※2018年1月訪問
今年1月末、関東地方に大雪が降ったあの日、私は東京都心にいた。
本社での研修を間近に控えていた関係で、運悪く東京のメンバーとの打ち合わせが入っていたのだ。
空港からバスで移動中にチラチラと雪が降り出し、都内に入るころには本降りに。
鉄道ダイヤが乱れつつあるなか、雪まみれの山手線で何とか渋谷まで辿り着くも、スクランブル交差点は既に吹雪。
そのうち鉄道が完全に止まってしまい、私は渋谷に軟禁状態に。
当然、他のメンバーも集合場所まで移動できるはずもなく、あえなく打ち合わせは中止。上部からも早上がりの指示が出ていたようだ。
なんてこった。せっかく自身のポケットマネーで東京まで来たというのに。
虚しさとイライラと不安が入り交じった最悪な気分で渋谷駅に立ち尽くす…。
ともかく移動もできず何もすることがないので、早々に駅前のカプセルホテルにチェックインし、その日は天候回復を待つことにした。
夜間に食糧調達のため外に出てみると、シャーベット状の雪が街じゅうに積もっており、東京都内とは思えない風景に。
そこらじゅうに坂道を登れなくなった車が立ち往生しており、さながら地獄絵図。
もうこの日は外に出ないのが最善だと思い、コンビニで割引の弁当を買い込み早々にホテルへと戻った。
翌日。
ホテルを出ると晴れ間が広がっており、積もった雪も少しずつ融け始めているようだ。
ダイヤは乱れているものの、鉄道も運行しているようで一安心。
次の日は普通に仕事なので札幌へ帰らなくてはならないのだが、このままとんぼ返りするのも面白くないので、ちょっくら近場の気になっていた場所を訪問することにした。
その場所とは、神奈川県横浜市にあるJR鶴見線「国道」駅。
かねてより昭和好き、鉄道好きには有名なスポットで、私も以前から様々な噂を聞いており一度訪問したいと思っていたのだ。
「ガード下に取り残された昭和空間」「近くに第二次世界大戦の銃弾の跡が残る…」。
話を聞いただけでも「異空間」であるという事は容易に分かる。
という事で午前10時の京浜東北線に乗り、鶴見線の起点である「鶴見」駅で下車。
混雑したホームを歩いて鶴見線の改札を通ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように閑散としている。
行き止まり式のホームに止まる車両は、先ほどの京浜東北線10両超に対し何と3両編成。車内アナウンスも車掌さんによる肉声放送だ。
この場面転換が、既に別世界の鉄道に乗り込んでしまったような感覚でワクワクしてしまう。
鶴見線は、鶴見から川崎の京浜工業地帯へと向かう短い路線だ。
鶴見~扇町間を結ぶ本線(7.0キロ)と、分岐する海芝浦支線(1.7キロ)・大川支線(1.0キロ)からなり、沿線には工場が多いため、利用者は工場関係者とその近隣の住民がほとんどと思われる。
都心に近いにも関わらず、のんびりとしたローカル路線の雰囲気が漂っているのはそのためであろう。
相変わらずの肉声放送ののち、いよいよ発車。
3両編成の電車は高架を大きくカーブし低速で進む。
目指す国道駅は起点の鶴見駅の隣駅であるため、2分ほどですぐに到着。
私のほかに降りたお客さんは居なかった。
さぁ、いよいよ念願の国道駅だ。
少しカーブした短い高架ホームには人はまばら。
アーチ形をした曲線の屋根が既に古めかしい雰囲気を感じさせる。見晴らしも良くなかなか良いロケーションの駅だ。
階段を降りると、すぐさま分厚いコンクリートで造られた空間に足を踏み入れることになる。
薄暗い地下世界へ潜っていくようで気分が高まる。
そして無人の改札を抜けると……。
いよいよ国道駅名物、ガード下の異空間が始まる。
国道駅は1930(昭和5)年に開業したそうだが、噂によると構内の様子はほとんど開業時のまま変わっていないという。
噂にたがわず、周囲から取り残された昭和空間であるといえよう。
人もまばらな通路を歩いてみると、戦前の生活道路を歩いているかのような錯覚にとらわれてしまい、まさに昭和へタイムスリップ。
もはや映画のセットとしか思えないような、恐ろしく時代を感じる手書き看板に感動する。
