沖縄・台湾友の会

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嘉手納町が「住み続けたい」ランキング1位の真実をマスコミが説明しない理由

2024-01-03 20:28:12 | 日記
沖縄・日本・アジア・世界 内なる民主主義

嘉手納町が「住み続けたい」ランキング1位の真実をマスコミが説明しない理由

沖縄タイムスが「住み続けたい街」ランキングで、九州・沖縄8県188自治体の頂点に輝いた理由を説明している。
元嘉手納町の担当だった記者は大東建託の発表の翌日に嘉手納町に行ったという。嘉手納町に着くや否や米軍戦闘機のごう音が町中に響いていたという。記者は嘉手納町の特徴を次のように述べている。
嘉手納町の約8割が米軍嘉手納基地が占めていて、戦前に住んでいた土地が米軍基地に接収された住民が多く、追いやられた人たちが、少しでも古里の近くにいたいと、残された狭隘(きょうあい)な土地に寄り集まるように家屋を建てた歴史がある。戦後の混乱期で、1軒の家で住民、建物所有者、地主がそれぞれ違い、権利関係が複雑に入り組み、そのまま現代に至っているケースも少なくない。加えて道路も狭く、建物が老朽化しても、建て替えやリフォームが難しい。それが嘉手納町である。
タイムス記者の説明では住み続けたい街ではなく住みたくない嘉手納町のように思ってしまう。

タイムス記者は「基地周辺では、あまりにひどい騒音を理由に住民が引っ越しを望み、国が買い取って空き地となっている国有地も目立ちます。今、住んでいる町民は、激しい騒音に耐えてでも、町に残ることを選んでいるのです」と述べている。タイムス記者は住みたくない町を無理やり住み続けたい町にしている。
 嘉手納町は戦闘機の爆音が激しく、道は狭く、住宅は密集しているという。そんな街に住みたいと思う市民はいない。嘉手納町を住みたくない町にイメージさせているタイムス記者である。タイムス記者の説明に納得する読者は少ないだろう。

嘉手納という地への並々ならぬ愛着、そして複雑な思いが「住み続けたい」ランキング1位の原因であるとタイムス記者は締めくくっている。古里への愛着は誰にでもある。古里への愛着が「住み続けたい」1位の原因になるはずがない。

 嘉手納町は戦前は北谷の一部であった。嘉手納飛行場が北谷を分断したのだ。分断された北谷の北部に位置する嘉手納は嘉手納村となった。戦後はバス移動の時代になったが、嘉手納はコザ市などの東側に移動する人たちのバス乗り場となった。コザ行きのバスは嘉手納から出発していた。恩納村、読谷村の人は嘉手納でコザ行のバスに乗り換えた。嘉手納は人々が集結する町となり栄えていった。
 嘉手納には二つの市場があり、4つの映画館、一つの芝居小屋、3つのパチンコ店があった。アメリカ兵相手のバー街も栄えた。戦後の嘉手納町は商業が栄えたのである。経済が発展するに従い北部や離島からの寄留民が増えた。寄留民の子孫は今も嘉手納町に住んでいる。タイムス記者は戦前からの地元民が棲み続けたと思っているが、実際は多くの寄留民が住むようになったのが戦後の嘉手納である。
 タイムス記者は嘉手納町が北谷町の一部であったこと、商業が栄えていたこと。寄留民が多くなったことを知らない。タイムス記者は嘉手納町の「住み続けたい」本当の理由を説明していない。いや、本当の理由を知っている。知っているのに書かないのだ。

数日前、居酒屋で友人と酒を飲んだ。嘉手納町が「住み続けたい」街の1位になったことを話した。友人も新聞に書いてあったと言った。そして、
「嘉手納はよう。学校の遠征費が無料だ。他の学校は自分で負担しなくてはならないのに嘉手納は役所が全部出す。だからだよ」」
と言った。嘉手納町はスポーツなどで生徒が本土に遠征する時の交通費は全て役所が出す。それだけではない。授業料など教育費のほとんどは役所が出す。父兄の負担はゼロに近いのが嘉手納町である。嘉手納町は社会保障も充実している。町民への金銭的な保証が充実しているのが嘉手納町なのだ。教育や社会保障が充実しているのが嘉手納町である。だから、「住み続けたい」ランクキングで1位になったのである。
 教育、社会保障を充実させているのが嘉手納飛行場の軍用地料である。嘉手納町の面積の約8割が軍用地である。8割の約4割は嘉手納町の所有地であり25億円の借地料が嘉手納町に入る。町の予算の25%である。嘉手納町は教育と社会保障に軍用地料を優先して支出している。
 嘉手納飛行場が嘉手納町を「住み続けたい」街の1位に押し上げているのである。反米軍基地のマスコミやオール沖縄、デニー知事が口にしたくない真実である



