グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その13。最後です)

2005年07月06日 | Wood's Book翻訳
 1930年代、40年代、50年代のGNの機関車に親しんでいる多くの人々にとって、GN機関車の目立った特徴は、その壮麗な外観にあった。P-2の導入とともに、グレートノーザンの機関車は、我々がもっとも良く覚えている外観を獲得している。ポンプで重い煙室、テンダー側面に描かれた誇り高いgoat(白ひげヤギ)、艶やかに美しくライトオリーブ色に塗られたボイラー等である。時間が経つと、この色はあせ、ライトグレーの色調を帯び始めるようになる。
 いわゆる「グレイシャーパークカラースキーム」で多くの機関車が作られてきたが、公式にはこのカラースキームは存在していないことになっている。しかし、カリスペル支部では、支部に配備された機関車の外観に誇りを持っており、多くの機関車がキャブの屋根と窓枠を、工事用車両や一部の貨車の標準GN色であるミネラルレッドかオキサイドレッドに塗装されていた。当初使用された赤は落ち着いた色であり、ウェザリングと重油の煤で時間が経つと更に落ち着いた色になった。旅客用機関車の煙室は、白と銀を混ぜた色で塗られており、「ホワイトフェース」の名で知られるようになった。シリンダーヘッドは、クロームか銀で塗られていた。1940年代にホワイトフィッシュで付け替えられる機関車を見た人は誰でもこのカラースキームを良く覚えているはずである。
 対照的に、GNの他の支部では、ほとんどの機関車は、標準的な、屋根は黒で煙室は銀かグラファイトであった。すべてのGNの機関車の足回り、テンダー、付属機器は黒であった。シリンダー側面とドーム類も黒が標準ではあったが、若干のバリエーションがあり、ドームにグリーンのバンドがあったり、シリンダー側面をグリーンに塗られたりしていた。展示されているGNの機関車の中には、足回りやランニングボードに白や銀が使われているものもあるが、実際に運用されていた間は、そのようなことは、ほとんど全く無かった。
 自社工場で製造できる場合は必ず自社工場で製造するのがGNの会社としての方針であった。グレートノーザン鉄道は、これを「地域の産業の振興、沿線の町々での給与所得の増大、できる限りの工場職員の雇用のためである。」と述べている。GNの蒸気機関車は、自社工場だけでそれぞれのクラスの中で最大(R-2)、最高(O-8とN-3)の機関車を製造したことにより、一言で言えば自社工場のおかげであるということができる。ボールドウィン社は方向を示しはしたが、GN自社工場は真に重要な機関車を製造してきた。多分これがGNの蒸機がこんなに長く記憶されている理由であろう。
 更に、第二次大戦が始まる頃には、機関車も運用部門も変化の準備を済ませていた。機関車だけではその鉄道を育てていくことができない時が来たのである。これに加えて、スピード、標準化、柔軟性が必要とされた。1939年のFT、ディーゼル機関車デモ機こそが目を覚まさせるものとなったのである。

(第6章は以上で終了です。)

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