
2025/04/16 桑名市桑名駅北東方面の寺などを散策
✿ 散策コース
桑名駅⇒北桑名神社⇒専正寺⇒海蔵寺⇒長寿院⇒通り井⇒三崎見付跡⇒淳光院・永南院・浄土寺⇒地蔵寺⇒旧諸戸家(外観)⇒六華苑⇒住吉神社⇒七里の渡跡⇒幡龍櫓⇒通り井跡井⇒本多忠勝像⇒九華公園(天守台跡)⇒南大手橋⇒春日神社⇒常信寺⇒香林寺⇒䑳宗寺⇒本統寺⇒佛乗寺⇒桑名駅
桑名駅
✿北桑名神社
祭神は天照大御神、建速須佐之男命,鵜葺草葺不合命,泣沢女神,天児屋根命,持統天皇,応神天皇,宇迦之御魂神,火産霊神,高水上命。
創始は不詳であるが、皇大神宮が野代より鈴鹿忍山へ移御の時由緒を以て北伊勢大神宮と称したという。慶長年中(1596~1615)伊勢踊りが諸国に流行した時、神意があって時の城主本多侯が神殿神舎を寄進し、慶長九年(1604)8月16日夜半に遷宮が行われたと伝えられる。
歴代桑名藩主の崇敬も厚く本殿、社殿の寄進も度々であった。明治四一年(1908)延喜式内社佐乃富神社、三崎中臣神社、持統天皇社、船魂神社を合祀し、北桑名総社北桑名神社と改称した。
石柱と参道 説明版
拝殿
神殿
金毘羅宮
帖付地蔵尊
✿専正寺(せんしょうじ) 浄土真宗本願寺派。
寛永四年(1627)寺号免許あり、称念寺と称す。戦災にて焼失。昭和二十二年(1947)萱町にあった専久寺と合併し、専正寺となる。
昭和二十三年(1948)に現本堂を鈴鹿市柳の寺から移築。
境内に「蛤墳」あり、文政六年(1823)建立、大正十二年(1923)改築。
墓地に鳥居強右衛門一族の墓が七基ある。
このあたり一帯は江戸初期には漁村で、蛤の貝殻で厚く地面は覆われていました。
文政年間、この地の住人谷氏がこれら無尽蔵の貝殻を見て、蛤に対する感謝と供養のため蛤墳は建てられたと伝えられています。
石柱と山門 案内版
本堂
蛤墳
刻印(あまおふねのりのみ声にはまぐりの 貝の耳にもとめてしのばむ)
✿長壽院(ちょうじゅいん)臨済宗
松平定行(桑名藩主)が再興し、正室の菩提寺としたお寺である。
後に正室の法号から長寿院としている。
境内には、宝暦治水工事の薩摩義士3人の墓もある。
石柱
本堂
長壽院の墓所(梅鉢紋)
説明版
✿海蔵寺(かいぞうじ)法性山 曹洞宗
天正二年(1574)頃に創建。
ご本尊は「十一面観世音菩薩」です。
本山は道元禅師が開創された永平寺(福井)と瑩山禅師が開創された總持寺(横浜)である。
津市の四天王寺十七世晫州有暾大和尚を請うて当山の開山と伝える。
元禄年間(1688から1704)に地蔵堂、弘化二年(1845)に観音堂と安政元年(1854)に釈迦堂が建立された。
昭和三年(1928)には薩摩義士を祀った忠魂堂も建立されました。
昭和二十年(1947)の桑名空襲によって、お堂や庫裡は全焼した。
本堂
薩摩義士之碑 墓所
✿通り井
桑名の旧城下は揖斐川や町屋川の土砂の堆積したデルタ地帯で水質が悪く、「水売り」という職業があったほどです。それで4代目藩主松平定行は寛永三年(1626)に「町屋御用水」を作りました。
町屋川から吉津屋まで小川を掘り、吉津屋見附から暗渠で道路の下を通し、ところどころに井戸を作って汲み上げるようにした。
案内板
✿三崎見付跡
三崎見付跡 案内板
✿淳光院(じゅんこういん)西山浄土宗
入口と本堂 お地蔵尊
✿浄土寺(じょうどじ)西山浄土宗
慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となり、藩主本多忠勝が没した時に、当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。
墓所には本多忠勝公の墓があります。
また、当寺にまつわる桑名の伝説・昔話 [ 幽霊飴 ] が伝えられる。
石柱 案内板
本堂
本多忠勝公の墓所
✿地蔵寺
御本尊は延命地蔵尊です。
本堂
馬頭観世音石碑と案内板 三宝荒神尊
✿通り道で奥様との憩いのひと時
桜(サクヤヒメ)
✿蔵前祭車庫(有形文化財)
蔵前祭車庫 案内板
✿旧諸戸家(外観)
室町時代に「江の奥殿」と呼ばれた矢部氏の屋敷がありました。
旧諸戸家
旧諸戸家
✿六華苑
二代目諸戸清六の邸宅として大正二年(1913)に完成し、本苑には鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア、コンドル設計による4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館、和館や蔵、池泉回遊式庭園などがあります。和洋の様式が調和した明治、大正期を代表する貴重な文化遺産であり、国の重要文化財に指定されています。
長屋門(入場口) 案内図
洋館
洋館と塔屋
洋館の玄関 塔屋1階
和館から見る庭園 後方に池が有る
和館の廊下
和館から眺める庭を挟んだ番蔵棟
二番蔵
離れ屋
✿住吉神社
桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する商業都市として発達してきました。
住吉浦は廻船の舟溜りで、全国から多数の廻船業者が集まっていた。この人たちによって航海の安全を祈り、住吉神社(現大阪市)から勧請してこの住吉神社が建立された。
