グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第3章 カスケードを越えて (その3)

2005年07月19日 | Wood's Book翻訳
 Haskellが大屈曲部で忙しくしていた夏の間に、Stevensは、スタンピード峠とカナダ国境の間のカスケード全体を見て回り、カスケード越えの最適地点を検討した。カスケードをどこで越えるかという決定は、コロンビア川をどこで越えるかという決定にも大きな影響を及ぼす。ウェナッチー湖への行程の途中で、Stevensは、南から湖に注ぎ、急に西に向きを変えて高地へと入っていく川を発見した。稜線沿いの前の旅では、主稜線に低い地点を見つけており、この川がきっとこの低い地点に向っているもの彼は確信した。ウォーターヴィルの本部に戻らなければならなかったので、これ以上の探索をする時間は無かった。彼は、Haskellをウェナッチー湖に派遣して、その川を最上流までたどるように命じた。Haskellは9月15日にウォーターヴィルを発ち、コロンビア川のオランドを経てウェナッチー川を上り、ウェナッチー湖近くのその川に向った。その川(ネイソン川)の最上流でHaskellは、峠を見つけ、杉の木に「Stevens峠」と刻んでから、西のスカイコミッシュ川に向った。この峠が前から知られていたという印は無かった。道は、密集する木々と進入し難いブッシュを掻き分けていかねばならなかったのである。この後の調査で、F. StevensとE. H. Becklerは、この峠がGNが越えるに最も適当な峠であると確信した。
 調査団は雪で調査ができなくなるまで山にとどまり、その後1891年の冬はウェナッチーの東の高原部の調査を続けた。2月にはコロンビア川を下り、モーゼス谷に向かい、その後ウェナッチーにもどり、雪解けを待って峠に向い調査を行った。6月5日、スティーヴンズ峠にキャンプ中であったが、予備調査は完了し、路線配置調査に入った。この調査は1891年の夏から秋にかけて実施され完了した。
 路線はスポーカンを通っていたため、コーダレーン湖に源を発し、市の中心部を流れるスポーカン川を渡り、また再度渡る必要があった。川越えに計5つの橋が必要であった。駅の西側に3つ目の橋があり、ハヴァーメイルアイランドから南岸に渡っていた。4番目の橋が最も大きく、滝を直接渡っていた。5番目の橋は、町の郊外で川が北に曲がっているところで川を越えていた。