グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

Mクラス(2-6-8-0)の色々

2005年06月30日 | 実物・車両
(翻訳の途中ですが、鈴木光太郎さんのコメントへの回答です。この辺、あっさり寄り道してしまうのがブログの気安いところですので、鈴木さんも他の方もいつでもどんどんコメントくださいませ。お待ちしております。)
 Mクラス(2-6-8-0)は全36両あります。その1号機No.1254は、1910年自社工場製で、おっしゃられるとおり、既存の2-8-0に新造の前部台車を取り付け改造したものです。動輪径は55インチ、気筒は、直径20インチ&33インチ、行程は32インチです。牽引力は56,000ポンドでした。ガゼットの記事はおそらくこの1254号機のことと思います。(ちなみにこの1254号機は、1911年にはNo.2000、更に同年No.1999にナンバーが変更され、最後は0-8-0入れ換え機に改造されています)。
 この後の35両(No1950-1984)は、ボールドウィン製で、こちらは新造です。動輪径は55インチ、気筒は、直径23インチ&35インチ、行程は32インチです。牽引力は78,000ポンドに増強されています。1926年から27年にかけて複式から単式に改造されています。
このときの気筒は、直径22インチ&23.5インチ、行程は32インチですが、牽引力は96,000ポンドに上昇しています。1929年から31年にかけて、このうちの22両はO-7クラス(2-8-2)に改造されています。残った13両は、各地の支線で1950年代まで活躍しました。
 以上、概ね「Articulated Steam Locomotives of North America」(Robert A. LeMassena著、Sundance Books 1979)(写真)の情報によります。話題の改造機No1254はNo.2000になったときの写真が掲載されています。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その7)

2005年06月29日 | Wood's Book翻訳
 この時代のGNを救ったのは、O-1クラス、ミカドの登場であった。この機関車に、GNは長く追い求めていたものを見出した。シンプルな機器、63インチ動輪による相応のスピード、従輪上の広くて深い火室による十分な蒸気供給能力、そして牽引力である。O-1の60,000ポンドの牽引力は、L-1に匹敵し、L-2の55,000ポンドを上回るものであった。また、石炭や水の使用量もL-1やL-2よりも少なかった。機関助手は十分な仕事をしなければならなかったが、死ぬほどではなかった。結果として、150両のO-1が購入され、更に各クラスのミカドが続き、1942年には264両のミカドが保有され、GNの機関車の33%を占めた。これらには、尊敬すべきO-1、ボールドウィン製のO-4、9両のUSRAタイプ、そしてL-1、L-2、ちょっと変わったM-2の一部からそれぞれO-5、O-6、O-7の各クラスに改造された機関車が含まれる。
 もし、GNを真に代表すべき機関車を一両だけ選ぶとすれば、それは、世界最強のミカド、78,000ポンドの牽引力を有するO-8であるというべきだろう。カプラー間全長108フィート11インチ、16フィートに3/8インチだけ足りない全高と言う大きさで、パワーの観点では荷馬車用の馬のように強く、スピードも69インチの動輪をはいてS-1やP-1に匹敵するものであった。1932年にヒルヤードで製造された3両のO-8が非常に成功したので、すべてのO-7クラスも第二次大戦中から戦後にかけてO-8に改造された。O-8は、GNの関節型以外の貨物用蒸気機関車でただ1クラス、ローラーベアリングを装備していた。
 ミカドが成功した以上、スピードが遅く、複雑なマレーは、扱い難いものとして脱落すると、考えられるかもしれない。しかし、そうではなかった。GNがずっと名誉としてきたのは、少し問題があるという理由だけでその機関車を簡単にはあきらめないということである。GN自社工場は、その機関車の能力を完全に発揮させるところまで、改造や近代化を行うエキスパートとなっていた。1912年に最初に登場した2-8-8-0複式マレーN-1クラスは、他のどんな機関車より醜いといわれ、ユニオンパシフィックのBull Moose2-8-8-0より醜いといわれていた。その理由のひとつは、持ち上げられたベルペア火室であった。2-8-8-0は、大きな火室を台枠の間に収めるスペースがなく、また従輪もなかったため、巨大な火室は台枠の上、63インチ動輪の上に置くしかなかった。この結果、N-1全25両はGNの機関車の中で最も背が高い機関車となった。この機関車は、煙突及びキャブのトップが16フィートと非常に高かったので、機関士は後ろを見ると、4軸の小さいテンダーの上を越えて列車全体を見渡すことができたといわれている。N-1は、LクラスやMクラスにはなかった更なる発展の可能性を秘めていた。大きな動輪と巨大なボイラー・火室をもって、この機関車は強力な93,000ポンドの牽引力を持っていた。1920年代中盤に、GN工場はこの複式マレーを単式化し、牽引力も100,000ポンドに増大させた。これらの改造されたマレーは、N-2クラスとなった。1940年代初期に、このクラスはすべて、新しい台枠、ローラーベアリング等の近代的機器をもって改造されN-3クラスとなった。1920年代に装備されたバンダービルトテンダーも、更なる近代化だった。この結果、この機関車は、最もハンサムで強力な2-8-8-0となった。この機関車は重量列車を確実なスピードで牽引でき、多くの旅客用機関車より早かった。この機関車はIron Rangeで大量の鉄鉱石輸送を行った。戦時中はしばしば、20から22両の「兵員輸送車」のトップに立った。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その6)

