ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

水軍、瀬戸内を駆ける(その5)

2012年05月28日 00時24分36秒 | 

「勝てばよいというものではありません。それによって“宇宙”からの応援支援が違います」

 昔、小林正観さんから聞いた言葉です。

 おっと!忘れていましたが、今回の旅で、広島の前に、山口下関の壇ノ浦に寄っていたことを書いていませんでした(笑) 構成が甘いですm(_ _)m

 あわの歌の中山博さんや友人を乗せたノア号は、福岡市の志賀島を出発した後、北九州の小倉に寄りました。中山さんのあわの歌会があったからです。会が行われている間、参加しない私と友人2人の計3人は、会が終わるまでの間、関門橋(関門海峡に架かります。両岸の地名、馬関[現 下関]の“関”と、門司の“門”です)を渡り、山口下関に行きました。友人達に壇ノ浦を見せておこうと思ったからです。

 時は、平安時代末期、1185年旧暦3月(ちょうど今ぐらいの時期ですね)。瀬戸内での戦を優勢に押しまくる鎌倉方・源氏軍と、それに対しジリ貧で、退路も断たれた平氏軍による、最後の戦いの場となったのが、ここ、壇ノ浦です。
 摂津国・渡辺水軍、伊予国・河野水軍、紀伊国・熊野水軍などを味方につけた源氏軍はいっそう優勢になり、源義経の活躍により、平氏水軍は破れ、栄華を極めた平家はここに滅亡したのです。
 義経は、知恵のある武将として知られます。「一ノ谷の戦い」や「屋島の戦い」が有名ですね。そして、「壇ノ浦の戦い」の勝利によって、義経は大きく出世したのです。

 しか~し!

 「壇ノ浦の戦い」で、義経は、どんな戦い方をしたか!

 有力な説がこうです。・・・潮の流れが強く、刻々激しく流れの方向が変化する壇ノ浦。海戦に長けた平氏水軍に押され、あわや討ち取られかかった義経はどういう作戦を取ったかというと、平氏水軍の船の漕ぎ手を一斉に矢で射ったのです!この行為により、平氏軍は、船の舵取りが不能となり、戦況が一変し、源氏軍が勝利しました。
 ところが、ここに、“掟(おきて)破り”がありました。実は、当時の戦の作法は、非戦闘員である船の漕ぎ手を射ってはいけなかったのです。戦とはいえ、ルールがあったのです。しかし、義経は、“勝てば、作戦はなんでもよい”的なことをしたのです。

 旅行作家で、心学研究家の小林正観さんは、『宇宙の法則』のお話の中で、この義経のエピソードを使われたことがありました。「勝てばよいというものではありません」と。義経の、その後の凋落ぶりは、宇宙の応援支援が無い結果だと。判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を生んで、不運の義経に同情する世論もあります。NHK大河ドラマ「義経」では、“タッキー”こと、ジャニーズの滝沢秀明クンが義経を演じた日にゃ、そりゃ、「義経かわいそう~」になりますよねぇ(笑)
 現代においては、スポーツにもそれが言えますね。「勝てばよい」作戦をとるよりも、正々堂々と、“潔い(いさぎよい)”試合をすることにより、宇宙の応援支援を受けることができる。もちろん、それは、“勝つ”ことが保証されているわけではありません。が、観戦する人々に感動を与えるのです。それが、スポーツの役割のひとつでもあります。

 ・・・旅の日記が、大きくそれました(^^;ゞ

 深イイ話しを織り交ぜながら(笑)、瀬戸内の旅は続きます☆

(つづく)

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