▲全訳世界の歴史教科書シリーズ25 アメリカ2 帝国書院 1982年
アメリカの歴史教科書 ハイスクール編 原爆投下はどう記述されているのか1-1
アメリカの歴史教科書 ハイスクール編 原爆投下はどう記述されているのか 1-1
G7の会議に合わせ、アメリカのオバマ大統領が来日するが、広 島を訪問するという。5月22日の朝日新聞朝刊には、バマ大統領の広島訪問について、インタビュー記事を掲載している。朝日コムのインターネット版にも収 録されているので、ピーター・カズニック(アメリカン大教授)とオリバー・ストーン氏(映画監督)のコメントの紹介記事を読んだ人も多いはず。彼ら二人 は、『もうひとつのアメリカ史』刊行時頃に来日している。、東京・広島・長崎・沖縄などを積極的に訪れ、講演・シンポジウムに参加し日本各地の平和活動家との 交流も深めた。ドキュメンタリー映画でもアメリカで支配的な歴史観を批判していた。講演でも言っていたのだが、アメリカの世界に対する特別な使命という思考は、子供時代の教科書にも書かれていて、何度も繰り返すうちに、いつの間にか知らない間にアメリカ人の心の中に優越史観が身に付いてしまうということを反省を込めて語っていた。このブログでは以前に「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書」について紹介したことがあったのだが、それの続編ということで、何回かに分けて、アメリカで使用されていたハイスクール用のアメリカ歴史教科書を紹介してみたい。日本についての記述や、私が関心のある、メキシコ戦争、アメリ カ・スペイン戦争、キューバ侵攻、ケネディ大統領暗殺事件、ベトナム戦争などにも触れてみたい。
1回目は、歴史の記述順序を考慮せずに、オバマ大統領の広島訪問に合わせ、まずアメリカの歴史教科書 ハイスクール編
原爆投下はどう記述されているのか、について
アメリカの高校の教科書は、日本の教科書にくらべ、豪華というか、大きいというか、カラー図版を多用しているので重たい。今回紹介するのは全訳世界の歴史教科書シリーズ25 アメリカ2 帝国書院 1982年 のものだが、ひとつの教科書を2分冊に分けている。1冊目は、索引込みで428頁、2冊目は索引込みで338頁あるので、合計766頁、アメリカの原書の体裁は分からないが、日本版のようにアート紙で、かつ1冊本だとしたら、学校備え付けか、ロッカーにでも置いておかないと持ち運びには不便をきたす。歴史資料であるとか、課題など随所にあり、調べ学習向けに作られているが、こんなものが試験に出たらかなわないというか、アメリカの高校生が、歴史嫌いになるという理由が分かりそうな気もするなぁ。
さて寄り道はこのくらいにして、アメリカと日本の戦争はどう記述されているのだろう。
日本との戦争は、
合衆国を戦いにひきこんだ卑劣な一撃
という項目見出しの下にある。
日本との戦争については、いつもおなじみのハワイの真珠湾攻撃から戦争の記述が始まる。
「1941年12月7日 その日、日曜日、ハワイの真珠湾{パールハーバー}にある合衆国海軍基地は穏やかな朝を迎えた。しかし午前7時55分一群の日本の爆撃機が上空にあらわれ、計画的な攻撃を開始した。攻撃は2時間足らずで終わったが、5隻の合衆国戦艦が沈没しほかに3隻が大きな損傷を受け、その他小型の船舶が打撃を受けた。」
▼日本語翻訳版のアメリカ史2 の中の頁構成
この頁の下の写真のキャプションはこう記述している。
「日本軍による真珠湾襲撃の際、爆発炎上する合衆国海軍の駆逐艦」
▲『世界の歴史教科書シリーズ25 アメリカⅡ その人々の歴史』 1982 帝国書院 255頁
戦時体制
12月8日、ルーズベルト大統領は議会に対し「日米間の戦争を宣言するように要請した、
「われわれは国をあげて、われわれが受けた攻撃の性格をつねに記憶にとどめているであろう。それがいかに長い期間を要そうとも・・・・・・・合衆国国民はその正義の力において完全な勝利につながるまで勝ち抜いていくであろう」とルーズベルトは述べた。数日後、ドイツおよびイタリアは日本の同盟国として、合衆国に対し宣戦を布告した。」
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最終計画
「6月連合軍の指揮官たちは、日本を敗北させるための最後の案を練った。彼らは日本に対し、すぐに降伏しなければ、「徹底的な即刻破壊」に直面することになろうと警告した。日本は公的にこの警告を無視した。
「そこで大統領は日本に対し、新兵器の使用を決定した。合衆国の科学者グループは数年にわたり、ひそかに原子爆弾の開発に取り組んでいた。それはかつて発明されたこともない最も強力な兵器であった。」
「爆弾は1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴルドで実験された。」
「8月6日、一機のB-29「スーパーフォートレス」爆撃機が、日本の都市、広島に爆弾を投下した。爆発は2万トンTNT
の威力をもち、市内の建造物の80%を全壊した。残された建物もまた大きな損傷を受けていた。しかし最悪のことは、7-8万の住民が殺害されたことであった。それ以上に多くの人々が、火傷を負い、傷ついた、。そして何千もの人々が原爆症という新たな病気の犠牲となった。それは人体の細胞や細胞組織に損傷を与えた。この後遺症は長年に及んだ。
V.J.=デー
3日後、第二弾目の原爆が長崎市に投下された。そこで日本政府は降伏を決定した。太平洋における戦争終結の文書は、1945年9月2日、東京湾上にあった戦艦ミズーリー号上で調印さらた。第二次世界大戦はここに終わったのである。」
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上記のように 合衆国を戦いにひきこんだ卑劣な一撃 という項目のもとに日本との戦争をはじめ、そして原爆投下について記述された後、この項目単元の終わりに、以下のような問いが書かれている。
ハイスクールの生徒たちに、課題として以下のようなまとめ(調べ学習?)を求めている。
「1. 戦争中、日系アメリカ人はどのような扱いを受けたか、なぜ受けたのか。」
「2. 戦争は合衆国国内の女性および少数民族労働者にどのような影響を与えたか・」
「3. なぜ、初期戦闘は北アフリカで戦われたか。」
「4. D=デーとは何か、またそれが多大な計画を必要としたのか説明せよ。」
「5. 合衆国にとり、なぜミッドウェー戦役は重要であったのか。」
「6. 「島を飛び回る」ということの意味合いを説明せよ。
「7. 原爆はどのように太平洋戦争にすみやかな終結をもたらしたか。」
これはアメリカの高校生に向けた教科書にある問いなのだが、問いの、7が、「原爆はどのように太平洋戦争にすみやかな終結をもたらしたか。」という、ある意味では、予断を含むというか、正解は、こちら側にあるというか、教科書は時の政府が持っている「正統なる歴史」という神話に深く基づくものなのだと確かに思わせるのである。
アメリカの高校生は、自分で調べ、学習して、どんな史料を探しだし、この教科書の問いに答えていたのだろうか?