中国の海洋戦略、驚くほどの実利志向        櫻井よしこ

2024-01-03 20:26:26 | 日記
わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
                 頂門の一針 6735号 

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 中国の海洋戦略、驚くほどの実利志向
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           櫻井よしこ

日本ルネッサンス 第1078回

米政策研究機関「戦略予算評価センター(CSBA)」の上級研究員、トシ・ヨシハラ氏は中国人民解放軍(PLA)の海洋戦略研究における第一人者だ。その人物による近著『毛沢東の兵、海へ行く』(扶桑社、田北真樹子訳)は衝撃的だった。

今でこそ、米国に迫る海軍大国だが、中国は元々陸軍の国だと定義されてきた。彼らの海軍への関心は1970年代まで希薄で、トウ小平の改革開放を機にようやく海洋に目が向けられるようになり、トウの指示によって劉華清が人民解放軍海軍(PLAN)を本格的に創り上げたというのが、これまでの解釈だった。私もそう考えていた。だが、そのとらえ方は間違っていたことをヨシハラ氏が喝破した。

毛沢東は蒋介石の国民党軍との戦いを通して早くも1940年代終わりには海軍建設の必要性に目醒めていた。蒋介石が台湾に逃れたことから、国共内戦で国民党軍を排除し、確実に勝利するには海軍力が必要なことに否応なく気づかされたと、ヨシハラ氏は指摘する。

ヨシハラ氏はPLAが、自らが戦った数々の海戦の歴史から学び、現代の戦略・作戦思想に活かしていることに留意する。その観点から、過去を序幕ととらえて将来予測につなげることが大事だと指摘する。現在の中国にとって紛争の危機となる可能性が最も高いのは台湾、東シナ海、南シナ海だ。中国との対立が考えられるこれらの海域の問題に関してヨシハラ氏の警告を深く読みとることが大事なゆえんだ。

毛沢東は国民党に勝利し、49年10月1日に中華人民共和国を樹立したが、海軍創設を決断したのはそれより前の同年1月8日、中国共産党中央政治局会議でのことだった。その時すでに毛沢東らは中国海軍建設に敵である国民党軍の力を利用することを考えていた。

毛沢東と2時間会談

ヨシハラ氏はその背景として当時の国民党軍の混乱振りを詳述している。たとえば46年6月1日から49年1月31日までの間に、国民党軍は500万人近い兵を失い、うち4分の3は共産党に投降したという。49年2月にはフリゲート艦「黄安」と巡洋艦「重慶」の乗組員が相次いで蒋介石に反乱を起こした。重慶は中華民国軍の旗艦であり国民党軍の誇りだった。その反乱に国民党は大打撃を受け、毛沢東は喜んだ。

毛は3月末、重慶の将兵と乗員に向けて「あなた方はやがて(人民解放軍の)海軍建設に参加する先駆者となる」と祝福の電報を送った。

中国共産党の海軍立ち上げの責務を任されたのは39歳の陸軍将校、張愛萍(ちょうあいへい)だった。張は中等教育を受けただけの15歳で革命に身を投じた。「長征」の行軍にも参加した。だが海に関してはおよそ無知だった。その彼に求められていたのは、PLAの海軍(PLAN)を立ち上げるための人材確保だった。チャンスはすぐにやってきた。

49年4月25日、南京近郊の揚子江に展開していた国民党軍の海防第2艦隊で反乱が起きたのだ。反乱軍はその先どうするのか。張は国民党軍の将校や人員を味方に取り込むべく、第2艦隊司令官の林遵少将の説得に乗り出した。

林は国民党政権ではエリート一族の出だった。父親はそれより半世紀前の日清戦争に参戦した北洋艦隊の将校であり、林自身は煙台海軍学堂を卒業後、英国の王立海軍大学で学んだ。張は直接間接に、林に対して、1)共産党の大義、2)共産党こそ中国の遠い将来を見据えていること、3)報復に関心はないことを伝えた。林の信頼を得るために張は反乱軍への給料の支払いと配給を復活させた。

結局、林は共産党側の熱心な説得を受け入れ第2艦隊を共産党軍に引き渡した。共産党は林に報いて彼を華東海軍の副司令官、東海艦隊の副司令官、軍事科学院の軍事学主任などに昇進させた。

国民党軍幹部の取り込みはPLA海軍建設に欠かせなかったが、都会育ちで学歴のある国民党の軍人たちと、多くが農民出身で教育も不十分な共産党の軍人たちの和解は容易ではなかった。相互不信が拭い切れない中、49年8月、中国共産党指導部が動き出した。朱徳、劉少奇、聶栄臻、周恩来の4人が林をはじめとする元国民党軍の大物4名を招いたのだ。さらに彼らは中南海で毛沢東と2時間会談した。