2005年06月28日 | Wood's Book翻訳
 真の複式マレー、1906年のL-1クラス(2-6-6-2)は、1904年のセントルイス博覧会で披露され、ボルティモア&オハイオ鉄道で問題なく使用されていた0-6-6-0の改造版である。現代的な基準でも複雑な機械の塊といえるこの機関車は、長大なボイラーの下に連接された二組の走行装置を持ち、更にカスケードの曲がりくねったカーブと勾配を走行するのを補助するための先輪と従輪も備えていた。動輪は小径-55インチ-だったが、牽引力は別物だった。70,000ポンド近い牽引力は、複雑で扱い難いGクラスマストドンに取って代わりつつあった、そのころの標準的貨物用機関車F-7コンソリデーションの牽引力41,000ポンドの2倍近かった。コンソリデーションに牽かれ、L-1に押されれば、単純計算でもスカイコミッシュからタイまでの2.2%勾配で1,300トンの列車を押し上げることができた。1906年ボールドウィン製のパシフィックと同じボイラーを持つ、より軽い45両のL-2は1907年にGNに登場し、もっぱら東行きの1.8%勾配でのコンソリデーションの後補機として、ロッキーに送られた。更に17両のL-1が1908年に配備された。L-1は、カスケードで牽引機と後補機の両方として使われ続けた。牽引でも後補機でも、L-1も若干軽いL-2もどちらの役目もうまく果たしたが、機関区では、二組の走行装置が日常的な保守と注意を必要としたため苦労の種だった。小径の55インチ動輪を主な理由として、スピードには欠けていた。水と石炭をがつがつ食うところも頭痛の種だった。1920年代に、GNは自社工場で、L-2をミカドO-5クラス(2-8-2)に、L-1をミカドO-6クラスに改造した。
 更に強力なパワーを求めて、GNはボールドウィンから1910年にハイブリッドタイプの複式マレー、M-2クラス(2-6-8-0)を導入した。このクラスは、モーガル2-6-0と入替機0-8-0を無理やり結婚させたように見えた。このグループの25両は55インチ動輪を履いていたが、牽引力は80,000ポンド近くまで増大していた。この怪物機関車の蒸気を上げ続けるためには機関助手をリレーさせなければならなかったが、スピードは遅いものの確実に牽引した。そこで、鉱石列車牽引でいくつもの特筆すべき記録を達成したIron Rangeにおいてこの機関車はすぐに活路を見出した。
 1911年には、GNは、全国で最多の複式マレーを保有していた。マレーは速度が遅く、複雑で保守も頭痛の種だったが、GNが使える牽引機のすべてともいえた。機関車のリストのトップは、マレーで占められていたが、リストは、各種のモーガル、Gクラス(トウェルブホイール)、コンソリデーション、高速貨物機関車として考えられていたプレーリーの大グループ、近代化された機関車であった数両のパシフィックと続いていた。このように、GNの機関車は、本線旅客用には牽引力はあるものの速度に欠ける機関車、本線貨物用には速度が速いが軽量すぎる機関車のどちらかに偏っていた。勾配の少ない区間での重連は一般的となっていたが、これは機器にとっても機関士にとっても消耗が激しくコストもかかるものであった。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その5)

