昨年6/5~6/6日に(土、日曜日)秋田県山本郡藤里町に移動運用二日間の運用で総交信数845が1箇所での最高記録だったが今年、鹿児島県大島郡天城町で1097交信(平日火、水曜日の1日半)と記録を更新した。初日の夜、5時間で437局 翌日、ハイバンドを中心に運用 660交信を達成した。国内コンディションにも恵まれたが何よりも余りQRVの無い事がこの実績に繋がったと思う。与論、沖永良部、徳之島、奄美大島で1市10町村有るが奄美大島の龍郷町を除いた10箇所の運用は全て700交信を上回る実績と成ったが龍郷町は台風2号に追われ鹿児島に渡るフェリー便の都合で夕方から夜にかけての運用が出来ず昼間の21MHzと状態の悪い7MHzを使用した220局に終わった。
今思うと与論で台風1号に遭遇、島に2日足止め、沖永良部では自衛隊のレーダーと思われるノイズに悩まされ、徳之島では砂に潜り、奄美大島の宇検村では凄い雨に遭遇、土砂崩れ場所で運用どの島でも風呂に入る事が出来ず海水浴場の冷水シャワーやフェリーの有料シャワーを利用する大変な中での運用だったが、今までの移動運用の中では最高の醍醐味を味わい此れこそ私が常々思い抱いている無線移動運用と成った。
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