何件か店舗や住居が入居しているが、これらも開業当時からのものだというから驚きだ。
「やきとり 国道下」という店名が何とも味わい深い。
ある建物の入り口にはこんなプレートが。なんと「昭和82年」の記載があり、やはりこの場所は昭和のまま時が止まっているのだなと実感してしまう。
その向かいには無駄に広い共用のトイレがあったのだが、構内と同じく壁はコンクリむき出しで年季が入っており、明るい雰囲気とは言い難い。
上下線ホームをつなぐ連絡通路から、ガード下の風景を覗きこむ。何とも変わった構造の駅だ。
地元住民が抜け道として時折通るのみで人は少ないが、駅自体は30分に1本のペースで電車が止まり、アクセスの良さはまずまずといったところだ。
品川から20分弱でこんな異空間にトリップできるというのは驚きである。
さすがに自動券売機とIC改札機が設置されているが、券売機の下にある棚は有人窓口時代の名残であろう。
また現在では撤去されてしまっているが、過去の写真を見ると数年前まで木製の改札台も残っていたようだ。
駅の外へ出てみる。駅名の由来にもなった国道15号線が目の前を通っており、ガード下と違って賑やかだ。
そしてちょうど画像に映っている右側、コンクリートの建物の中断あたりに、噂の通りに歴史を感じる痕跡が残っていた。
コンクリート部分に残る小さな凹凸。これが第二次世界大戦時、横浜大空襲で生じた機関掃銃の銃弾の跡である。
建物の所々に似たような凹凸があったのだが、これも同様の跡なのだろうか?
現在は崩落防止のためネットが張られている。
高架の反対側に出てみると住宅街の裏道に通じており、駅の利用者の自転車が多く停められていた。
そしてこちらにも、歴史を感じる昭和期の装飾が見受けられ、思わず見惚れてしまった。
駅から高架沿いに少し歩いてゆくと、すぐに鶴見川の土手へと出ることができた。
少し風は強いが、昨日の大雪が嘘のように晴れ渡っており、日差しが川面に反射して美しい。
ようやく関東に来てよかったなと思えた瞬間だった。
さて、この後は同じ鶴見線内にある、これまた有名な「へんな駅」を訪問してみようと思う。
続く。
今年1月末、関東地方に大雪が降ったあの日、私は東京都心にいた。
本社での研修を間近に控えていた関係で、運悪く東京のメンバーとの打ち合わせが入っていたのだ。
空港からバスで移動中にチラチラと雪が降り出し、都内に入るころには本降りに。
鉄道ダイヤが乱れつつあるなか、雪まみれの山手線で何とか渋谷まで辿り着くも、スクランブル交差点は既に吹雪。
そのうち鉄道が完全に止まってしまい、私は渋谷に軟禁状態に。
当然、他のメンバーも集合場所まで移動できるはずもなく、あえなく打ち合わせは中止。上部からも早上がりの指示が出ていたようだ。
なんてこった。せっかく自身のポケットマネーで東京まで来たというのに。
虚しさとイライラと不安が入り交じった最悪な気分で渋谷駅に立ち尽くす…。
ともかく移動もできず何もすることがないので、早々に駅前のカプセルホテルにチェックインし、その日は天候回復を待つことにした。
夜間に食糧調達のため外に出てみると、シャーベット状の雪が街じゅうに積もっており、東京都内とは思えない風景に。
そこらじゅうに坂道を登れなくなった車が立ち往生しており、さながら地獄絵図。
もうこの日は外に出ないのが最善だと思い、コンビニで割引の弁当を買い込み早々にホテルへと戻った。
翌日。
ホテルを出ると晴れ間が広がっており、積もった雪も少しずつ融け始めているようだ。
ダイヤは乱れているものの、鉄道も運行しているようで一安心。
次の日は普通に仕事なので札幌へ帰らなくてはならないのだが、このままとんぼ返りするのも面白くないので、ちょっくら近場の気になっていた場所を訪問することにした。
その場所とは、神奈川県横浜市にあるJR鶴見線「国道」駅。
かねてより昭和好き、鉄道好きには有名なスポットで、私も以前から様々な噂を聞いており一度訪問したいと思っていたのだ。
「ガード下に取り残された昭和空間」「近くに第二次世界大戦の銃弾の跡が残る…」。
話を聞いただけでも「異空間」であるという事は容易に分かる。
という事で午前10時の京浜東北線に乗り、鶴見線の起点である「鶴見」駅で下車。