2005年06月27日 | Wood's Book翻訳
 1906年、全てボールドウィン製の、J-1クラスプレーリー(2-6-2)、K-1クラスアトランティック(4-4-2)、L-1クラス複式マレー(2-6-6-2)が、GNに登場した。GNとしては、プレーリーが貨物の高速化という問題の少なくともある程度の解決になると確信するようになり、1906年と1907年に、69インチ動輪の150両を購入した。この機関車は、基本的に似通っている1906年購入のパシフィックと多くの部品を共有できるという好ましい特長があった。このプレーリーは、高速機関車として開発されたものではなかったが、短いホイールベースによる順応性とほとんどどんな線路でも対応できる能力は特筆される。このような理由に加え、相応の牽引力があり、各種の燃料に対応可能で、かつ後進時も前進時とほぼ同じ安定性があるという理由から、この機関車は森林鉄道でも好まれた。しかし、この柔軟性の高さという、森林鉄道で好まれたポイントが、GN機関士たちを仰天させていた。中央で連接された、前後均等にバランスの取れたこの機関車は柔軟すぎたのである。速度を上げると、機首を突っ込んだり、波打たせたりして、機関士をキャブから放り出す恐れがあるといわれていた。先輪からの正しいガイドと大きめの従輪による安定があって初めてうまくいくのである。GNの機関区がこの問題をどうするか熟考している間、この機関車は、能力的には出せるスピードを制限して一定の範囲内のスピードに収めるよう制限されていた。1940年にはこの機関車はGNには1台もなくなっていた。
 アトランティックK-1クラスはJ-1のような荒い波打ちはなかったものの、この機関車が運用され始めた頃には、GNが扱い始めようとしていたタイプの列車には、この機関車は小さいものとなりパワーも足りなくなっていた。73インチの動輪を履いて、近代化されたバージョンのアトランティックほどのスピードは出なかったが、この機関車は蒸気も上がりやすくスピードを出しても安定していた。この機関車にはブースターが装備され、スタート時の牽引力を37,000ポンド近くに増大させていたが、ブースターは複雑なメンテナンスを必要とした。名のある列車のトップに立って、この機関車は、本線上の勾配としてはよくある勾配であるモンタナ州ウルフポイントですら、スリップしやすかった。そして、一度走り始めると、時間通りに重量列車を牽くには、ボイラーのパワーが単純に足りなかった。SP&Sは何両かのKクラスを購入し、ほとんど勾配のない区間で軽量貨物に使用していた。1940年には、当初の10両のうち残った1両だけがダコタ支部に配置されていた。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その4)

