黄昏叔父さんの独り言

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洞爺湖畔の「浮見堂」

2019年08月24日 09時38分37秒 | 旅行

       


 洞爺湖サイロ展望台を出発し少し北上した後に洞爺湖町の役場の在る方へ下って行った。此の地区には四国の香川県の財田町の人達が開拓者として入植して其の中の大久保翁は私財を投じて洞爺湖町の開拓に尽力し「洞爺湖町(旧、洞爺湖村)の開拓の父」と尊敬され北海道内で四国とは御縁の在る場所と成って居る。私は此の事を全く知らなかったが2009年の初めての北海道旅行で洞爺湖芸術館を訪れた際に直ぐ前の公園で其の大久保翁の胸像の下に刻まれている碑文を読む中で財田(さいた)と言う此の珍しい名前を見付けて「もしかして?」と読み続けて其の事実を知った。


 洞爺湖は支笏湖と連帯した国立公園で有名だが先日の支笏湖のブログで書いた様に支笏湖は湖畔沿いの道路から其の湖面を見られる場所は少ないが此の洞爺湖には湖畔近くを周回する道路が通って居り、其の各所から洞爺湖の景観を楽しむ事が出来る。其の中でも矢張り有名な場所は写真の「浮見堂」であろう。浮見堂は洞爺湖に向かって突き出た小さい岬の先端に建って居り、其の赤い屋根の色から直ぐに目に付く建物で何時もなら見物する観光客の姿が在るのだが今回は時間帯が夕暮れ時期に成って居たので観光客は居らず私達の独占状態であった。



 此のお堂には大正時代の初めに北国行脚の僧から木造の聖徳太子像が贈られ其れを納めるお堂が昭和12年に建てられたらしい。私が初めて此処に立ち寄ったのは2009年で今回立ち寄ったのは10年振り(湖に面する前の道路は何回も通った)で以前に見た感じと少し違う様な感じがしたのだが?如何やら平成15年に落雷に合い焼損して現在のお堂は再建された物らしい。其れ以外に湖畔には至る所に最後の写真の様な芸術作品が展示されて居て観光客の目を楽しませて居るらしいが私には其の芸術性を理解するのは難しい。


 此の日は洞爺湖町の役場付近から有珠国道への合流点までの洞爺湖の西側湖畔を半周して苫小牧市方面に向かったが洞爺湖湖畔を離れる段階では日はどっぷりと暮れていた。






       


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