6月15日の15時頃、運用を終わりポートマリン・ホテルでゆっくり日帰り浴を楽しんで居る間に別府港(西ノ島)に出る最終フェリー便に5分差で乗遅れ、港に着いた時はフェリーが岸壁を離れる処だった。観光センターで西ノ島に渡る便を確認したが本日は「残念ながら他の便は無い」との事、仕方が無いので夕食の確保を兼ねて近くを散策した。港から100m位 歩くと集落が有り郵便局や商店が並ぶ町筋が有ったが大きい町では無かった。食堂に入ろうとしたが準備中の札が掛っており仕方なく小さい商店に入ったが弁当物は無く、品揃えも少なく菓子類が大半だった。店の隅にオムレツが有ったので「どうかな?」と思いながら他に御飯物が無かったので買って店を出て直ぐ近くの公園で此れを食べたが何十年か振りのオムレツは結構美味しかった。私達の子供の幼い時に何回か家内が作り相伴にあずかったが久し振りの何か懐かしい味わいだった。それにしても60歳を超えた爺さんが買う食べ物では無いなと苦笑した。
公園内を歩くと掲示板が有り小泉八雲と此の町の関わりが紹介されており、八雲は夏に成ると海士町を訪れ泳ぎを楽しんで居たらしい。地元の漁師は波間に揺れるタバコの小さな明かりを見つけると八雲が水泳を楽しんでいるなと思う位だったらしい。当時は明治の世、多分鄙びた村だったと思うのだが 当時の交通手段で此処まで来る大変さを考えると随分と此の島が気に入ってた様子を伺う事が出来る。しかし どの様な水着で泳いでいたのかな?と考えたりしたら結構楽しかった。
この時点では隠岐の素晴らしさは無線に夢中で良く解らなかったが 其の後の知夫島からの隠岐の内海と島の景観を見た時、八雲の気持が解る様な気がした。この様な環境の中で山陰の少し「おどろおどろしい」民話をヨーロッパに紹介する記事を書いていたに違いない。奇しくも現代は「ゲゲゲの鬼太郎」の「水木しげる」さんも隠岐に渡る出発点、境港の出身と聞く、何か島根に有る現代に続く縁(えにし)を感じた。