2005年06月26日 | Wood's Book翻訳
 マストドンとコンソリデーションの最初の機関車が導入されたのとほぼ時を同じくして、有名な4-6-0、Eクラス、テンホイーラーが姿を現した。1892年にボールドウィン社で製造されたE-9クラスの機関車は2両しかない。これらの2両はクラウンバーボイラーであったが、20両のE-7クラス(1893年Brooks製)とこれに続くEクラスのほとんどはベルペア火室であった。機関車の発達やクラスの番号は、製造された順番とほとんど関係なかった。E-7の後、順番は、E-13、E-12、E-10、E-3、E-8とE-6、E-14とE-15と続いた。最後のEクラス、1915年アルコ社製、ラジアル支持ボイラーの2両の機関車が、E-2であった。欠番となっているクラスは一時的には存在したが、数も少なくEクラスを代表するものでもない。E-1は、1890年Rogers製で2両。同じ年、Rhode Islandは4両のE-2を製造、そのうち1両はたった1両のE-5となった。1889年に2両のE-4がSchenectadyにより製造された。E-7 No.959は改造されて1両のみのE-11となった。もっとも多いクラスは、ボールドウィンが1910・11年に製造したE-14の45両。本質的にパシフィックH-4クラスのテンホイールバージョンであるE-14は、1920年代にパシフィックであるH-5クラスとH-7クラスに改造された。Eクラスの動輪径は、55インチ、63インチ、73インチと色々だが、小径の動輪の機関車は、支線・貨物用、大きい径の動輪の機関車は旅客用として設計された。列車の長編成化、重量化につれて、テンホイーラーは旅客用には不十分となってきた。その結果、1942年には19両しか残っていなかった。1950年5月には、E-6クラスNo.927の1両だけとなっていた。
 1905年、H-1クラスとして、パシフィック(4-6-2)がGNにやってきた。この機関車の成功により、ボールドウィンとリマに多数の発注がなされ、1930年でも130両ものパシフィックが運用されていた。1914年リマ製の、印象的なH-4クラスは、最初からパシフィックとして製造された最後の機関車となった。GNは、本線では旧式となった多数のプレーリーとテンホイーラーをどうすればいいか分かっていた。1920年代にこれらの機関車はGN自社工場でパシフィックに改造された。Jクラスの15両のプレーリーは、引き伸ばされてパシフィックH-6クラスとなり、更に早く改造されたE-14テンホイーラーはパシフィックH-5クラスとなり、旧式化したE-14、4-6-0の10両は少し後にGN工場でデルタの従輪、大型の火室、延長されたボイラー、過熱管を装備してH-7クラスとなった。牽引力(49,580ポンド)では、これらの機関車は、初期のニューヨークセントラルのハドソンに匹敵する。しかし、ハドソンと同じように長距離を高速で走り続ける能力があったかどうかは疑わしいところがある。初期に改善された機関車の何両かは、近代的機関車の需要が非常に強かったSP&Sに行っている。しかし、1940年代後半でも、H-2からH-7までのHクラスは計96両、GNの機関車の12%を占めていた。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その3)

2005年06月25日 | Wood's Book翻訳
 東部では、コンソリデーションタイプ(2-8-0)が、G-3、G-4より強力で、G-5より維持・燃焼がシンプルで、複雑性も確実に低いと言うことから、第1位に格付される機関車となっていった。GNは、1892年のF-1(John Player設計、Brooks Locomotive Works製)から始まって、数多くのコンソリデーションを発注した。ベルペア火室がGN機関車の特徴となったのはこのときである。ベルペア火室では、クラウンシート(火室内板)は平板で、小半径のカーブで結合された平らな側板と天井板で構成される。側板等が平らで並行しているため、クラウンシートを補強するためのクラウンバーを使用する必要がない。いくつかの例外(有名なところではP-2、S-2クラス)を除き、1890年代にベルペア火室を採用してから、1930年代に製造された最後のGN蒸気機関車(有名なO-8クラス)まで、GNはこのユニークな設計を使用し続けた。大鉄道会社の中では、他にただひとつ、ペンシルバニア鉄道だけがベルペア火室を「標準」として採用した。ただ、1899年にユニオンパシフィック鉄道がベルペア火室のBrooks Worksの4-8-0クラスを購入している。この機関車は、スティーヴンズ峠の悪名高い4%勾配のスイッチバックで使用されていたGクラス、マストドンとほぼ同一機種で、実用的という理由から、UPで25年近く使用された。
 コンソリデーションの各クラスはほとんどすべて55インチの動輪を履いていた。例外は、アルコ製のF-12(2両)で、52インチの動輪でまさに「芝刈り機」であった。更に最も有名なコンソリデーションはF-8クラスで、牽引力は45,000ポンドであった。この機関車は幹線用機関車であった。1940年には、運用中の66両のF-8の三分の二に効率化のために加熱管が付けられた。しかし、本質的にはコンソリデーションは、1,800マイルに及ぶ幹線の重量輸送には小さすぎた。他方、支線には大きすぎた。そこで、多くのこの古いクラス(F-8を除く)は入替機に改造された。これにより1940年時点での蒸気機関車のうち16%が4軸入替機となった。これらの機関車の多くは、牽引力を必要とするメサビ鉄鉱山の荒い鉱山線で使用された。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その2)

