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黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 道中立ち寄った只一つの道の駅 「風早の郷、風和里」

2019年03月21日 | その他

        


 本来の今治市から松山市方面の移動は今治湯ノ浦ICから高速道路に入り松山道で松山市内の札所を巡る予定が第53番札所「円明寺」を読み違えてカーナビにインプットした為に車は「しまなみ街道」に進むハプニングが発生し慌てて今治市に引き返す事に成った。然し此の段階で車は既に可也西側に移動して居たので此の段階でカーナビに目的先をインプットするとナビは海岸線沿いの地道を進むコースを選択した。


 我が旅グループの女性達は道の駅に立ち寄るのが大好きで、其の理由は殆どの道の駅に併設されて居る地元の物産販売店に入り色んな商品を見て回る事が楽しいらしい。今回の一泊二日の旅の移動は殆ど高速道路を利用して居たので此れまで其の楽しみが無かった。然しルート設定をミスした事に寄り本来は高速道路を通る予定であった松山市への移動経路が変わった為に、予定をして居なかった「道の駅 風早の郷 風和里」の横を通過するので答えは聞かなくても解かって居たが「道の駅の横を通るので如何しようか?」と聞いたらすかさず「寄って寄って!」の返事で雰囲気がガラリと変わった。到着すると直ぐに販売所に入って40分程は帰らず姿が見えたら手には此方が本場の伊予カンをはじめ沢山の買い物をブラ下げて居た。


 今回の旅で立ち寄った道の駅は此処だけに成って仕舞った。今回の遍路は逆めぐりで此の後、先に紹介した。円明寺~太山寺~石手寺~繁多寺と進み最終地の道後の町を出発したのが17:00で徳島の義姉の家には19時少し前に帰り着いた。四国の西側の松山市から東端の徳島市まで2時間で移動できる高速道路は本当に素晴らしい。


 次にお遍路に出掛ける時は途中の遣り残した高知市内の35番札所から足摺岬の突端にある38番札所「金剛福寺」を巡り今度は四国の西側を北上しながら伊予の宇和島方面へ向かい伊予の第49番札所の「浄土寺」までの15箇所を回る予定、此れは距離は長いし高速道路が無いエリアの為に中々大変なコース、出来れば一泊二日の行程で廻るべく計画中、出来るだけ早い内に出掛けたいが如何なる事か?


 
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四国八十八箇所霊場 第53番札所「円明寺」

2019年03月21日 | 四国88箇所霊場

        



        



      円明寺の歴史・縁起


 円明寺にはアメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されて居る。大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をして居る途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見付けた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、たて24cm、幅が9.7cm、厚さ薬1mmで破損の無い納札としては、現在最古で例のない銅版製である。奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立した事などで知られるが、此の納札で特に注目されるのは初めて「遍路」の文字が記入されて居ることでもある。



 縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724~49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩像を彫造して安置、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされて居る。当時は和気浜の西山と云う海岸にあり「海岸山・円明密寺」(円の字はくにがまえの古い漢字を使用、漢字変換出来なかった)と称したという。のちに弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615~24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号も其の時に現在の様に改められている。此の寺には聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯篭がありキリシタン禁制の時代、此の地方には信者が多く居て寺では隠れ信者の礼拝を黙認して居た事を伺わせている。 (下段3番目の写真)また本堂の右上の鴨居には左甚五郎作の龍の彫り物があり行いが悪い人が此の龍を見ると目が光ると云われて居る。


 此の日のお遍路は実は今治市の第56番札所の「泰山寺」ら始まり当初は予定に無かった松山市内の札所を逆に回る事に成りカーナビの検索に使う電話番号を事前に調べてメモして居なかった。(予定は今治市から伊予、西条市の札所を順に回る予定であった)私は円明寺を(えんめいじ)と読んでカーナビに名称検索で入れて高速道路優先でガイド案内を開始してスタートし暫くして高速道路に入ったら、やがて高い橋脚が見えて来たので「あれ?しまなみ街道(本四橋)に入って仕舞った!」とビックラコン状態に・・・・・・・


 こうなると如何する事も出来ずに最初の馬島で高速道路を降りて直ぐに今治方面に引き返す事に成ったが往復で高速料金の1960円がパァ~と成って仕舞った。今治で高速を降り、カーナビの電話番号検索を利用して円明寺に向かう為に番号案内の104に電話を入れ愛媛県の53番札所の円明寺(えんめいじ)の電話番号を教えて貰おうとしたらオペレーター(全国対応の為か?)が「松山市の詳しい住所は?」と聞いて来たので「其れが解かってたら番号案内などに電話入れへんわ!」と心で思いながらも大人しく「四国霊場第53番札所で解からないですか?」と聞き返したら「円明寺(えんめいじ)では在りませんが、えんみょうじ、なら御座います。」と返って来て重なる失敗に「アリャリャ~の巻」と成った。


 電話番号が解かれば此方のもの、直ぐにカーナビに電話番号を打ち込んで出発、今度は高速道路利用で無い下道のコース案内が始まり、少しは無駄な料金の取り返しと此のルートに「道の駅 ふわり」があった為に、何せ道の駅が大好きな女性陣は大喜び!早速に物産売り場に直行し色んな買い物と昼食が出来た事で私の失敗は幾分帳消しには成ったが肝心要の札所の読み方を間違える等、お遍路をする身としては在っては成らない大失敗を遣らかして仕舞った。


 

 
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