2024年1月15日(2日目) ~日の入る西~
旅の高揚感でいまいち深く眠れないまま、与那国島での朝を迎えた。
本日は一日いっぱい使い、レンタサイクルでの島内観光を予定している。
最大の目的地はもちろん、西の突端「西崎(いりざき)」にある「日本最西端」の石碑である。
天気予報を確認すると午後から少しずつ雲行きが怪しくなり、夕方ごろにはひと雨降るらしい。
晴れているうちにさっさと動き出そうと、朝7時半すぎに宿を出た。
昨夜一緒に語り合ったK岡さんとN村さんも同じ計画のようだが、まだ薄暗い宿の廊下に姿は無かった。
K岡さんは泡盛「どなん」で酔いつぶれてまだ起きていない可能性が高い。
N村さんは普段から夜中の3時には起床しているそうなので、もしかしたらもう出発しているのかもしれない。
まだ朝日が昇り始めたばかりの静かな集落内を歩き、10分ほどで予約している「与那国ホンダ」へ到着した。島で数少ないレンタサイクルのサービスを行っている店である。
今回、宿泊地を祖納集落内のあの宿に決めたのは、この店が徒歩圏内だったためだ。
ちょうど開店時間の午前8時を回ったところだが、店舗の扉は開いているものの誰もいない。
店内にお邪魔させてもらい数分待っていると、ようやく軽トラがやってきて店員のおじさんが現れた。
なんとも不用心だが、島にいる人間が限られているので窃盗の心配は無いのかもしれない。これも離島ならではか。
レンタサイクルは3段変速のごく普通のママチャリで、料金は午後6時の閉店までで1日2000円。
手続きを終え自転車を受け取る時、おじさんに「テキサスゲートは押して通ってね」と言われた。
島外の人間からすると「なんのこっちゃ」だが、幸い島内の注意事項は予習していたので難なく理解した。
周囲約28キロの与那国島は島をぐるりと一周する道路が延びていて、車だと1時間ほどで走破できるらしい。
30キロ程度の距離なら大丈夫だろうと、せっかくなので今日はこのルートを使い、自転車で与那国島一周を成し遂げたいと思っている。
ただ、島のガイドブックを読むと起伏が多いとのことで、どの媒体もノーマル自転車は推奨していなかった。
どれほどの起伏なのかは分からないが、2014年にママチャリで札幌→稚内宗谷岬350キロを走破している私にはそれなりの自信があった。
天候不良など、いざという時は島の反対側・比川集落から祖納に戻ってくる南北縦断道があるので島半周でお茶を濁そう。
まずは何と言っても、天気が良いうちに「日本最西端の碑」が見たいので、集落から西へ向けて反時計回りで出発した。
昨夕に散歩していた時から抜群の存在感を放っていた、祖納集落を見下ろすテーブル状の岩山がどんどん迫ってくる。
「ティンダバナ」と呼ばれる国指定の名勝なのだそうだ。何やら神聖な雰囲気がある。
岩の中腹にある展望台には徒歩で比較的容易に登れるようなので、後で体力が残っていたら行ってみたい。
ティンダバナの麓を抜け、与那国空港方面に進んでゆく。
なるほど確かに、集落が終わった直後からダラダラとした上り勾配が現れ、すぐに息が上がった。
2キロほど走ると空港へ。ビルと滑走路を横目に通り過ぎ、何もない直線道路をひたすら進む。
10~15分ほどで、最西端の久部良(くぶら)の集落に到着した。目指す碑がある「西崎」まで1.6キロの看板が現れ、いよいよといった感じである。
集落の中心部にある与那国町漁協の食堂では、リーズナブルなお値段でさまざまなカジキ料理が味わえる「カジキ定食」があるとの事だったが、残念ながら現在は営業休止中のようだ。
石垣港からの「ゲロ船」が入港する久部良漁港。ここが与那国島の第2の玄関口だ。
またダイビング客を乗せたボートや観光船もここから出港するようだ。
漁港からは最西端の西崎がついに見えた。西崎灯台が朝日に照らされよく目立つ。
近くの砂浜「ナーマ浜」でひと休憩したあと、いよいよ突端へ向け出発。
「日本最西端」の案内看板があり、島一周道路から外れて急勾配の一本道がヒョロヒョロと延びている。
