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想定外/志賀原発、最悪なら即発臨界も 日本原子力技術協が解析

2007-04-12 23:03:00 | ニュース
事実は小説よりも「奇」なり。










志賀原発、最悪なら即発臨界も 日本原子力技術協が解析(抜粋)
2007年4月11日

北陸電力志賀原発1号機(石川県)の

臨界事故を受けて

日本原子力技術協会が

当時の状況を解析したところ

「最悪なら急激な核反応が一気に起きる即発臨界の状態になっていた可能性がある」

ことが

11日、わかった。

即発臨界は

「チェルノブイリ事故でも起きた現象」だが

志賀原発の場合は

即発臨界が起きていたとしても

「局所的なため、燃料の温度は損傷で危険な状態となるまでは、ほど遠かった」

とみている。

事故は運転停止中に

原子炉の制御棒が意図せずに3本抜け落ちて

「臨界状態が約15分間」

続いた。

同協会が

制御棒が抜ける速度や順番を分析したところ

最も厳しい条件で

即発臨界になっていた可能性があったという。

核分裂反応は通常

温度が上昇すると減少する抑制効果がある。

しかし

即発臨界だと

「核分裂反応が減少することなく一気に進んでしまう」。

燃料の温度が

3300度を超えるような状態になると

「核燃料が破損したり、水蒸気爆発を起こす恐れがある」

ことから

起こしてはならない反応と考えられている。


<同協会>

志賀原発の場合は

①臨界が起きたのは局所的だったため
②仮に即発臨界状態であっても、燃料の温度は150度程度で
③燃料破損が起きる状況にはならなかった


<同協会 石川迪夫理事長>
「今回は大事故につながる状態ではないが、炉内については暴走状態になっていた可能性がある」


原子炉の設計上は

制御棒は

「1本抜けても臨界にならない状態しか想定していない」。

しかし、今回の事故は

弁の操作の誤りで

「3本同時に制御棒が引き抜けたことで臨界状態になった」

ことが明らかになっている。








要するに

「危険」

なんです。



いい加減

認めようよ。



それが分かった上で

「リスクを天秤にかけて」

使うかどうかを決めるべきでしょ。



それをごまかすから

「根本的な対策」

も考えられない。



「チェルノブイリ事故でも起きた現象」

だが

「局所的なため、燃料の温度は損傷で危険な状態となるまでは、ほど遠かった」



そんなもの

「何にも意味が無い」。



第一に

「ミスをするとハタンするシステム」。



「3本同時に制御棒が引き抜け」ることも

ありうるのに

「1本抜けても臨界にならない状態しか想定していない」

という大甘の想定。



「ソフトもハード」も

「全くダメ」

ということが露呈してしまった。


「最も厳しい条件で」とか

「局所的」だから

というが

どこまでを想定してるのかな?



「不正」に

「不具合」。



不祥事が止まりません。



「原子力・電力行政」も

アタマを

総取替えした方がいいんじゃないの?



この際

将棋の

「羽生名人」

にお願いしたらどうでしょうか?









もう少し「先を読んでくれますよ」、きっと。
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ちょっといいハナシ

2007-04-12 01:14:07 | Weblog
「性善説」

とか

「性悪説」

とかいうけど

どちらともいえないのが

ニンゲン。







昨日

コンビニに行った。



レジが終わって

帰ろうとすると

声をかけられた。



「落しましたか?」



振り返ると

高校生の3人組。



千円札を持ってた。



落したオボエはなかったので

「いや」

って言うと

外でタバコを吸ってたヤツにも聞いてた。



ハダカで落ちてた千円。



微妙な金額だ。



1万円でもなく

「心もあんまり痛まないかもしれない」

ネコババしても。



でも

「そうしなかった」。



ちょっと、うれしい。



「3人いたからかな?」

なんて考えてもしまうけど

それでも、やっぱり

うれしい。



「万引き」みたいな

「一瞬の悪意」を

「魔が差す」

って言います。



逆に

「一瞬の善意」

も存在する。



「女性を助けて、列車に轢かれてしまう」

なんてことも

ありました。








「掛け値なしの善意」も存在するんですよね、やっぱり。
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危険というもの/ロープ遊具の柱折れ、児童13人病院へ 岐阜の小学校

2007-04-12 00:46:30 | ニュース
杞憂ならいいんですけど・・・。









ロープ遊具の柱折れ、児童13人病院へ 岐阜の小学校(抜粋)
2007年4月11日

11日午前11時ごろ

岐阜県大垣市小野1丁目の市立小野(この)小学校から

「児童が遊具から転落してけがをした」

と市消防本部を通じて110番通報があった。

大垣市消防本部などによると

児童6人が救急車で病院に搬送されたほか

7人が学校関係者の付き添いでタクシーで病院に向かった。

13人は命に別条ないという。


<大垣署>

①遊具は校庭にあり
②事故当時は休み時間中だった
③高さ約3メートルの木の丸太柱2本が、約10メートル間隔に立てられており、その間にロープを3本が渡されている。
④ロープにぶら下がったり、つかまって移動したりして遊ぶ
⑤児童らはこの遊具で遊んでいたところ、片方の柱が折れ、転落した

⑥同署が、児童らのけがの程度や原因などを調べている








どのくらいのケガだったのかが気になりますが

「命に別条ない」

そうなので

とりあえずはよかった。



この記事を選んだ理由は

「事故をきっかけにして、遊具が撤去」

されそうな気がしたから。



「あんな危ないもの」

という意見が強くなって

なくなってしまう。



最近、よくあります。



そういうイケンも

「マチガイ」

とは思わないけど。



極端すぎませんか?



最近、公園に行くと

「遊具の数が減ってる」

気がする。



子供の頃、遊んでたような遊具が

「たくさん、なくなってる」。



確かに

「危ないところもある」

のかもしれませんが

「本来、全く危険の無いものはない」し

子供は

それで

「危険」

を学んでいく。



「ああいうことをしたら危ない」

と思えば

「二度とやらない」。



「経験しなければ分からない」ことや

「実感が必要なこと」

もたくさんあると思うけどなあ。



昔の子が

その遊具で

「何人死んでますか?」



中には不幸にして

「大怪我したり」

まれには

「死んでしまうこと」

もあるかもしれない。



だからといって

そのために

「なくしてしまう」

のはどうなんだろう?



一因には

「少子化の影響」

もあると思う。



「一人死んでも二人いれば一人残る」

とか、そういう過激なことではなく

一人しかいないから

「子供の大切さ」

も倍増。

場合によっては

「過保護」

になる。



何人も子供がいる家だと

「一人目」

は真剣に育てるけど

「二人目」

からは慣れもあって

「余裕を持って」

育てられる。



子供から見ると

「手抜き」

のように見えることもあり

「嫉妬されたりする」

こともあったりする位だ。



その

「余裕」

が大事なんだと思う。



心配はするけど

「過剰じゃない」。



そのスタンスがなければ

「ちょっとでも危険なもの」

を許容できないと思う。



記事では分からないけど

「テレビのニュース」

では

「4メートル上から落ちた」

とのことです。



「危ない」

と言われそうですが。



今回の事故の場合は

どうなるかは分からないけど

「修理や改善」

して

「危険の少ないようにした上で」

また、同じ遊具で

「子供たちが遊べればいいな」

と思います。



危険なものがマズイなら

真っ先に

「原発」を撤去しましょう。









あんなにキケンなもの、ないです。
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