グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第3章 カスケードを越えて (その2)

2005年07月18日 | Wood's Book翻訳
 モンタナ州での路線配置の仕事が完了して、John F. Stevens、C.F.B. Haskellと彼らのアシスタントは、スポーカンからピュージェットサウンドまでの路線を決定するためワシントン州に送られた。1890年6月3日にボンナースフェリーを出発し、Haskellはスポーカン滝(このときにはスポーカンは知られていた)に向かい、6月8日に到着した。スポーカン(1872年から住み始められた)は、そのとき、10ヶ月前に市の中心部32ブロックを焼いた悲惨な大火災の痕を残していた。彼はこの町を気に入り、ミネアポリスを出て以来の上品な町だと述べ、スポーカンにすばらしい未来があると感じた。
 コロンビア川(彼が今までに見た中で「もっとも偉大な川」)を下り、川から7マイルほどのウォーターヴィルに6月25日に到着した。カスケードに進み続ける代わりに、彼は馬に乗ってスポーカン滝に戻ることを命じた。ウォーターヴィルを6月28日に発ち、「たった6週間しか経っていないし小さくてみすぼらしい町」と描写したクーリーシティに着いた。クーリーシティは、グランドクーリー(コロンビア川の古い河床で、長さ100マイル、幅は広いところで5マイル、深さは1000フィートに及ぶ)を越えられる唯一のポイントに位置していた。NPはこのクーリーシティを通じて路線を建設しており、町は活気に満ちていた。ウィルバーとダヴェンポートを旅して、7月5日にスポーカン滝に到着した。彼が賞賛を与えたことの無いサウスダコタと比べてさえひどい、暑くて乾燥した岩々の大屈曲山脈に圧倒されていた。
 7月18日にウォーターヴィルに戻ると、モーゼス湖に向った。更に、コロンビア川の西、エレンスバーグを経てスノクォルミー峠へと登った。彼はまた、ピュージェットサウンドのシアトルとタコマを訪れ、帰りはNPを使いスタンピード峠を越えてエレンスバーグに戻った。そこからは馬車でウォーターヴィルへ行ったり、馬でスポーカンに行ったりした。1890年9月12日に彼はStevensとBecklerに会うためにウォーターヴィルに戻った。