よわい霧雨が降っていたが、
どうしても桜に会いたくて、能登へ。
能登の桜は、例年、金沢の桜より一週間ほど遅れて
見頃を迎える、というのが一応の目安。
ただし能登の桜の魅力は、
一斉にひらくソメイヨシノなどの華やかさとは異なり、
自生する山桜の、一様ではない色合いや、
のびのびと枝を伸ばす、その大らかな姿にあると思う。
普通の民家の庭や、田畑のまわりに、
その生活を見守り、ともに生きているような桜が
そこここに在る。
桜と一緒に、桃の花も真っ盛り。
下の写真は、白い桃の花。
輪島市の山あいにある小さな集落、
石休場(いしやすみば)という町に、
大きな大きな八重桜があると聞き、
田舎道をたどっていく。
その桜は、道沿いに迫力の存在感で立っていた。
50年ほど前、京都の平野神社から移植されたそうだ。
工事のための伐採を免れ、
能登の地で生き延びることになった。
のどかな田園風景に、力強く根を下ろし、
ゆったりと枝をひろげ、
まるで村の守護神のように、そこにたたずんでいる。
道路の向かいには、
鮮やかなしだれ桜も植えられていて、
華やかな響宴、幻想かと思うほどなのだ。
この巨木に近づいてみると、
幹の力強さに相反して、
なんとも はかなげな花が咲いている。
やさしく重なり合う花びらは、
雨つぶに潤み、かすかにうち震えて、
消え入りそうな美しさ。
その名を、「手弱女(たおやめ)桜」と言うそうだ。
さて、さらに能登の奥地へすすむ。
半島の海岸線を外側になぞっていき、
先端の珠洲市へ。
若山地区にある、正福寺(しょうふくじ)の
有名なしだれ桜を拝見。
週末には恒例の、桜の宴が催されるという。
地域の人々がその桜のまわりに集まり、
みんなでお花見をするのだと。
自分のグループだけのために
ブルーシートを敷いて、陣取るのではなく、
みんなで共有するという、
日本人の、ハレを祝う本来のスタイル。
鑑賞のためだけでなく、
人々から敬われ、大切にされてきた桜の木。
そして、桜の魂が、村を守る。
何度も通ったことがあるのに、
初めてその存在に気づいた、小さな神社。
花がひらいて、その木には あきらかに神が降り立っていた。