混雑したホームを歩いて鶴見線の改札を通ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように閑散としている。
行き止まり式のホームに止まる車両は、先ほどの京浜東北線10両超に対し何と3両編成。車内アナウンスも車掌さんによる肉声放送だ。
この場面転換が、既に別世界の鉄道に乗り込んでしまったような感覚でワクワクしてしまう。
鶴見線は、鶴見から川崎の京浜工業地帯へと向かう短い路線だ。
鶴見~扇町間を結ぶ本線(7.0キロ)と、分岐する海芝浦支線(1.7キロ)・大川支線(1.0キロ)からなり、沿線には工場が多いため、利用者は工場関係者とその近隣の住民がほとんどと思われる。
都心に近いにも関わらず、のんびりとしたローカル路線の雰囲気が漂っているのはそのためであろう。
相変わらずの肉声放送ののち、いよいよ発車。
3両編成の電車は高架を大きくカーブし低速で進む。
目指す国道駅は起点の鶴見駅の隣駅であるため、2分ほどですぐに到着。
私のほかに降りたお客さんは居なかった。
さぁ、いよいよ念願の国道駅だ。
少しカーブした短い高架ホームには人はまばら。
アーチ形をした曲線の屋根が既に古めかしい雰囲気を感じさせる。見晴らしも良くなかなか良いロケーションの駅だ。
階段を降りると、すぐさま分厚いコンクリートで造られた空間に足を踏み入れることになる。
薄暗い地下世界へ潜っていくようで気分が高まる。
そして無人の改札を抜けると……。
いよいよ国道駅名物、ガード下の異空間が始まる。
国道駅は1930(昭和5)年に開業したそうだが、噂によると構内の様子はほとんど開業時のまま変わっていないという。
噂にたがわず、周囲から取り残された昭和空間であるといえよう。
人もまばらな通路を歩いてみると、戦前の生活道路を歩いているかのような錯覚にとらわれてしまい、まさに昭和へタイムスリップ。
もはや映画のセットとしか思えないような、恐ろしく時代を感じる手書き看板に感動する。
何件か店舗や住居が入居しているが、これらも開業当時からのものだというから驚きだ。
「やきとり 国道下」という店名が何とも味わい深い。
ある建物の入り口にはこんなプレートが。なんと「昭和82年」の記載があり、やはりこの場所は昭和のまま時が止まっているのだなと実感してしまう。
その向かいには無駄に広い共用のトイレがあったのだが、構内と同じく壁はコンクリむき出しで年季が入っており、明るい雰囲気とは言い難い。
上下線ホームをつなぐ連絡通路から、ガード下の風景を覗きこむ。何とも変わった構造の駅だ。
地元住民が抜け道として時折通るのみで人は少ないが、駅自体は30分に1本のペースで電車が止まり、アクセスの良さはまずまずといったところだ。
品川から20分弱でこんな異空間にトリップできるというのは驚きである。
さすがに自動券売機とIC改札機が設置されているが、券売機の下にある棚は有人窓口時代の名残であろう。
また現在では撤去されてしまっているが、過去の写真を見ると数年前まで木製の改札台も残っていたようだ。
駅の外へ出てみる。駅名の由来にもなった国道15号線が目の前を通っており、ガード下と違って賑やかだ。
そしてちょうど画像に映っている右側、コンクリートの建物の中断あたりに、噂の通りに歴史を感じる痕跡が残っていた。
コンクリート部分に残る小さな凹凸。これが第二次世界大戦時、横浜大空襲で生じた機関掃銃の銃弾の跡である。
建物の所々に似たような凹凸があったのだが、これも同様の跡なのだろうか?
現在は崩落防止のためネットが張られている。
高架の反対側に出てみると住宅街の裏道に通じており、駅の利用者の自転車が多く停められていた。
そしてこちらにも、歴史を感じる昭和期の装飾が見受けられ、思わず見惚れてしまった。
駅から高架沿いに少し歩いてゆくと、すぐに鶴見川の土手へと出ることができた。
少し風は強いが、昨日の大雪が嘘のように晴れ渡っており、日差しが川面に反射して美しい。
ようやく関東に来てよかったなと思えた瞬間だった。
さて、この後は同じ鶴見線内にある、これまた有名な「へんな駅」を訪問してみようと思う。
続く。