対する、高校の先生たちは、どんな解答を模範的な解答と評価していたのであろうか?
このアメリカの教科書は、1980年初頭まで、世界史の記述があり、1970年代末までの、比較的革新的なアメリカ史の反省にたったものであると、この本の訳者の一人である有賀貞は前書きで述べている。それはほんとうだろうか?
オバマ大統領の来日に合わせ、彼の広島訪問について、2016年の5月22日、朝日新聞・朝日コムの朝刊に、アメリカン大学のピーター・カズニック教授と映画監督のオリバー・ストーンの談話の要約が記載されている。
ピーター・カズニック
「米国では「原爆が戦争を終わらせた。たくさんの命を救った」という「神話」を多くの人が信じている。米国がすることは常に良いことで、正当化されるという「例外主義」と関係する。だが、私は原爆投下の必要性に少しでも納得できる論理を見たことがない。
若い世代は変わってきているが、古い世代は依然投下を支持する傾向だ。以前、70歳以上の人を対象にした講義を行った。最初に「原爆投下の判断は正しかったと思うか」との質問に27人中26人が手を挙げた。しかし、米国外で議論をすれば外国人の方が、原爆投下に対する批判的な見方に触れていることが分かる。」
2016年5月22日05時00分 朝日コム より転載
オリバー・ストーン氏(映画監督)
「私はカズニック教授と、原爆投下を正当化する米国内の「神話」と闘っている。神話は1945年の早い段階から米国民に種がまかれ、育ってきた。
「もうひとつのアメリカ史」を通じ、我々は米国人の自覚を呼び起こそうとしている。目にした多くの人が納得したと願っている。過去の歴史を知らなければ、今現在やっていることが見えなくなる。自覚を持って生きていくための真実の探求だ。」 2016年5月22日 朝日コム より転載
なお、原爆を落とした時の大統領、民主党のトルーマンは、『トルーマン回顧録』に原爆投下のことについて触れている。
私もこの点長い間気になっていて、ようやく古書店で、『トルーマン回顧録』を見つけて読んでみたことがあった。
以前、このブログで触れたことなのだが。
戦後の米国大統領の就任演説や、遺された回顧録は、本人自身の記述かどうかはわからないが、「理想化された、神話的歴史」を遺した、という意味では事実であり、真実なのである。
『トルーマン回顧録』の中の原爆投下についてはここ ▼ を参照されたい。
『トルーマン回顧録』 1・2 恒文社 1966年 その1の1
1956年の『トルーマン回顧録』 では、原爆投下のことに関わる章で、原爆が救った米国軍人戦死者数は何人としているだろうか。
「6月18日 グルー(国務長官代理)・・・・沖縄作戦の終末と同時にその宣言を発表するのがよいというのに対し、軍首脳は、本土進攻軍が、実際に進攻し、敵の抵抗にぶつかった直後がよいと主張した。」
「そこで、対日宣言の発表(日本に降伏を勧める進言のこと)は、来るべきポツダム会 談の折りやるべきであると決心した。・・・・・・そのときまでにまたつぎの二つのことがはっきりしてくるだろうと思われた。第一はソ連の参戦、第二は原爆 の効果であった。われわれは原爆の方は七月半ばに、第一回テストができることを知っていた。もしこのテストが成功するならば、この新しく獲得した武器の力 を使用する前に、戦闘をやめる機会を日本に与えたかった。テストが失敗に期した場合は、直接日本を征服するよりも、その前に降伏させるようにするのが、 もっと必要であると考えた。マーシャル将軍は敵本土に上陸して屈服させれば、五十万の生命を犠牲にすると語った。」
「しかし、テスト(原爆実験)は成功した」
『トルーマン回顧録』( 296頁~297頁)
また、アメリカの小学生が読むアメリカ史の記述は ここ ▼ 合わせて読んで戴きたい。
アメリカの小学生が読むアメリカ史 そして日本のアメリカ史研究入門のいくつか その4
ピーター・カズニックとオリバー・ストーンの書いた、『もうひとつのアメリカ史』は ここ ▼
オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1-2 付箋メモ
教科書は、日々のテレビ・新聞 マスメディアとともに、国民洗脳のための「最高のプロパガンダ」なのだね!
この項、つづく