毛は元国民党海軍将校たちは国家の宝だと言い切った。最高指導者、毛がわざわざ元国民党の幹部らと会ったのである。こうした努力を重ねる彼らの姿を知るにつけ、どんな時にも実利に基づいて行動する中国共産党の手法には感心するばかりだ。

「弱者は強者に勝る」

毛との会談によって共産党軍と元国民党軍の相互不信は薄らいだかもしれない。それでもかつて内戦で殺し合った両軍の和解は簡単ではないだろう。事実、張は自分の部下が元国民党関係者の政治的信頼性を疑い、共有すべき情報を渡していないことに気づいた。張は直ちに情報共有を指示し、さらに元国民党軍人らの生活水準を維持することにこだわった。中国全体が貧しい中で、元国民党軍人らには白米など高品質の主食を振り分け、共産党幹部らは玄米などを食べた。又、元国民党軍人には給料を遅滞なく払い、現金不足のときは現物支給でしのいだ。

手厚い待遇を受けて元国民党軍人たちは中国共産党軍に協力し、共産党が必要とする海軍に関するおよそ全ての情報や技術を伝授した。その後、彼らはどうなったのだろう。

林遵少将の事例に見られるように、各人が時の経過と共に出世したのは事実が示すとおりだ。だが、ヨシハラ氏は「払拭できない疑問」として共産党軍と国民党軍の和解について「内戦を過去のものにしようとする取り組みは物語以上にはるかに議論を呼んだ可能性がある」と書いている。実際、元国民党軍人を共産党軍に引き入れ、PLA海軍初代司令官となった張の在任期間(49年4月~51年2月)に、毛沢東が元国民党軍を含む人民に対してイデオロギー戦を開始し、それを次第に強化したこと、朝鮮戦争が元国民党軍の忠誠に対する疑念を強めたこと
、文化大革命に至る一連の反革命運動は元国民党軍には厳しかったであろうことを指摘している。これは中国に対する認識として大事な点であろう。

だが、何と言われようとも、中国共産党は殆どゼロから海軍を立ち上げた。中国の公式な説明において中国海軍は、初期の海戦で創意工夫と熱烈な祖国愛で不利な形勢を克服し、技術的にも物理的にも圧倒的優勢な敵に勝利したと解説されている、とヨシハラ氏は指摘する。中国共産党はこの歴史的解釈を将校以下中国の軍人、国民を鼓舞し動機づけするために繰り返し彼らの意識に刷り込んできたともいう。こうして「弱者は強者に勝る」という考えが定着し、現在も中国軍に深く浸透しているというのである。彼らの大戦略について、
もっと深く知らなければならないと痛感させられた書である。         


米国への不法移民は絶滅した筈の病原菌ももちこんだ   バイオテロと言えなくもない、全米で奇病が蔓延しはじめた

2024-01-03 20:25:17 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024)1月3日(水曜日)
        通巻第8079号   
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 米国への不法移民は絶滅した筈の病原菌ももちこんだ
  バイオテロと言えなくもない、全米で奇病が蔓延しはじめた
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2023年に米国へ雪崩れ込んだ不法移民はおよそ250万人。過去最高記録を更新した。中国人が1万人以上含まれるが、中南米を軸に、160の国々からやってきた。
 うけ入れた米国のあちこちで難民対策の予算が急激に膨らみ、地方自治体は財政破綻に陥ったほか、治安の悪化、犯罪の急増など、この問題がバイデン不人気のおそらく最大の原因だろう。

 あまつさえ「珍しい」病気が持ち込まれた。
絶滅したポリオ患者がNYCででた。 ニューヨークでポリオ症例は1990年以来無かった。
結核感染者の88%は米国外で生まれた人々、フロリダ州ではバイデン政権になって以来、結核者数が21%増加した。テキサス州では、結核率が全国平均の 3 倍となった。

水痘が発生し、各地の移民保護施設が壊滅状態となった。2000年に米国で撲滅が宣言された麻疹が発生した。マラリア、も拡がった。

現在、医療機関は次の病気への対処を急いでいる。
炭疽菌、細菌性膣炎 、気管支炎、クラミジア 、大腸炎、武漢肺炎、淋病、ジアルジア症
シラミ、咽頭炎、ペスト(バイオテロ)、リケッチア感染症、疥癬、赤ブドウ球菌感染症
副鼻腔炎 皮膚感染症、梅毒、破傷風 野兎病(バイオテロ)、尿路感染 、膣カンジダ症。
 もし反米のテロ集団が、意図的に病原菌を持ち込んでいるとすれば(考えられないことではない)、米国の医療壊滅という怖ろしいシナリオになりかねない。

 思い出したい。
 日本がコロナ対策で予備費では足りず、補正予算を令和四年(2022年)だけでも三回組んだ。総額77兆円!(防衛費の十倍)
 国民ひとりあたり61万円という計算になる。
 移民を増やせというのが岸田政権の掲げる政策。抜本的な再考が必要ではないのか。