黄昏叔父さんの独り言

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口之島(十島村)の歴史と フリイ岳

2013年06月20日 12時14分50秒 | 日記
      


    


 口之島は(鹿児島県鹿児島郡十島村)鹿児島市の南方204Kmの洋上にある離島でトカラ列島の一番北側の島である。元々は戦前まで先日に移動運用した現在の三島村の竹島、硫黄島、黒島の3島と現在の十島村の口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、子宝島、宝島の有人7島と無人島の五島を合わせて鹿児島県大島郡十島村と成っていた。其の後、太平洋戦争に敗れ1946年2月2日から北緯30度ライン(口之島の北部に北緯30度ラインは通っている)より南側がアメリカの占領下に置かれ現在の十島村である各島は1952年の2月10日に日本に復帰するまでアメリカ領と成った歴史がある。


その間、日本に残った上3島の竹島、硫黄島、黒島は鹿児島市内に仮の十島村役場を置いて運営した。下の7島が復帰した時、元々別の市郡を(三島村と十島村の間に屋久島、種子島が存在する)跨いでの行政運用は無理が有った為、上3島は大島郡三島村に下7島は大島郡十島村としてスタートする事と成った。そして1973年4月1日より鹿児島郡三島村と鹿児島郡十島村に成り現在に至っている。


 私は移動計画をする段階で三島村の命名は「読んで字の如く」其の侭で理解出来たが有人島が7島で何故、十島村なのか?少し疑問を感じたのでインターネットで調べて其の事が理解出来た。其の為、島に上陸すると島の北端で高さも有りロケーションの良さそうな北緯30度ライン近くのフリイ岳に興味が有り、真っ先に其の場所へと向った。港から勾配の有る道を登ると道が二股に成っていて左に曲がるとフリイ岳、直進すると集落へと向う道と成る。左に曲がるとフリイ岳の東側の洋上を眼下に見ながら進むと行き止まりの駐車場に着いた。この場所は綺麗なトイレも有り3.5MHzのフルサイズのアンテナを張るスペースも有り海抜も有って良かったのだが残念な事に5m程離れて平行に電線が走っている。この状態は過去の経験から必ず此の影響を受け上手くいかない事は解って居たので運用地としては向かなかったが数少ない公衆トイレが有る事で多分御世話に成る事が有るだろうと思いナビに登録した。


 2番目の写真に有る展望台へと進んだがこの日は青空の広がる良い天気、地理的に可也南に下がっている為に写真上段4枚目の遊歩道を登ると暑くて汗が噴き出た。階段や手摺は費用を掛けた良い作りでは有ったが観光客が少ないのか?人が通った様子も無く、定期的な点検が無いのか?途中の遊歩道は木々の枝や葉っぱが通路に覆い被さる状態に成って居たのは少し残念な気がした。


 展望台までは可也時間が掛かったが遊歩道を登り詰めると流石に戦時中は帝国海軍の見張り台として敵船監視に使用されて居ただけに見晴らしは最高で7MHzの逆Vだと張れるスペースも有り、無線運用には抜群のロケーションだが機材を持込むには大変な場所、QRPでの運用であれば最高の場所に思えた。3番目の写真は展望台の櫓の上、屋根が有った事と心地良い風が有ったので床に寝そべり1時間ほど休憩した。3~4番目は遊歩道の途中や展望台から島の南側を取った写真、最高峰の前岳628mHや横岳501mHが写っている。


 私の口之島での運用場所は二つの高い山の稜線の右端の平らに見える山の上230mHで運用した。最後の写真は運用場所から逆にフリイ岳方面を撮ったもの中央先端の山がフリイ岳、其の左側の稜線と海が交わる辺りが北緯30度ラインと成る。この島は火山島、硫黄島と違い島全体がグリーンに覆われていたが起伏の有る変化に富んだ島であった。