2005年06月24日 | Wood's Book翻訳
 輸送力は、貨物用の新しいモーガル(2-6-0)タイプにより1887年に強化された。モーガルは、小径の55インチ動輪上により多くの重量を配分し、一軸の先輪上への負荷を減らし、牽引力を増大させていた。4-4-0に比べ若干遅いものの、重量貨物輸送に関してはアメリカンより明らかに改善されていた。5つの異なるタイプで建造され、牽引力は、初期のモデル(Rogers Locomotive Works製)の18,000ポンドから、後期モデル(Brooks Works製)では25,000ポンド近くに増大した。1896年に最後の1両が製造される頃には、カスケード越えでの牽引力は限界に近づき、更なる輸送力増強が必要不可欠なものとなっていた。鉄道は以前にも増して多くのビジネスに対応しなければならなくなっていたのである。結果として、モーガルは支線に追いやられ、1940年には、スポーカンにNo.453-461のわずか9両が残るだけになった。1942年には、それ以上の運用は難しくなり、これらのモーガルも廃車となっている。
 Brooks Worksは、GNの要請に応えて、4-4-0の2倍の能力をもつマストドン4-8-0を送り出した。1891年のモデル、クラスG-1の牽引力は26,000ポンドに達した。これに続く、G-2、G-3(Rogers Locomotive Works)、G-4は32,000ポンドを超えた。最後のシリーズのG-5の牽引力は42,000ポンドに達し、一時は世界最強の機関車となった―これは、機関助手が大食いする釜に石炭と水をきっちり供給できれば、だったが。GNはこのGクラスに重点的に投資したが、その成功期間は短いものだった。大型のG-5は、その遅さと複雑さによって早期の交代を余儀なくされた。若干のG-5は、カスケードの後補機として何年か残った。軽めでシンプルなG-3、G-4は、軽い軸重と適度なスピードを生かして、支線に活路を見出した。1942年、40両が、軽い軸重、比較的大きな牽引力、修理・維持の簡便さ等を必要とする、各地の支部に散在していた。軽めで遅めではあったが、このクラスは良い機関車だった。ただ考えてみると、こんなに多く生き残ったのは、この機関車の長所によってと言うよりは、たぶんそもそもの両数の多さを理由とすべきだろう。
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「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その1)

2005年06月23日 | Wood's Book翻訳
 1887年にマイノットを超えて西進するまで、そしてその後1990年代初頭にロッキーとカスケードの山々へと入っていくまで、GNの機関車は、他の多くの鉄道とそう異なっていたわけではなかった。機関車の多くは、アメリカンスタンダードの4-4-0で占められていた。これらの機関車は1862年のWilliam Crooksと似通ったもので、また、基本的には1840年代、50年代の小型の4-4-0の改善版であった。シンプルな4-4-0は、小さく初歩的な機関区の整備能力の範囲内にあった。機関車の運用と基本点は、エンジニアだけでなく機関士も良く理解していた。それで、機関車が故障したりすると、機関区まで足を引きずり、もつれさせながらも何とか戻って来させたものである。この種の機関車は、薪から石炭までどんな燃料でも燃やせ、給水も必要なときにはそこらの川からバケツで給水可能だった。アメリカンスタンダードの後ろに続く典型的な車両は、3、4両の軽量客車や十数両の小型貨車群であった。4-4-0こそ大西洋岸からミシシッピー川まで、貨物も旅客も運ぶ第一の機関車だった。そして、この機関車がセントラルパシフィック鉄道/ユニオンパシフィック鉄道をオマハからサクラメントまで作り上げたのである。
 4-4-0は、軽量列車を平坦で良い気候の時に牽引するのには十分な力を持っていた。しかし、勾配では、15,000ポンド程度の牽引力の単機では長い勾配を牽引することは難しいので、この小型の機関車を重連にする必要があった。そして、GNが、ロッキー山脈、更にはカスケードへと進んでいくと、そこを上るためには、4-4-0ではまったく不十分となった。人件費の上昇や機関車の故障発生で、重連や三重連でさえも一時しのぎにしかならなかった。
 そのときはまた、合衆国の西部への拡大も加速しており、運輸需要も急拡大していた。1889年には、1878年にJames J. HillがGNの前身であるSt. Paul & Pacificの総支配人になったときに比べ、GN(The Minneapolis, St. Paul & Manitoba)は主要路線延長を、283マイルから2,770マイルまで約10倍に拡大していた。路線は、パシフィックジャンクション駅で南に折れ、グレイトフォールズに達しており、移民と貨物は新しく開かれたダコタ州とモンタナ州の地域に流入し続けていた。ヤードは、素早く動かせない貨車で渋滞していた。深刻化していく問題の唯一の解決策は、数百トンではなく数千トンの単位で増加する貨物を運ぶことのできる、より大きくより早い機関車であった。
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「Wood’s Book」の翻訳掲載開始!