石柱と参道 拝殿
案内板
✿七里の渡跡
熱田(宮宿)、宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」です。
旧東海道の四十二番目の宿場町として大賑わいを見せていました。
大鳥居は「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
伊勢国一の鳥居 案内板
蟠龍櫓と上陸階段
✿蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)
かつては東海道を行き交う人々が必ず目にした桑名のシンボルを忠実に復元た。
歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。
「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとしても広く用いられています。
また、蟠龍櫓は航海の守護神としてここに据えられたものと伝える。
幡龍櫓
✿通り井跡
案内版
通り井跡 通り井跡(井)の拡大
✿本多忠勝像
桑名城の三の丸跡に本多忠勝の銅像が建てられています。
忠勝は徳川四天王の一人に数えられ、慶長六年(1601)桑名城主となり、「慶長の町割り」といわれる町の大改造を行いました。
本多忠勝像
✿九華公園(天守台跡)
桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた公園で、かつて「扇城」と呼ばれ、海道の名城とたたえられた城の面影を残し、多くのさくらやつつじが植えられ、市民の憩いの場として親しまれています。
園内には松平定綱(鎮国公)と松平定信(楽翁公・守国公)を祭る鎮国守国神社がある。
天守台跡 戊辰殉難招魂碑(剱型の青銅製)
✿鎮国守国神社
天明四4年(1784)白河(福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。文政六年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移りました。のち松平定信(守国公=楽翁)をも祀り、明治維新後しばらくは本丸の外に移っていましたが、明治四十年(1907)本丸跡の現在地に移りました。大正八年(1919)に現拝殿が完成した。
石柱
鳥居 拝殿
✿辰巳櫓跡
辰巳櫓跡 辰巳櫓跡より望む
✿南大手橋
南大手橋(三条大橋)
✿桑名宗社(春日神社)くわなそうしゃ
永仁四年(1296)奈良春日神社から春日四柱神を勧請合祀したことをきっかけに、以降は春日神社と呼ばれていた。全国的にも珍しい神社とされています。
主神(桑名神社)
御祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)と天久々斯比乃命(あめのくぐしびのみこと)
主神(中臣神社)
御祭神は天日別命(あめのひわけのみこと)で、古くから桑名の総鎮守として崇敬されています。
伊勢国最初の神社で、伊勢神宮との関わり深い神社です。
また社宝として「村正」の太刀や徳川家康坐像、松尾芭蕉の短冊などが有ると云う。
鳥居 山門
神殿前の鳥居
拝殿 桑名神社(右)中臣神社(左)
✿西福寺(さいふくじ)真宗大谷派
本堂
✿常信寺(じょうしんじ) 真宗高田派
陶板塀のレリーフが有る。
石柱 山門
本堂
陶板飾り
✿香林寺(こうりんじ) 真宗高田派
本堂
✿䑳宗寺(りんそうじ) 真宗高田派
䑳崇寺の住職を務めるかたわら、幕末から明治にかけて復古大和絵派の絵師として活躍した画僧で帆山花乃舎(ほやま はなのや)文政六年から明治二十七年(1823から1894)です。
桑名市博物館では䑳崇寺の住職を務めながら復古大和絵派の絵師として活躍した桑名出身の画僧、帆山花乃舎の特別企画展を2022年1月から2月まで開催していた。
入口 本堂
✿桑名別院本統寺(ほんとうじ) 真宗大谷派
元亀・天正の間、石山本願寺と織田信長は後に本願寺十年戦争といわれる騒乱の中で幾度となくぶつかり合っていた。
そして、争乱終結後の慶長元年(1596)第12代教如上人によって、宗祖親鸞聖人の教えを共に聴聞していく、この「今寺」を本願寺の禄所(ろくしょ)として取り立てられたのが桑名別院の草創です。
本統寺は徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、桑名御坊とも称され、俗に「ご坊さん」の名前で市民には親しまれています。
境内には俳聖松尾芭蕉が貞享元年(1684)野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎすはせを」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられています。
山門
桑名別院表示 案内板
本堂
石碑前
石碑 説明版
親鸞聖人像
✿佛乗寺(ぶつじょうじ) 真宗大谷派
本堂
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