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白石太一郎 『考古学からみた倭国』 2009年 青木書店 その1-2

2016年07月21日 | 初期国家・古代遊記

              ▲ 白石太一郎 『考古学からみた倭国』 2009年 青木書店 定価7000円+税

 

 

白石太一郎 『考古学からみた倭国』 2009年 青木書店 その1-2

 

白石太一郎 『考古学からみた倭国』 2009年 青木書店 

その1では、全体の目次構成案内 今回はその1-2 

ずしりと重い一冊 557頁もある。2000年に刊行された『古墳と古墳群の研究』も500頁を越えていたが、今回はそれを凌いでいる。白石太一郎の大部なライフワークの集成と思われる著書三冊のうちの一冊ということになるだろう。2003年~2009年までのものが収められている。

様々な考古学の企画シリーズの中で、白石は参加しているので、それぞれ、関心のあるテーマのものはその都度買い求めていたものがあるのだが、この本の目次を見てみると、掲載していた雑誌や、勤務していた近つ飛鳥博物館の特別展で書いたものもあり、纏められた中の論文の中には今では入手が難しいものもある。

長い研究生活のうち、今一番実りの時を迎えた作品群のひとつだと思う。

私は今、これを論じ尽くす、力量も備えもないのだが、ここしばらくの間は、都出比呂志の論考とともに、考えてみたい手がかりが山のようにある宝の山である。

白石太一郎は考古学的編年の基礎となる、年代論の主要な論者でもある。さまざまな考古学の分野で、その時代の特徴を記すとき、年代の根拠を示す必要のあることは言うまでもない。

その意味では、白石太一郎は、古墳時代の編年研究では、1985年に発表した「年代決定論(二)ー弥生時代以降の年代決定ー『岩波講座 日本考古学 1』 以後は、主要な暦年代の参照軸となる研究を一歩一歩積み重ねてきた。

この本のすべて短期間に読破し、批評するのは、しかるべき専門の研究者にお任せすることにして、私はこの本を入手するまでに、いくつか考古学の論点に関心事があったのだが、それを考える手がかりにしようということがある。そのうち、まず三点は次のようなものだ。

 

① この本の中にも収められているのだが、「須恵器の暦年代」 『年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館企画展録に収載の、白石太一郎の総括的解説は、秀逸だったのだが、(この展示図録は好評で、すぐに売り切れとなり、これを入手するのに相当な時間を要してしまった記憶がある。この企画展は、2006年刊行) その後、この企画展で示された編年に変更や補足があるのかというのが、この本の主要な購入動機でもあった。

② 古市・百舌鳥古墳群や、埼玉・稲荷山古墳群 などで仮説的に考えられているのだが、古墳群中最大の古墳に隣接または並行してよく似た兄弟・姉妹関係のような規模の対になる古墳の存在があるのだが、この現象に何か手がかりのある論考はないものか考えたいと思っていたのである。王と副王とか、二重王権説であるとか諸説ある。白石太一郎が書いた「考古学からみた聖俗二重首長制」 『国立歴史民俗博物館研究報告 第108集』 2003年10月、を読みたいと思っていたのである。

③ 古墳時代は渡来人とともに、馬が急速に列島に普及していったのだが、馬の導入は初期国家形成とどのような関係を有しているのだろうか。「馬と渡来人」 『河内湖周辺に定着した渡来人ー五世紀の渡来人の足跡』 近つ飛鳥博物館図録 2006

この3つのテーマ(項目)を白石太一郎はどう考えているのだろうか。それと、このブログでも紹介したことがあるのだが、韓国で近年発見された「前方後円墳」を白石太一郎はどう読み解いているのだろうか。

 

これらのことを、これから読んでいきたい。

まずは、① 「須恵器の歴年代」 に補足、変更はあるのかということである。

これについては、「須恵器の暦年代」 『年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館 2006年に書かれたものと変更はない。ただし論文の最後に追記があった。重要と思われるので、以下に採録させてもらう。

「その後、2006年に京都府宇治市街遺跡の古墳時代のTG232型式の須恵器をともなう溝から出土したヒノキの木製品が、最終年輪の残る資料で389年に伐採されたものであることが確認されている。このことから須恵器の初現の年代が四世紀代にさかのぼれることが、年輪年代法によっても確認されたことになる。」

「また、2009年2月15日に大阪府泉大津の池上曽根遺弥生学習館で開催されたシンポジウム「弥生から古墳へー弥生時代の終わりはいつか」での光谷拓実氏の報告によると、奈良県香芝市下田東2号墳の周溝底部からTK23型式須恵器をともなって出土した最終年輪に近い辺材部の遺存するコウヤマキの木棺底材の最も外側の年輪年代が449年で、450年代の伐採が想定できるという。MT15型式の上限が5世紀代にさかのぼると考える私説を裏づけるものであろう。」

としているので、原則『年代のものさしー陶邑の須恵器』展で示された、「須恵器の歴年代」観に、変更はないという見解である。

以後、須恵器の編年は、『年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館 で示した編年観が、普及していくのではないだろうか。

 ▲ 『年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館  2006年 1月 3月2版

 

 ▼ 1980年代~1990年代まで一般的に利用された田辺昭三による須恵器編年 『須恵器大成』 1983年角川書店

 

これからは大庭寺遺跡で確認された導入期の須恵器窯の発掘調査の成果、光谷拓実による年輪年代学などの成果などから、以下のような、須恵器の編年案が、検討の上、使われることになるだろう。

 

       ▼ 年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館  2006年 より

 

 

 

 ▲▼ 『年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館  2006年 より

 

 

 

 ▲『年代のものさしー陶邑の須恵器』 大阪府立近つ飛鳥博物館  2006年 より

 

 

断続的に つづく

次回は白石太一郎 「考古学からみた聖俗二重首長制」 『国立歴史民俗博物館研究報告 第108集』 2003年10月

のち、白石太一郎 『考古学からみた倭国』 2009年 青木書店 に収録

についてを中心に

 

 



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