2005年06月22日 | Wood's Book翻訳
 グレートノーザン鉄道ファンにとって教科書とも言える本が、ファンの間では通称「Wood’s Book」と呼ばれる「The Great Northern Railway : A Pictorial Study by Charles & Dorothy Wood」です。1979年にPacific Fast Mail(PFM)社により出版されています。
 小生、個人的にこの本の和訳に取り組んできましたが、今般、天賞堂模型部様とPFM社様のご厚意により、小生の和訳をこのブログに掲載することをご承諾頂きました。(今後このブログに掲載される翻訳を、翻訳者及び発行者の許可を得ずに、無断で複写・複製・転載することは法律で禁じられています。Copy Right 2005 Hiroshi Suzuki and 1979 Pacific Fast Mail: All Rights Reserved)
 本の内容は、GNの創成期(第1章)、グレーシャー国立公園とGN(第2章)、カスケード峠越え(第3章)、山々を越えて(第4章)、オリエンタルリミテッドとエンパイヤビルダー(第5章)、蒸気機関車(第6章)、ディーゼル機関車(第7章)となっています。
 今回は、明日から、まず第6章「蒸気機関車」を、細切れになりますが2週間ほどかけて掲載したいと思います。
 地名については、アメリカ地名辞典(井上謙治、藤井基精編:研究社出版)によってなるべく日本語表記をするように努めました。
 いずれにしましても、素人の翻訳ですので、分かり難いところ、間違っているところ等あるかとは思いますが、御笑覧頂ければ幸甚に存じます。
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インドの鉄道 ダージリン鉄道の機関車

2005年06月18日 | インドの鉄道
(鈴木光太郎さんのコメントへの回答です)
 昨日のブログで紹介した洋書「Half Way to Heaven」からの情報です。
1.アメリカ製機関車
 有名なサドルタンクの機関車「Bクラス」の中に3両(No.39,40,41)の1917年ボールドウィン製の機関車が含まれています。
2.ガーラット
 1911年ベイヤーピーコック製のガーラット機関車があります。No31です。(写真)
3.他の機関車
 他にも外側台枠のパシフィック「Cクラス」が2両在籍していました(写真)。1914年North British Locomotive製のNo.37,38です。
 また、Bクラスを流線型化した機関車No.28もありました。
4.補助ディーゼル付Bクラス
 鈴木光太郎さんのコメントに添付されている写真の機関車は、私も始めて知りました。この本の中にも特段の記述は見つかりません。何か分かりましたら是非お知らせ下さい。
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インドの鉄道 ダージリン鉄道に感動!

2005年06月17日 | インドの鉄道
 このブログではグレートノーザン鉄道だけを扱おうと思っていたのですが、ちょっと脱線して、インドのダージリン・ヒマラヤン鉄道について書きます。
 というのも、昨日のNHK「探検ロマン世界遺産」でこの鉄道を取り上げていて、しかも映像が良く、すっかり感動してしまったからです。小生、仕事の関係で1993年から1997年までインド(ニューデリー)に住んでおりました。その間に2回ダージリンを訪問するチャンスがあり、昨日のテレビを見て、「あー、ここも行った、あそこも見た!!!」状態になってしまいました。
 番組でも触れられていましたが、イギリスに「Darjeeling Himalayan Railway Society」という団体があり、20カ国800名の会員を有しています。海外会員会費は20ポンドです。
さまざまな活動をしていますが、ダージリン訪問ツアーも主催しています。URLは、
http://www.dhrs.org/home.htm
です。
 また、ダージリン鉄道に関する本もたくさん出ていますが、その集大成ともいえるのが「Half Way to Heaven」(Terry Martin著、Rail Romances社発行)です。2000部しか発行されていないようですが、小生はNo.1633を保有しております。内容は非常に細かいだけでなく、写真、地図、図面、そして非常に美しいイラストもあって、ダージリンファンにはたまりません。
 ダージリンは、行くとなるとなかなか大変な場所ですが、ヒマラヤの見える季節にまた訪れてみたいものです。
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MNP社のレールクリーニングカー

