札幌の最果てに存在する謎の遺跡・・・。
↓こんな道をひたすら進む。行き止まりに目指すバッタ塚が存在する。
札幌の最西端。隣はすぐ小樽市というこの辺りはうっそうとした森で、人家なんてものは見当たらない。もはや完全に”僻地”である。そんな場所に、「バッタ塚」という奇妙な名前の遺跡がある。その存在は札幌市民にすらもあまり知られていないが、札幌の歴史を語る上では絶対に外してはいけない場所なのだ。
時は1880年にさかのぼる。当時、札幌では数え切れないほどのバッタにより、豊作物が壊滅的な被害を受けていた。十勝で異常発生したトノサマバッタが、札幌に渡ってきたのである。当時の開拓者にとって、これはとんでもない大損害であった。そこで、役所や開拓民は、これ以上の被害を出さないためにある処置をとった。大量のバッタとその卵を捕らえ、地面深くに埋めたのである。それが、今回紹介するバッタ塚だ。
↓ようやくたどり着いたバッタ塚。何もないけど・・・。
昔は札幌のあちこちにバッタ塚があったのだが、宅地化されたりしてしまっため、現在残っているのは手稲区にあるこのバッタ塚だけである。昭和53年に札幌の史跡(文化財)にも指定されている。
バッタ塚に向かう道は1本しかなく、先ほども述べたように、あたりには草木が生い茂っていて、何もない。時々、スキモノが見学しに来るくらいで、普段はとても静かなところだ。開拓時代の苦労を物語る貴重な遺跡であるバッタ塚は、ほとんど誰にも知られることなく、今日も札幌のはずれにひっそりと存在している。
バッタ塚・・・手稲区山口324(おたるドリームビーチへ向かう道を右折してしばらく進みます。)
(2008年取材。かつてホームページで公開していた記事に加筆・修正しました。)
↓こんな道をひたすら進む。行き止まりに目指すバッタ塚が存在する。
札幌の最西端。隣はすぐ小樽市というこの辺りはうっそうとした森で、人家なんてものは見当たらない。もはや完全に”僻地”である。そんな場所に、「バッタ塚」という奇妙な名前の遺跡がある。その存在は札幌市民にすらもあまり知られていないが、札幌の歴史を語る上では絶対に外してはいけない場所なのだ。
時は1880年にさかのぼる。当時、札幌では数え切れないほどのバッタにより、豊作物が壊滅的な被害を受けていた。十勝で異常発生したトノサマバッタが、札幌に渡ってきたのである。当時の開拓者にとって、これはとんでもない大損害であった。そこで、役所や開拓民は、これ以上の被害を出さないためにある処置をとった。大量のバッタとその卵を捕らえ、地面深くに埋めたのである。それが、今回紹介するバッタ塚だ。
↓ようやくたどり着いたバッタ塚。何もないけど・・・。
昔は札幌のあちこちにバッタ塚があったのだが、宅地化されたりしてしまっため、現在残っているのは手稲区にあるこのバッタ塚だけである。昭和53年に札幌の史跡(文化財)にも指定されている。
バッタ塚に向かう道は1本しかなく、先ほども述べたように、あたりには草木が生い茂っていて、何もない。時々、スキモノが見学しに来るくらいで、普段はとても静かなところだ。開拓時代の苦労を物語る貴重な遺跡であるバッタ塚は、ほとんど誰にも知られることなく、今日も札幌のはずれにひっそりと存在している。
バッタ塚・・・手稲区山口324(おたるドリームビーチへ向かう道を右折してしばらく進みます。)
(2008年取材。かつてホームページで公開していた記事に加筆・修正しました。)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます