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『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-1

2013年05月04日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー

その2ー1 (その1からお読みください その1は5月3日当ブログ)

 

  ▲ 『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 四宮恭二 1984年 日本放送出版協会

目次構成

1 焔は知っていた

2 オーベルフォーレン事件

3 消されゆく「関知者」の群れ

4 最高法廷で何が解明されたか A

5 最高法廷で何が解明されたか B

6 ファン・デル・ルッペをめぐる謎

7 地下道をめぐる謎

8 参考文献 ・索引

 

1933年2月28日 世紀の悪法 大統領緊急命令

国会炎上の共犯容疑者として、共産党幹部、が逮捕・拘束したのに続き、電光石火のごとく、世紀の悪法といわれる、 大統領緊急命令の原案が翌日の閣議で審議・決定された。大統領の署名ののち命令発効

この結果ワイマールの民主憲法から、人権要項をほとんど抜き取っただけではなく、国政府による各邦行政への干渉、刑罰による政治行動への脅迫、死刑罰適用範囲の拡大など、四宮によれば「さながら16世紀の恐怖政治」の再現を思わせる内容」となった。 (28p)

ドイツの人権保障に制限を加える命令は、前大統領エーベルトのもとであったのだが、その場合には、必ず付帯条項として、逮捕された者に対し、24時間以内に裁判所の審判を申請する権利、弁護士の援助を求める権利、上級裁判所に逮捕の取り消しを抗告する権利などが保障されていた。(28p)

しかし、このヒンデンブルク大統領命令には、最後の人権保護が、全然欠落していたのであった。

以下にナチス・ドキュメントからの引用とある。(29p~30p) 大統領緊急命令の抄訳は『ナチス ドキュメント現代史3』 1973 平凡社にもある。(184p~186p)

 ▼ 国会炎上のあった翌日、1933年2月28日閣議で審議の上、署名されたヒンデンブルク大統領命令の条文

 

 ▲ 『国会炎上 1933年 ドイツ現代史の謎』 四宮恭二(29p~30p)備考 1984 日本放送出版協会

この大統領令の要は、人権の抹消である。

以下もう一度上の条文を読み、四宮の整理を繰り返そう。

「ドイツの人権保障に制限を加える命令は、前大統領エーベルトのもとであったのだが、その場合には、必ず付帯条項として、逮捕された者に対し、24時間以内に裁判所の審判を申請する権利、弁護士の援助を求める権利、上級裁判所に逮捕の取り消しを抗告する権利などが保障されていた。しかし、このヒンデンブルク大統領命令には、最後の人権保護が、全然欠落していたのであった。」  

国会炎上の翌日に、その混乱の収まらぬうちに、おそらく事前に周到に用意された、大統領令を出させたのであろう。国会炎上・共産党・左翼弾圧・人権の抹消は一連のセットをなした構想の始まりの1シーンにすぎない。

この国会炎上翌日の大統領令を皮切りに次々と、ドイツ国民弾圧の法律や政策が実行されていく。

1933年3月5日  総選挙 総議席647 ナチス288、右翼と合わせ絶対多数。野党社民120、共産81、中央74

1933年3月24日 全権賦与法 国民と国家の危急除去のための法律

1933年5月2日  労働総同盟解散

1933年5月10日 社会主義・ユダヤ人著書の焚書   

1933年6月22日 ドイツ社会民主党の禁止

1933年7月5日  中央党 自己解消

1933年7月14日 政党新設禁止法

1933年8月1日  ドイツ国の元首にかんする法律

1933年9月15日 ユダヤ人弾圧法発布

1933年10月23日 国際連盟から脱退

 

続く 次はその2ー2

消されていく、ベルリン消防総監ワルター・ゲンプ

 

 

 



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