2005年06月16日 | 模型・車両
 MNP社(Many New Products)のレールクリーニングカーです。本体は、モーター2機でそれぞれのレールを磨くパッドを回転させると言うものです。エンドレス1周でパッドはものの見事に真っ黒になりましたから、効果はあるものと思います。パッドは、硬いフェルトだけです。MNP社に何かクリーニング液(UNIクリーナー等)を使って湿式にしたほうが良いのか聞いてみたところ、乾式のままで良いとの回答でした。
 外装は、各鉄道会社のものがあるのですが、グレートノーザン鉄道がなかったので、ゴネたところ、MNP社の社長さんが無理を聞いてくれて、アサーンのビッグスカイブルーのハイキューブに収めてくれました。
 ちなみに、これまでは「網戸クリーナー」(簡単な取っ手にウェットティッシュのようなものをつけて掃除に使うもの。スーパーや100円ショップで売っています。)をレールクリーニングに愛用しておりました。MNPのレールクリーニングカーの価格は1万円ほどなのでちょっと高いですが、網戸拭きでの掃除にも疲れてきたので、まあいいかなと思っております。唯一の欠点はちょっと音がうるさいことくらいですかね。興味のある方は、以下のサイトを見てみてください。
http://www.mnpinc.com/
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ボールドウィンの機関車たち(P-2、S-1、S-2)

2005年06月15日 | 実物・車両
 gngoatのサイトにボールドウィンの機関車たち(P-2、S-1、S-2)に関するページが追加されました。
http://www.gngoat.org/baldwins_on_gn.htm
 これは、GNRHSのLindsay Korst氏が1939年2月に発行されたBaldwin Locomotives magazineをもとにまとめられたものです。内容は、P-2、S-1、S-2に関する歴史と、どの区間でこれらの機関車が活躍したか等詳細に渡っています。写真も何枚か含まれていますので是非ご覧下さい。上の写真はS-1です。

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eBayで初落札! 蒸気機関車S-1 (4-8-4)

2005年06月14日 | 一般
 日本のYahoo!オークションとアメリカのeBayは時々チェックしていますが、最近、eBayに天賞堂製のグレートノーザン鉄道の蒸気機関車S-1 (4-8-4)が出品されているのを見つけました。今まで、アメリカの模型屋さんから個人輸入をしたことはありましたが、eBayで初めて入札してみました。3人で落札を競うことになりましたが、幸運にもリーズナブルな価格で落札することができました。eBayにはあまりよくない噂もありますから、これから出品者との連絡や支払い等うまく行くのかちょっと心配ですが、とりあえずは始めての落札で嬉しく思っています。
http://search.ebay.com/great-northern_HO-Scale_W0QQcatrefZC12QQcoactionZcompareQQcoentrypageZsearchQQcopagenumZ1QQfromZR10QQfsooZ1QQfsopZ1QQftrtZ1QQftrvZ1QQga10244Z10425QQsacatZ19128
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GN トラック

2005年06月13日 | 模型・車両
 グレートノーザン鉄道では、TOFC(Trailer on Flat Car)を導入する以前、自社でトラック運送サービスを行っていました。1920年代からはじまり、戦後まで続きましたが、次第に長距離トラック輸送との競争が激しくなって厳しい時代を迎えていました。その後、1954年に、フラットカーにトレイラーを乗せるTOFCが導入され、この方式が発展していくことになります。
 模型は、アサーンのAmerican Trucks Ford C Cabover Box Vanです。2台保有しております。駅前においてあります。
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