グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第3章 カスケードを越えて (その8)

2005年07月25日 | Wood's Book翻訳
 1909年7月10日、三相交流による電化が完成した。このタイプは、西半球ではただ1箇所であり、勾配を下るときに回生ブレーキを使用できる、当時としては唯一のシステムであった。スピードがモーターとの同期速度を越えると、自動的にモーターが発電機となり、架線に電力を戻すとともに、結果として歯止めとなって列車を引き止める働きをする。しかし、列車重量は、モーターにダメージを与えないよう、時速15マイル、モーター同期速度375回転/分を維持できるように制限されていた。多くの乗務員はモーターと付き合うのを嫌がった。市電タイプのトロリーポールは架線から簡単に外れやすく、また、カスケードトンネル駅で電気機関車を着けたりはずしたりするのにも時間がかかっていた。しかしながら、小さな電気機関車は、乗員や乗客をガス中毒させること無くトンネルを通過させるという目的を達成していた。特に、トンネルを西向きに下るときの制御に適していた。
 残念ながら、電化は冬季の雪の問題は解決できなかった。線路はむき出しであり、シーニックとレヴェンワースとの間のいたるところで雪崩に埋もれていた。スカイコミッシュとウェリントンの間の21マイルは、セントポールまでの残りの1,800マイルよりも問題が多かった。
 ウェリントンの大災害の前例が1907年12月に起きている。ロータリー雪掻き車を先頭に、ボールドウィン製のパシフィックNo.1438は列車No.4をスカイコミッシュからウェリントンに向けて牽いていた。強い風により吹き溜まりの雪が、切り通しを埋めていた。シーニックまでの12マイルに5時間かかり、そこで乗務員たちはウェリントンまでの残り9マイルを続行するかどうか協議した。運転指令の指示により、列車は続行し、ウェリントンまで後2マイルになったとき、雪崩が襲い掛かってきた。この雪崩は、ロータリー車がまさに入ろうとしていたスノーシェッドの入り口をふさぐ勢いだった。機関士は列車を後進させ、出てきたばかりのスノーシェッドに戻り、その直後に雪崩がスノーシェッドの両方の入り口をふさいだ。ウェリントンに徒歩でたどり着くまで10日間そこに閉じ込められた。列車を掘り出すまでには、更に二日を要した。