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ケネディ大統領暗殺事件直後の日本の新聞記事 その2 11月24日記事

2013年08月02日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事

ケネディ大統領暗殺事件直後の日本の新聞記事 その2
その2では、1963年11月24日の東京新聞記事 特にオズワルド人物像の描写のことを中心に

 

 ▲ 東京新聞 1963年11月24日 夕刊 1面

トップは新大統領ジョンソンの演説予定の紹介、国民結束の訴えの記事。その左は国葬の世界各国参列者の顔ぶれ紹介。日本からは池田首相、大平外務大臣の参列予定がしるされる。

中程に「オズワルド単独犯行」の文字が大文字で、「当人はなお犯行否認」はそれより小さい大きさの記事タイトルが示される。タイトルだけ読めば、当然オズワルド単独犯行が印象に残る。

1面のオズワルドに関する記事は、以下の通り。

[ダラス23日UPI]

「ダラス警察署の殺人課主任ウィル・フリッツ氏は23日「オズワルドがケネディ大統領暗殺の犯人であることは疑いない。この事件は27日か12月2日大陪審に回される予定である。大統領とコナリー・テキサス州知事の狙撃が計画的なものかは言えない。共犯者はいない」と語った。

[ダラス23日AFP]

「カリー・ダラス警察署長は23日「ケネディ大統領が暗殺された通りを見下ろすビルの中で発見されたライフル銃は、検査の結果、大統領の狙撃に使用された銃であることが判明した」と述べ、さらに次のように語った。

有力容疑者のリー・H・オズワルドがイタリア製の同じ型のライフルを持って写っている写真が、発見された。またオズワルドが銃をシカゴのある店に注文した手紙も発見された。銃を持っている写真では、オズワルドは米共産党の機関紙ザ・ワーカーを手に持って写っている。

なおオズワルドの取り調べは、23日も行われているが、彼はまだ犯行を否認している」

記事は外電をそのまま掲載しているようであるが、容疑者は、あくまで、容疑者であって、裁判が行われ、結審するまでは、犯罪者ではないのだが、

 

 ▲ 東京新聞 11月24日 夕刊 第2面・3面。3面は写真映像、2面左上に、顔写真入りのオズワルド特集記事がある。

東京新聞 11月24日 夕刊の注目すべき記事は顔写真入りのオズワルド記事である。よく読んでいただきたい。

 

▼ 東京新聞 11月24日 夕刊 第2面 顔写真入りのオズワルド記事

 

  ▲ 東京新聞 11月24日 夕刊 第2面 顔写真入りのオズワルド記事

事件後2日にして、警察発表・外電記事をもとに作成した、東京新聞のオズワルド像は記事のタイトルにある通り、

オズワルドは 「ウソと射撃は得意」 「極端な行動に身を任す」 と印象付ける。

写真の両脇には、以下のようなリード文がある。

「オズワルドは依然犯行を否認しているが、調べが進むにつれてますます容疑が深まり、犯人に間違いなかろうと、みられるに至った。この24歳のアメリカ人についてまだその背後関係など明らかでない点も多いが、その経歴や人物について、主な点は明るみに出てきた。各外電を総合して、”オズワルド”像を描いてみようー」

50年近く前の古新聞なので、読みにくいが、眼を凝らして読んで欲しい。

政府の意向・警察発表と外電をうまくつかっているが、「権力の監視」はどうした!と真っ先に言いたくなる文章なのだ。もうほとんど、犯人と決めてかかって記事を作成している節がある。

オズワルドの記事の下に、小さく、ダラス警察署内で、部屋の移動で出てきたオズワルドに対する短い記者団の会見記事が掲載されている。それにしても、この記事のタイトルは 「フロに入りたいとうそぶく」 ということばがある。これは何だ!

記事にはオズワルドのことばとして「」の中に「自分にも被疑者としての基本的権利がほしい。とくにフロに入りたい」と述べたと記される。

オズワルドは冷静で、私は、あくまで被疑者であり、(犯人として刑が確定したものではない)国民の権利としての、法的援護が欲しいと、別なインタビューで訴えていたテレビ映像記録も残されている。かれは、そこでは、「私ははめられた」と記者団に哀願している映像もあるのだ。 これについては、私のブログ 2012年6月11日を参照されたい。

事件後2日で作られてしまったオズワルド像

この東京新聞に記された、「ゆがんだ米国社会の一面」 「ウソと射撃が得意」 「極端な行動に身を任す」「フロに入りたいとうそぶく」

大本営の発表のまま、記事を書く、愚かな、かつ犯罪的な戦前の新聞とどう違うのか。松本サリン事件での新聞社の記事は警察どころか、予断をもって、被害者を犯人と決めつけ記事を書き続け、醜態をさらしたのはかなりの数の新聞社だったのは記憶に新しい。

事件当時のアメリカのダラス署につめかける記者団も、オズワルドの、記者団に、哀願する姿を見て、彼は狂信者ではないのではないかと、思わなかったのか。・・・・

「民主主義の法のもとで、彼はまだ、犯人ではない、容疑者だ、法に従い取り調べをしているのか、わかるように弁護士をつけさせろ、容疑者として対応させろ」と警察署で叫んだ記者はいなかったのか!

25日の朝刊から、東京新聞はワシントンに特派員を送り、記者名を記す記事を載せるようになる。

オズワルドがジャック・ルビーに、ダラス警察署内で、至近から射殺されるに及んで事件の深刻さにようやく、気づくのか、ワシントンの特派員25日の記事には、24日の オズワルド記事のような、犯人と決めつけたような、予断はなく、事件を伝えている。

 

次は11月25日記事へ つづく

 

 

 

 

 

 



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