「大きなナメラが釣れたから、今日、遊びに来ませんか?」
奥能登、珠洲から届いた、朝一番のメールに嬉しくなり、
急いで小さな旅の支度を始めた。
夏休みに入ってちょうど二日目。
どこかへ行きたいな、という気持ちに直球だった。
誘ってくれたのは、敬愛する友人、
「二三味珈琲」の 葉子さん。
※二三味(にざみ)は葉子さんの名字(旧姓)
結婚後、仙北屋(せんぼくや) さんに。
夕方までに着けばよいので、
あちこち道草をしながら
能登半島の先端、珠洲の地を目指す。
葉子さんの家に着くと
すでに夫の圭さんが炭火をおこし、夕げの準備に入っていた。
まだ小さい二人の愛息、二子くんと福くんが
そのお手伝いのまねごとをしている。
圭さんが釣り上げた大きなナメラとイシダイ。
海にもぐって穫った貝類。
そして葉子さんの実家で収穫された
新鮮な夏野菜たち。
貝やナスやししとうを炭火で焼くのは子供たちに任せ、
魚をさばく圭さん。
刺身とムニエルが手際よく出来上がっていく。
こうして みんなで海の幸、山の幸をたらふく頂いた。
なんて幸せなうたげだろう。
買ったものはなにもない、というこの豊かさ。
そう、お金では買えない幸福が、ここにあるのだ。
お腹が満たされたあと、
今夜は年に一度の地域のお祭り、ということで
夕涼みがてら出かける。
地元の人たちの太鼓や踊り、そして花火。
毎年、三発くらい上がるそうで、
みんながその瞬間を逃すまいと緊張して見守る。
ところが今年は二十発近くも上がり、
一発ごとの緊張も最高潮に達し、最後に大拍手。
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祭りが終わると、また静かな夜にもどり、
やがて鳥の鳴き声とともに、穏やかな朝を迎えた。
朝方降った雨が清涼な風をもたらしてくれた。
広い窓から窓へ、草の香りが運ばれてくる。
花の香りも . . . なんの花だろう?
こんなに自然豊かで、人の心もあたたかい場所で
子育てができるなんて幸せなことだと、つくづく思う。
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この朝、葉子さんは仕事の前に、
近所のスイカ農家へ連れて行ってくれた。
よく話には聞いていたが、
それはほんとうに美味しいスイカだった。
包丁を入れた途端に、パシッとはじけるように割れた。
甘みと水分がパンパンにつまっているから。
べとつかない甘さ。
細胞に浸透していくような、自然の甘み。
このスイカを作る板谷儀博さんと話していると、
その実直でやさしいお人柄が
そのままスイカに表れているような気がした。
スイカが終わると、秋野菜、冬野菜と
豊穣の地は一年中、暇を与えてくれないようだ。
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私が二三味さんと出会ったのは10年ほど前で、
都会での修行を終え、
故郷の珠洲で珈琲豆の焙煎、お店をはじめて間もないころだった。
近くの温泉宿、さか本さんで出された一杯の珈琲が
あまりにも美味で、思わずその豆のことを質問したところ
「最近、東京からUターンしてきた女の子が作っているんです。」
と、快くその場所を教えて下さったのだ。
それにしても、こんな場所に、ほんとうにお店があるの?
と不安にかられるほどの道を行き、
たどり着いた海辺には、それらしい建物は見当たらないが、
辺り一面が 芳しい珈琲の香りにつつまれていた。
そして、目を凝らしてみないとわからないほどの
小さな看板が目にとまった。
その看板の向こうには、
実家の舟小屋を改装したという小さなお店が。
周囲にとけ込みすぎる、あまりにも素朴な風情に
唖然としてしまった。
うす暗い小屋の中をのぞくと、巨大な焙煎機。
そしてその横に、まだ20代半ばの小柄な女性が。
突然、訪ねてきた私に、驚いた様子で、
「どうしてここがわかったのですか?」
と言われたことを思い出す。
そして淹れてくれた一杯の珈琲。
海を眺めながら味わうその珈琲。
こんなに味わい深く、やわらかな珈琲は生まれてはじめてだった。
午後三時にいただいた珈琲の余韻が
その夜まで続いたのだった。
携帯電話も完全圏外の、この さいはてのような場所で
よくぞ商売をはじめたものだと驚いたが、
10年たった今、全国にその名を知られるようになり、
二三味さんの珈琲は、各地のカフェやレストランで
出されるようになった。
また日本中からこの地へ、珈琲を求めにくる人々と
地元の人々とが入り交じり、
静かだった海辺は
一転して人でにぎわう場所になっていった。
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そして数年前に、この舟小屋から少し離れた町の中に
素敵なカフェをオープンさせ、
舟小屋は、静かに焙煎をする作業場にもどった。
同じ石川県に住んでいても、奥能登、珠洲は遠い地であり
二三味さんと出会うまでは、滅多に訪れない場所だった。
ところが今は、休みになれば
一杯の珈琲を飲みに出かけたくなる。
そして、葉子さんが珈琲豆を見つめ、
丁寧にお湯を注ぐ姿を拝むのが楽しみになった。
人気店になっても、その職人気質はそのままで、
豆への妥協のなさは、半端なものではない。
そして、田舎のゆるいリズムに流されず、
遠方から注文を受けた豆は、迅速に発送の準備をする。
彼女の姿を見ると、私も初心を忘れないようにしようと
決意をあらたにし、気持ちが引き締まる。
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葉子さんは、もともと珈琲のために故郷を出たわけではない。
最初は名パティシエのもとで、洋菓子の修行をしていた。
そこでお菓子にまつわる、お茶や珈琲の研究に波及するうちに
珈琲の世界に入っていったそうだ。
だからカフェで出されるケーキも絶品なのだ。
地元で穫れる完熟のフルーツなどを生かしたケーキ、
東京のグルメな友達も、うなりながら食べていた。
珠洲は、いわゆる過疎の地だ。
全国の田舎と同じような問題もかかえている。
でも、二三味さんのような人が
こうして地域の人々に楽しみと希望を与えている。
故郷を誇りに思う人々も増えたことだろう。
何がほんとうの豊かさなのか、
ここにくると、はっきり見えてくる。
かつて この地にも、原発誘致の話が起こり、
かなり危ない情勢だったのだが
数年前に地元住民の意志統合で、その危機を免れた。
現実の厳しさを考えると、
自然環境を死守した珠洲の人々に
心から敬意を表したいと思う。
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豊かな気持ちにたっぷり満たされて金沢にもどり、
二三味珈琲の香りでその余韻を引き延ばしながら
今、これを書いている。
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