今回の花と器展にあたり、
すばらしい椿の花を提供して下さった方のことを
ここでぜひ書いておきたい。
ここ金沢で、新しい椿を次々に生み出す
日本でも稀有の存在、松井清造さん。
新品種の研究、開発に取り組み始めて3、40年、
尽力の末に生まれた氏の椿は
それはもう、椿のイメージが一転するほどだった。
椿は、種を蒔いてから花が咲くまで
8~10年もかかるというから、
それは気の遠くなるような挑戦だろうと思う。
松井さんは、造園業を営むお父様と一緒に
庭師として働きながら
20代の頃、最初はバラの品種改良に興味を持ち、
フランスへ視察に出かけたそうだ。
そこで何百年の歴史に直面し、
とても自分の人生をかけてもかなわない、と
帰国後、 椿 の研究に方向転換したのだそうだ。
椿はもともと大陸から渡ってきたもので、
インドや台湾、中国の雲南省など
温暖な地、あるいは熱帯にまで広がる花であるが、
中でも強靭な種が、海から流れ着いて日本にやって来て、
日本海側では藪椿(ヤブツバキ)を群生させるまでになった。
金沢に自生する 雪椿(ゆきつばき)は、
雪の中でも咲くように進化したのだそうだ。
松井さんは、暑い国の品種と金沢の品種をかけ合わせて
南国産の艶やかな色彩に、
耐寒性を兼ね備えた椿を作ってしまうなど
いかにも難しそうなことを次々に成し遂げてこられた。
何百種類もの交配から
わずか2,3種類の、可能性のある良品ができる、
というから、並の根気ではできない研究だろうと思う。
そうして様々な困難も乗り越えながら生んだ
「ベルサイユ」と名付けた八重咲きの椿、
開くとなんと20cm にもなるという濃いピンクの椿
フランス大使館や大統領官邸の庭に植えられたのだそうだ。
かつて薔薇の研究を彼の地であきらめ、
代わりに選んだ 椿 で日本の代表として
フランス大統領のお庭を飾ることになるなんて、
なんてドラマチックな展開なんだろう。
松井さんの椿のお話には
面白いエピソードがありすぎて、
つい時間を忘れて聴き入ってしまう。
険しい山を登るような大変な仕事に違いないのだが、
椿を心から愛し、楽しんでいらっしゃると感じる。
そうして愛情を注いで育ててこられた椿の花を
今回の、私が企画した花と器展のために
惜しげもなく提供してくださった松井さん。
何十年の重み、魂こめて一瞬だけ咲く花を
開発文七さんのすばらしい器でちゃんと活かしきれるか、
私は大きな重責を感じたが、
この不思議なめぐり合わせに
身震いするほどの感動を覚えている。
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