自転車を押して坂を上りきった行き止まりに、カジキのモニュメントと「最西端の展望台」の文字があった。
カジキの鼻先が示す先に綺麗な遊歩道があり、自転車を置いて歩いていくと……。
ついに見えた。
地理の教科書で知り、ずっと憧れだった場所。
写真でしか見た事がない、しかしながら何度も何度も見ているのでお馴染みの石碑。
夢にまで見た地である。
2024年1月15日、午前9時5分ー。
東経122度55分57秒、北緯24度27分05秒。
ついに念願の日本最西端の碑への到達を果たした。
ここまで来ることを何年夢見ていたことか。
来るのに苦労しそうだなとずっと思っていたが、私の足でも到達できる場所なんだな。
石灰岩だろうか、碑の置かれた独特の質感の岩と、周りを囲む亜熱帯植物が遠くへ来たものだと実感させてくれる。
そして「日本国」という表記がいかにも最果てらしくて良い。
空気が澄んだ日には111キロ先の台湾が見えるそうだが、残念ながらこの日は見えず。
碑のすぐ近くに一段高い展望台があり、私以外誰もいない西崎全体と久部良漁港、そしてこれから向かう「南牧場線」を見下ろすことができた。
日本最西端への到達を家族らへ知らせるべく、スマホで慣れない自撮りを試みたのだが、カメラに映る自分の顔を見て絶句。
こんなに老けていたっけ……。
10枚近く撮影して確認するも、肌の張りが無く頬の皮膚が垂れ下がっている。
そもそも自撮りの体制は顔つきが美しく映らないらしいが、それでもこの顔はいくらなんでも酷すぎる。
家族LINEへの画像投下は静かに諦めた。
また、岩にデジカメをセットしてセルフでも撮影したが、今度は体型が気になる。
生まれてからずーっと、周りから心配されるほどの痩せ形だったのだが、三十路になった途端に10キロ以上増量したのだ。
ようやく標準体重になれたのは嬉しいが、こんなに極端に体質は変化するものなのか、と改めて思う。
今回は「三十路記念の旅」であるが、図らずも西の最果てで老いを実感し少し悲しくなるのであった。
次回、コトー先生になる。
続く。
旅の高揚感でいまいち深く眠れないまま、与那国島での朝を迎えた。
本日は一日いっぱい使い、レンタサイクルでの島内観光を予定している。
最大の目的地はもちろん、西の突端「西崎(いりざき)」にある「日本最西端」の石碑である。
天気予報を確認すると午後から少しずつ雲行きが怪しくなり、夕方ごろにはひと雨降るらしい。
晴れているうちにさっさと動き出そうと、朝7時半すぎに宿を出た。
昨夜一緒に語り合ったK岡さんとN村さんも同じ計画のようだが、まだ薄暗い宿の廊下に姿は無かった。
K岡さんは泡盛「どなん」で酔いつぶれてまだ起きていない可能性が高い。
N村さんは普段から夜中の3時には起床しているそうなので、もしかしたらもう出発しているのかもしれない。
まだ朝日が昇り始めたばかりの静かな集落内を歩き、10分ほどで予約している「与那国ホンダ」へ到着した。島で数少ないレンタサイクルのサービスを行っている店である。
今回、宿泊地を祖納集落内のあの宿に決めたのは、この店が徒歩圏内だったためだ。
ちょうど開店時間の午前8時を回ったところだが、店舗の扉は開いているものの誰もいない。
店内にお邪魔させてもらい数分待っていると、ようやく軽トラがやってきて店員のおじさんが現れた。
なんとも不用心だが、島にいる人間が限られているので窃盗の心配は無いのかもしれない。これも離島ならではか。
レンタサイクルは3段変速のごく普通のママチャリで、料金は午後6時の閉店までで1日2000円。
手続きを終え自転車を受け取る時、おじさんに「テキサスゲートは押して通ってね」と言われた。
島外の人間からすると「なんのこっちゃ」だが、幸い島内の注意事項は予習していたので難なく理解した。
周囲約28キロの与那国島は島をぐるりと一周する道路が延びていて、車だと1時間ほどで走破できるらしい。
30キロ程度の距離なら大丈夫だろうと、せっかくなので今日はこのルートを使い、自転車で与那国島一周を成し遂げたいと思っている。
ただ、島のガイドブックを読むと起伏が多いとのことで、どの媒体もノーマル自転車は推奨していなかった。
どれほどの起伏なのかは分からないが、2014年にママチャリで札幌→稚内宗谷岬350キロを走破している私にはそれなりの自信があった。
天候不良など、いざという時は島の反対側・比川集落から祖納に戻ってくる南北縦断道があるので島半周でお茶を濁そう。
まずは何と言っても、天気が良いうちに「日本最西端の碑」が見たいので、集落から西へ向けて反時計回りで出発した。
昨夕に散歩していた時から抜群の存在感を放っていた、祖納集落を見下ろすテーブル状の岩山がどんどん迫ってくる。
「ティンダバナ」と呼ばれる国指定の名勝なのだそうだ。何やら神聖な雰囲気がある。
岩の中腹にある展望台には徒歩で比較的容易に登れるようなので、後で体力が残っていたら行ってみたい。
ティンダバナの麓を抜け、与那国空港方面に進んでゆく。
なるほど確かに、集落が終わった直後からダラダラとした上り勾配が現れ、すぐに息が上がった。
2キロほど走ると空港へ。ビルと滑走路を横目に通り過ぎ、何もない直線道路をひたすら進む。
10~15分ほどで、最西端の久部良(くぶら)の集落に到着した。目指す碑がある「西崎」まで1.6キロの看板が現れ、いよいよといった感じである。
集落の中心部にある与那国町漁協の食堂では、リーズナブルなお値段でさまざまなカジキ料理が味わえる「カジキ定食」があるとの事だったが、残念ながら現在は営業休止中のようだ。
石垣港からの「ゲロ船」が入港する久部良漁港。ここが与那国島の第2の玄関口だ。
またダイビング客を乗せたボートや観光船もここから出港するようだ。
漁港からは最西端の西崎がついに見えた。西崎灯台が朝日に照らされよく目立つ。
近くの砂浜「ナーマ浜」でひと休憩したあと、いよいよ突端へ向け出発。
「日本最西端」の案内看板があり、島一周道路から外れて急勾配の一本道がヒョロヒョロと延びている。
自転車を押して坂を上りきった行き止まりに、カジキのモニュメントと「最西端の展望台」の文字があった。
カジキの鼻先が示す先に綺麗な遊歩道があり、自転車を置いて歩いていくと……。
ついに見えた。
地理の教科書で知り、ずっと憧れだった場所。
写真でしか見た事がない、しかしながら何度も何度も見ているのでお馴染みの石碑。
夢にまで見た地である。
2024年1月15日、午前9時5分ー。
東経122度55分57秒、北緯24度27分05秒。
ついに念願の日本最西端の碑への到達を果たした。
ここまで来ることを何年夢見ていたことか。
来るのに苦労しそうだなとずっと思っていたが、私の足でも到達できる場所なんだな。
石灰岩だろうか、碑の置かれた独特の質感の岩と、周りを囲む亜熱帯植物が遠くへ来たものだと実感させてくれる。
そして「日本国」という表記がいかにも最果てらしくて良い。
空気が澄んだ日には111キロ先の台湾が見えるそうだが、残念ながらこの日は見えず。
碑のすぐ近くに一段高い展望台があり、私以外誰もいない西崎全体と久部良漁港、そしてこれから向かう「南牧場線」を見下ろすことができた。
日本最西端への到達を家族らへ知らせるべく、スマホで慣れない自撮りを試みたのだが、カメラに映る自分の顔を見て絶句。
こんなに老けていたっけ……。
10枚近く撮影して確認するも、肌の張りが無く頬の皮膚が垂れ下がっている。
そもそも自撮りの体制は顔つきが美しく映らないらしいが、それでもこの顔はいくらなんでも酷すぎる。
家族LINEへの画像投下は静かに諦めた。
また、岩にデジカメをセットしてセルフでも撮影したが、今度は体型が気になる。
生まれてからずーっと、周りから心配されるほどの痩せ形だったのだが、三十路になった途端に10キロ以上増量したのだ。
ようやく標準体重になれたのは嬉しいが、こんなに極端に体質は変化するものなのか、と改めて思う。
今回は「三十路記念の旅」であるが、図らずも西の最果てで老いを実感し少し悲しくなるのであった。
次回、コトー先生になる。
続く。